大人のぜんそく(2)治療続けて自己最高成績 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・オーストラリアで2008年2月、練習中に呼吸困難の発作を起こしたトライアスロン選手の庭田清美さん(40)は「ぜんそく」と告げた医師の言葉を素直に受け入れられなかった。

30代後半に達しており、その年齢でぜんそくになると思っていなかったからだ。

 診断後、思うように練習ができなくなった。

ランニングで呼吸が苦しくなりそうと思うと、ペースを落としたり、中断したりした。

発作が起きた時のために、気道を広げて呼吸を楽にする気管支拡張薬を処方されていたが、練習では、薬を使わずにすむよう、無理をしなかった。

 北京五輪の日本代表に選ばれた同年6月、日本に帰国。国立スポーツ科学センター(東京)で健康診断を受け、肺機能や、気道の過敏性を調べる検査などを詳細に行った。

 同センターのスポーツ医、土肥美智子さんに「ぜんそくですが、大丈夫。治療をすれば、まだまだやれますよ」と激励され、「やはりぜんそくなんだ、と納得し、気持ちがすっきりした」。

 土肥さんからステロイド(副腎皮質ホルモン)の吸入薬と気管支拡張薬の配合剤を、朝と就寝前の1日2回使用するよう指導を受けた。

土肥さんは「ぜんそくでも適切な治療を続ければ、激しいスポーツでも十分活躍できる」と話す。

 五輪まで残り2か月を切っていたが、ぜんそくの治療を本格的に行い、練習にも全力投球するようになった。

寝ている時にせき込み、目が覚めてしまうことや、わずかな距離のランニングでも感じた息苦しさも次第になくなった。

以前と変わらぬ練習メニューをこなせるようになった。

 同年8月、北京五輪の競技当日。発作を予防するためにレース開始の30分前に、気管支拡張薬を使った。水泳と自転車は順調にこなしたが、最後のランニング種目の残り1キロ・メートル付近で呼吸が苦しくなってきた。

息を吐くことはできるのに吸えない。

それでも懸命に吸おうとすると、顎があがって姿勢が崩れてしまう。

「倒れるならゴールで」と、自分を奮い立たせた。

たどり着くと同時に力尽きて倒れ込んだ。

順位は9位。自己最高成績だった。

 庭田さんは、その後大きな発作もなく、各国のレースを転戦し、日本と台湾とのレースを中3日の過密スケジュールでこなすこともある。

 「体調不良の要因が、自分の努力不足や体力の限界ではなく、ぜんそくとわかって、逆に救われた。

治療を続けながら、来年夏のロンドン五輪を目指します」と力を込める。

(2011年11月4日 読売新聞)