・我々は低濃度のトルエンを全身曝露したマウスを用いて,記憶にかかわる海馬でのグルタミン酸受容体遺伝子の発現への影響をしらべてみました。
NR2A遺伝子の発現にはトルエン曝露の影響がみられませんでしたが,NR2B遺伝子の発現は有意に増加していました。
受容体遺伝子の発現が増強することは,神経細胞内のカルシウムの流入から遺伝子活性化へとつながるシグナルにも変化が見られることを示しているので,さらに細胞内のリン酸化酵素分子の動きを追跡しました。
カルシウムが結合することによってタンパク質リン酸化を促進するカルシウム/カルモジュリン依存性タンパク質リン酸化酵素IVの遺伝子発現はトルエン曝露で有意に増加していました。
そこで,記憶にかかわる遺伝子の発現増強につながるかどうかについて核内転写調節因子の動きを調べました。
cAMP応答配列結合タンパク質の遺伝子発現は,トルエンの曝露をうけたことにより有意に増強しており,グルタミン酸受容体の活性化が核内転写調節因子の増加,さらに新たな記憶遺伝子の発現を誘導する可能性が示唆されました。
次に,低濃度トルエン曝露の影響をより短期に簡便な方法で探ろうと,マウスを用いて,曝露方法を鼻部曝露にして実験を行いました。
その結果,やはりマウスの海馬においてグルタミン酸受容体遺伝子の発現の増加が認められました。
グルタミン酸受容体遺伝子の発現増強は,記憶機能の増強と同時に炎症を導くプロスタグランジンE2やスーパーオキサイド産生などを増加することが報告されていましたので,炎症とのかかわりについて検討しました。
炎症の制御に働いている免疫系のリンパ球の役割に注目し,Tリンパ球を欠損しているヌードマウスと正常のマウスとでトルエン曝露による影響を比較しました。
その結果,ヌードマウスではグルタミン酸受容体遺伝子の発現に影響はみられませんでしたが,Tリンパ球の存在している正常マウスではその遺伝子発現に有意な増加が認められました(図(A))。
そこで,海馬領域における神経細胞の分布の違いを免疫組織学的に検討しましたが,両マウス間の比較においても(図(B)),それぞれのマウスにおけるトルエン曝露群と対照群との比較でも差はみられませんでした。
図 トルエン曝露したマウスの海馬における遺伝子発現(A)と免疫染色像(B)での比較
今回の低濃度トルエン曝露では海馬における神経細胞の分布や数への影響は確認できませんが,神経細胞間で情報を伝え,記憶の保持に重要なシナプス受容体遺伝子には影響がみられることがわかってきました。
トルエン曝露による神経情報の伝達系におけるかく乱が推察されます。
また,この影響は脳内において生体防御の働きをしている免疫機能と関連することが示唆されました。
化学物質過敏症の患者にトルエンを曝露して脳内での変化を機能的磁気共鳴診断装置で測定した結果と健常者に曝露したときの結果を比較すると,化学物質過敏症の患者の側頭葉内側部や視床下部などの活動が,健常者の反応と比べて増加したという報告が平成17年度厚生労働科学研究費補助金健康科学総合研究事業報告書に記載されています。
これらの領域は,我々がマウスにトルエン曝露して変化がみられた領域と一致している部分があります。このように,動物の系統や種を変えて行った研究での成果を積み上げ,ヒトでの影響との比較を行いつつ,感受性の要因を探る研究を続けています。
感受性期の解明に関する研究の化学物質による胎児や小児への健康影響に関する現在の問題点,あるいは今後の研究戦略については,本号の環境問題基礎知識でふれているのでそちらを参照していただきたい。
(ふじまき ひでかず,環境リスク研究センター高感受性影響研究室室長)
runより:この記事にも非常に大事な情報があります。
結局は避けるのが一番ですけど・・・