衝動性は事故(対象をたたく、人の中に駆け込む、何か熱い物をつかむ)やさらに潜在的に危険な状況(通りに走り込む)をもたらすかも知れない。
注意欠陥多動性障害(ADHD)の概念は、脳への後遺症に不注意や多動性・衝動性があると思われる脳傷害の研究に由来する。
30 しかし、1960 年代に症例の大部分で、ADHD は何らの脳傷害の証拠を明らかにしないが、むしろ脳はそうすべきように機能しないということが明らかになった。
時間と共に、ADHDの概念は多くの変化を遂げた。
1969 年に発行されたDSM-Ⅱはこの障害を「小児期の多動反応」として初めて記載し、過剰な運動活動に焦点をあてた 。3 1
1980 年に発行されたDSM-Ⅲは注意と集中及び、多動性のない不注意
(ADD/noH)と多動性のある ADD(ADD/H)との区別に焦点を合わせた。
また3 つの領域(不注意・衝動性・多動性)の症状を述べた。
DSM-Ⅲ-R は不注意と衝動性・多動性との間の区別をなくし、14 症状の中 8 症状の存在を求めた。
過去 10 年の間、ADHDの診断と治療に増加があった32。
1960 年代前に多動性と注意欠陥が病気としてほとんど気づかれたり治療されたりしなかったが、刺激剤が多動性と不注意の治療に使われてきた。33,34
刺激剤は脳の神経伝達物質(メッセンジャー)の 2種類ドーパミンとノルエピネフリン[=ノルアドレナリン]の生産を増加させることによって作用する。この医薬は神経系の警戒を増し、それによって注意集中を改善し、不穏状態を減らす。
多動性と注意欠陥を治療するために刺激剤を使うことは、1961 年に行動障害のある子供で使うためにリタリンを食品医薬品局(FDA)が認可した後、劇的に増加し始めた。
1971年から、4 から 7 年ごとにリタリン使用は倍増してきた36。
1975 年に米国の 15万人の子供が多動性を減らすために薬を処方されてきたと推定されている37。
1980 年代にリタリンは米国の約100 万人の子供が定期的に使っていると推定される。39
リタリン生産は過去8年で7 倍に増加しており、その 90%は米国で消費される。40
サイラートやデキセドリンのような他の医薬品が ADHD 治療に使われるが、
現在リタリンは全症例の約 90%でADHD 治療として処方されている41。米国麻薬取締局 Drug Enfor cementAdministration は 2000 年に学齢期の子供の 15%、又は推定で 800 万人の子供がリタリンを使うと推定している。42