6 東京地裁平成17 年3 月24 日判時1921 号96 頁(イトーヨーカ堂事件)
[事実の概要]
Aは、平成13 年(2005 年)1 月10 日に、Yの店舗で電気ストーブ(以下では、αとする)を購入し、子Xが、αを自室の勉強机の真下に置いて使用していた。
Xは、同年2 月13 日ころになって腹部、胃部の異常や違和感を覚えるようになり、近所の内科医を受診し、処方された胃薬を服用していたが、症状は改善せず、その後、手足や指にしびれを感じ、目が真っ赤に充血するようになり、別の診療所を受診したが、原因は明らかにならなかった。
その後、Xは、下校途中に歩行困難・呼吸困難の状態に陥り、病院に運ばれ、緊急入院した。
Xの症状については、K病院S医師が、同年12 月20 日、Xを診察し、神経学的検査および血液生化学検査等の検査をしたうえで、αの使用を原因とする「中枢神経機能障害・自律神経機能障害」と診断されるとの意見書を提出している。
Xらは、αからフェノール等の有害化学物質が発生し、これによりXが中枢神経機能障害および自律神経機能障害を発症し、さらには化学物質過敏症の後遺症が生じたとして、Yに対し、不法行為、債務不履行または製造物責任法3 条に基づき損害賠償を請求した。
Xらは、αと同型のストーブを用いた燃焼実験により有害化学物質が発生したとの実験機関の報告書によれば、αからはフェノール、テトラデカン、ビスフェノールA、ホルムアルデヒド、アセトアルデヒド、トルエン、塩化水素、トリクロロエチレン、アセトン、ジクロロメタン、ヘキサン、ブタノール、クレゾール、クロロフォルムといった有害化学物質が発生していることが認められるとし、ホルムアルデヒド、アセトアルデヒド、フェノールおよびクレゾール等については、その発生量が厚生労働省策定の揮発性有機化合物の室内濃度指針値(室内濃度値)を超えていたこと、Xはαを使用し、これら有害化学物質に曝露されたことにより化学物質過敏症となったことを主張した。
これに対して、Yは、実験結果のデータの正確さを争ったほか、化学物質により脳幹脳炎を発症した例はなく、脳幹脳炎にはウィルス性等さまざまな原因が考えられ、心因性疾患の可能性もあり、また、有害化学物質についてもα以外に家屋そのものや他の家電製品などさまざまな発生原因が考えられるとして、因果関係の存在を争った。
さらに、Yは、仮に百歩譲ってαから発生した化学物質によってXが発症したとしても、αと同型のストーブが数十万台も販売されているにもかかわらず、発症したのはXのみであり、かかる事実からすれば、YがXの発症を予見することは不可能であり、Yには過失がないと主張した。
[判旨]
判決は、次のような理由で、Xの本件症状がαから発生した化学物質によるものと認めることはできないとの理由で因果関係を否定し、Yの責任を否定した。
「Xの症状が、そもそも化学物質の曝露による中枢神経機能障害・自律神経機能障害さらにはこれに伴う化学物質過敏症であるのか疑問があるうえ、Xの症状と本件ストーブから発生する化学物質との因果関係についてもこれを認めるに足りる証拠はないといわざるを得ない。」
「中枢神経及び自律神経の機能障害がある場合が全て化学物質過敏症となるわけではなく、S医師の用いた化学物質過敏症の診断基準も、あくまで暫定的な基準であり、必ずしも絶対的な基準ではないことに加え、Xは、問診票において、『今はとくに症状はない』と回答し、また、『化学物質の曝露による反応』として、摘示された化学物質に対し、全く反応がない程度を0、中等度の反応を5、動けなくなる程度を10 として、10 段階に分けて回答を求める質問に対し、ガソリン臭、ペンキ及びシンナーについて2、コールタール及びアスファルト臭について1 とするのみであって、その他車の排気ガス、殺虫剤、消毒剤及び漂白剤等については0 と回答し、その後現在に至るまで本件症状のような症状は生じていないと回答しており、化学物質に対して殆ど反応していないことが認められる。/さらに、Xの本件症状について、A病院においては、最終的に脳幹脳炎であるとの診断がされているところ、脳幹脳炎の発症原因は様々でありこれを特定することはできないが、当時、Xは将来の大学受験等のため深夜まで勉強を続けており、体力的・精神的に疲労が溜まっていたであろうことは容易に想像でき、時期的にも真冬であったことからするとウィルス感染の可能性も否定できない。」
「本件ストーブのガード部分にはエポキシ樹脂とポリエステル樹脂が塗布されており、ストーブを稼働した際には、それが熱せられることにより、概ねXらの主張のようなフェノール、ホルムアルデヒド、アセトアルデヒド、トルエン、トリクロロエチレン、アセトン、ジクロロメタン、ヘキサン、ブタノール、クレゾール等の化学物質が発生することが認められる。…しかしながら、本件ストーブを稼働させることより化学物質が発生したとしても、化学物質が発生すれば、それが直ちに人体に悪影響を与えるというわけではなく、Xらの主張する規制法も、有害化学物質の含有量等について基準を定めることができるとするにすぎず、一切、化学物質を発生させてはならないとしているわけではない。
そして、Xらは、ホルムアルデヒド等の発生量が室内濃度値を超えているなどと主張し、これを窺わせる証拠も存するが、他方、《証拠略》によれば、室内濃度値は、いかなる条件においても人に有害が影響を与えることを意味するのではないというのであり、したがって、室内濃度値を超えたからといって、直ちに当該化学物質がXの症状の原因であると断ずることはできない。/加えて、本件ストーブと同型のストーブは、補助参加人によって平成12年9 月から平成15 年3 月末日までに29 万2794 台が出荷され、そのうち、平成12 年9月から平成13 年2 月27 日まで合計5341 台がYによって販売されていることが認められるが、証拠を検討しても、Xのほかに、本件症状のような症状を発症した者がいることはうかがわれない。」
「本件ストーブから発生した化学物質の発生量が限度を超え、人体に影響を与えたとまで認めるべき的確な証拠はなく、本件ストーブ以外にも日常生活において化学物質を発生する原因は多々存在するほか、前記のとおり、X以外に同様の症状を発症した者の存在がうかがわれないことは、本件ストーブと同型のストーブの販売台数に照らすと、個人差を考慮してもなお不合理といわざるを得ず、そうすると、確かに、本件ストーブからは化学物質が発生し、Xが、本件ストーブを使用して以後、本件症状が発症したことは認められるものの、それだけでは、S医師の前記意見書のように、Xの本件症状が本件ストーブから発生した化学物質によるものと認めることはできない。」