出典:宮井株式会社
http://www.miyai-net.co.jp/furoshiki/history04.html
江戸時代初期、都市生活の発展を反映し、湯屋営業も普及し、入浴料をとって風呂に入れる銭湯が誕生しました。
『慶長見聞集(けいちょうけんもんしゅう)』三浦浄心(1614年)には、天正19年(1591年)に伊勢与市が銭瓶橋に銭湯風呂を建て、永楽一銭の入浴料を取ったとあります。
これより居風呂・鉄砲風呂・子持風呂・戸棚風呂・五右衛門風呂などいづれも湯を張った「お湯」が出来、その種類も増しました。
それらはいずれもが蒸し風呂ではなく、湯を張った風呂でした。
奈良時代の温浴は沐浴潔斎であり、入浴作法が定められ、結界思想もあって入浴には必ず明衣(麻白布の衣)をまとい、鎌倉、室町期もこの作法に準じましたが、江戸期になるとこれが簡略化され、湯具としては手拭・浴衣・湯褌・湯巻・垢すり(呉絽の小布)・軽石・糠袋・洗い子などを風呂敷に包み銭湯へ通うようになりました。
そして風呂敷はやがて銭湯などで他人のものと区別しやすいように家紋や屋号を染めるようになっていきました。
こうして、湯道具を”風呂に敷く布”のようなもので包むようになり、その四角い包み布を”風呂敷包み”と呼ぶようになった、ということが考えられます。
runより:過去世界一のエコ都市だったと言われる江戸。
その文化から学ぶ事は多いと思います。
ゴミそのものが無かったという完全循環型社会だったそうです。