その6:第9部:化学物質過敏症に関する情報収集、解析調査報告書 | 化学物質過敏症 runのブログ

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4 「予見義務」の対象および予見の程度
問題は、行為者に課される情報収集義務・調査研究義務を尽くすことにより、何について、また、どの程度の知見を獲得すれば、結果発生の予見可能性があると評価されるかである。
ところが、この問題、すなわち、行為者として何を予見すべきであったのかについて、民事過失論では、あまり議論がされていない。
支配的見解は、特に理由を付することなく、予見可能性で問題となる「予見」の対象と同じもの、すなわち、「権利」侵害の結果の発生またはその可能性というように単純に考えているようである(そのうえで、予見義務を尽くせば予見できた結果については、予見可能性ありと考え、さらに、結果回避義務違反の有無を吟味して過失の有無を評価するとの枠組みを採用している)18。
*患であること(原告が化学物質過敏症に相当する疾患に罹患していること。

ただし、病名の具体的特定と関係しないことは、既述のとおり)を予見することができたものと言うことができる。
17 原・前掲論文18 頁では、「医療機関で看護師として勤務中、ファイバースコープ等の洗浄剤として医療機関において広く使用されているグルタルアルデヒド溶液(グルタラール製剤)を約3 年間にわたり反復継続して使用し続けたことにより、眼がすぐに疲れる、強い疲労感を感じる、すぐに口内炎ができる、呼吸がしにくい等といった症状に日々悩まされるに至ってしまった女性が、病院を経営する医療法人に対して、グルタルアルデヒドへの暴露により化学物質過敏症に罹患してしまったため病院勤務のみならず通常人と同じように日常生活を送ることすらままならない状態になってしまったとして、債務不履行にもとづく損害賠償請求をした事案」が紹介されている。

このような事案では、「総合病院を組織し経営する医療機関としての使用者」という視点から、被告の注意義務違反(過失)の有無を捉えていくべきである。少なくとも医療の専門家としては、グルタラール製剤の身体・健康への危険性に関して、一般人以上に理解しうる地位にあったことも、考慮に入れられるべきである。*


他方、結果発生の具体的危険の予見可能性を過失の前提として要求しない立場(新受忍限度論)19や、刑法における危惧感説(不安感説)に親和的な理解を示す立場20は、被害者の権利保護の要請と加害者側の行動自由の制約との衡量のもと、個別具体的な行為状況下で後者をどこまで制約してよいかという観点から考察し、予見可能性要件で扱われる課題を加害者にとっての行為操縦の可能性として行為に対する無価値評価に取り込み、内的注意・外的注意を一体のものとして捉えている。

もっとも、これらの立場にあっても、具体的状況下で課される情報収集義務・調査研究義務といった予見義務の対象――および、予見義務という行為義務を課すことによって回避しようとした結果――は、最終的に生じる具体的結果(権利侵害)であり(後述する中間項のような考え方を採るものではない)、この点では、支配的見解と共通である21。

ただ、こうした予見義務を怠ったことそれ自体が過失、すなわち結果回避義務違反(客観的過失としての外的不注意)と評価される点のみが、支配的な民事過失論と異なるというものである22。
それでも、民事過失論では、「予見義務」の対象が何か、予見の程度はどれほどかという点をめぐる議論は、これを超える状況にはない23。

むしろ、この点に関しては、「予見義務」の対象が課題として設定され、議論されている刑事過失論での議論に範を求めるのが適切である。