・もっとも、このうち、因果関係判断については、実は、「化学物質過敏症」をめぐる事例
で法的に問題となりうる点は、既に、他の不法行為責任事例、とりわけ、公害・薬害事例
や医療過誤事例での経験が蓄積される中で、一定の方向性が見出されている。
というのは、これらの事件類型では、個々の事件において、自然科学的な原因・結果の関係がどこまで精緻に証明されなければならないのかが古典的な論点となっており、とりわけ、Yとされた側にとって争点とされてきたからである。
そして、そこでは、東大ルンバール事件の最高裁判決により、「訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りる」との定式が確立された8。
:8 最判昭和50 年10 月24 日民集29 巻9 号1417 頁。9
イタイイタイ病第1 審判決(富山地判昭和46 年6 月30 日判時635 号47 頁)以来の確立した考え方である。:
このことは、ここで問題となっているような「化学物質過敏症」・「シックハウス症候群」の事例にも等しく妥当するものである。
しかも、因果関係の平面では、これに加えて、とりわけ有害物質による公害や製品関連事故による生命・健康被害の事例において、因果関係の推認(事実上の推定)の方法を用いて、被害者側の証明を軽減する措置が講じられることが少なくない9ところ、このこともまた、ここで問題となっているような「化学物質過敏症」・「シックハウス症候群」の事例にも等しく妥当するものである。
実際に、裁定例では、既にこのことに対応した理論的枠組みが提示されている。
杉並区不燃ゴミ中継施設健康被害原因裁定申請事件裁定(公調委平成14 年6 月26 日裁定)判時1789 号34 頁は、東京都の管理にかかる杉並中継所の操業開始以来、同中継所周辺に居住または勤務していた申請人らが、のどの痛み、頭痛。
めまい、吐き気、動悸等さまざまな健康被害を受けているとして、この健康被害の原因が同中継所から排出される有害物質によるものである旨の裁定を求めた事案であるが、公害等調整委員会裁定委員会は、周辺住民らの健康不調の発生が本件中継所の周辺に集中し、しかも、その時期が本件中継所の試運転を含む創業の時期と一致しているという事実からみれば、他に特段の事情が認められない限り、申請人の被害について、本件中継所が原因施設であり、その操業に伴って排出された化学物質がその原因であったと推認するほかないとし、この推定を覆すに足りる証拠がない場合、この因果関係は肯定されるものと解すべきであるとした。
さらに、同裁定は、次のように述べている。
「本件は、特定できない化学物質が健康被害の原因であると主張されたケースである。ところで、この科学物質の数は2 千数百万にも達し、その圧倒的多数の物質については、毒性をはじめとする特性は未知の状態にあるといわれている。このような状況のもとにおいて、健康被害が特定の化学物質によるとの主張、立証を厳格に求めるとすれば、それは不可能を強いることになるといわざるを得ない。本裁定は、原因物質の特定ができないケースについても因果関係を肯定することができる場合があるとしたものである」。
最近出された前述の東京高判平成18 年8 月31 日(8事件)でも、自然科学的な意味での厳格な証明を求める被告側の主張は、同様の観点から、悉く斥けられている。杉並区不燃ゴミ中継施設健康被害原因裁定申請事件裁定と、この東京高裁判決により、次のような「化学物質過敏症」・「シックハウス症候群」における因果関係判断の基本的なスキームが明らかになったとみてよい。
[1] 被害者の健康被害が「化学物質過敏症」・「シックハウス症候群」に該当するか否かはともかく、問題の対象物件から発生した化学物質によって生じたものであれば足りる。
[2] 同種環境の下での再現実験において原因物質となりうる化学物質を採集できれば、対象物件から当該化学物質が発生しているということができる。
[3] 具体的な化学物質の種類やその量を特定することはできないものの、対象物件の使用の態様・経緯、統計資料・データ等から、人体にとってその性質上有害性のある多種類かつ相当多量の化学物質の暴露を受けたことを推認することができる場合がある。10
[4] 化学物質の発生源として他の機器・物件等が考えられるとしても、[3]の推認がされる場合には、被告の側で他の原因を特定して立証活動をおこなうべきである。