・5.神経系への影響
有機リン剤の主な標的は、神経伝達物質であるアセチルコリンを分解する酵素、アセチルコリンエステラーゼであり、有機リンは不可逆的にこの酵素活性を低下させる。
その結果、アセチルコリンが蓄積し、シナプスにおける情報伝達が妨害を受け、過剰興奮状態となる。
中毒症状の多くは中枢や末梢・自律神経系に対する影響によるものである。
例えば、DDVP 投与15 分後(50 mg/kg・経口)に脳内でアセチルコリンレベルが48%から171%増加する。
大脳皮質はアセチルコリンとコリンの増加率が他の脳の部位より大きいと報告されている(Modak et al. 1975)。
ラットにDDVP を投与し、脳のアセチルコリンを調べた研究がある。
4 mg/kg 之アセチルコリンを投与すると20 分後に、コリン作動性症状が現れ、脳の全アセチルコリンが100%、遊離が146%、不安定に結合したものが113%となり、安定結合したものが66%減少し、アセチルコリンエステラーゼが66%低下した。
また、少量を長期投与した場合にも脳のアセチルコリン量に変化が見られた。この実験では0.2 mg/kg という少量DDVP の90 日間投与によっても影響が現れている(Kobayashi et al. 1980)。
DDVP をラットに投与すると、大量1 回投与及び少量のくり返し投与で脳波の周波数の増加と平均振幅減少などが見られ、末梢神経では伝導速度の低下と不応期の延長が見られる。
これらの機能異常と種々の組織や血液中のコリンエステラーゼ活性との間に関連は見られなかった(Desiand Nagymajtenyi 1988)。
Bird et al. (2003)はDDVP による重症有機リン中毒死亡が末梢神経系への影響によるのか、中枢神経系への影響によるものかをラットで調べた。DDVP 投与前に脳血液関門を通過する抗コリン剤をあらかじめ投与したラットは、DDVP 投与により死亡を防げたが、末梢作用のみがある抗コリン剤前投与では防げなかった。
以上から、DDVP 投与による早くおこる死亡は中枢神経が関与すると考えた。
この他にDDVP は脳内カルシウムのホメオスタシスに影響を及ぼす。DDVP の慢性投与はシナプトゾーム内カルシウムレベルを上昇させ、主なカルシウム排出酵素であるCa 2+ ATP 分解酵素の活性は減少する。カルパイン活性は減少する。
これらのことはDDVP の毒作用は細胞内カルシウムのホメオスタシスの変化を通じ、神経細胞の機能に障害を与えるためと思われる
(Raheja and Gill 2002)。
幼いウサギにDDVP を投与し、その影響を電子顕微鏡を用いて大脳や小脳・脳梁で調べた研究で、DDVP は生体膜を障害することが分かった。
この影響は分化成熟中の細胞に特に有害であった(Dambska and MaSlinska 1988)。
成熟したラットに3 mg/kg/日のDDVP を10 日間投与し、小脳と脊髄を電子顕微鏡で調べた研究では、小脳の細胞で透明な空胞やミトコンドリアの集合、脊髄の浮腫といった構造的な異常が見られているHsan et al. 1979)。