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・ちょうせい第58号(H21.8)
「熱意」と「理論」
静岡市は、北に3,000m級の高峰が連なる南アルプスを仰ぎ、南に資源豊富な駿河湾にいだかれた三保半島や清水港を擁する、美しい自然が豊かな都市で
あります。
また、平成15年に旧静岡市と旧清水市が合併した後に政令指定都市となり、その後も蒲原町や由比町との合併を経て、現在では全国5位の広大な市域を
持つ都市となりました。
そして、静岡市を語るうえで忘れてはならない歴史上の人物が、徳川家康公であります。
将軍を退いた徳川家康は、現在の中心市街地に駿府城を築き、駿府は江戸と並ぶ政治の中心地となり、各地から優秀な大工などをはじめとする職人や、多
量の資材などが集められたそうです。
今でも当時の職名が町名として残っている町が市
街地中心部のいたる所にあり、当時、職業ごとに住み分けられた様子を伺うことができます。
私は、静岡市に化学職の職員として採用されてから、ちょうど10年目に今の環境保全課への配属となりました。
配属されて最初の1年間は大気を担当し、その後の4年間は騒音を担当し、現在は水質と土壌の業務に携わっております。
さて、苦情処理の話になりますと、私の頭の中には「民事不介入」と「行政の不作為」のボーダーラインのことが浮かんできます。
平成12年の地方分権改革以降、国と地方自治体との関係は大きく変わり、自治体の権限は急速に拡大しました。
これにより、これまでの一元的な政策では行き届かなかった市民サービスが、自治体の判断で行えるようになってきたことで、自治体と市民の関係も大きく変わりました。
しかし、この市民サービスの向上は、時に「民事不介入」と「行政の不作為」のボーダーラインを市民と職員が共通認識とすることを難しくする要因となることを、私たちは苦情対応を通して感じることがあります。
他都市でも介入しない(介入できない)問題であったとしても、介入(対応)できないことの説明としてなかなか市民に受け入れていただけないことや、他都市の条例等を取り上げられ、「どうして静岡市では規制できないのか」などと市民からお叱りを受けるような苦情が増えてきていることを感じます。
自治体を取り巻く問題も多様化しているのと同じように、市民のニーズも多様化しているので、公害苦情だけでなく市民からの苦情対応を、少ない人数の職員で対応している部署は、とても大変ですし、長期化する苦情においては、特に苦慮している自治体も多いのではないでしょうか。
しかし、公務員である以上、どのような課に配属されたとしても、苦情対応は必要なスキルであることは言うまでもありませんし、公務員を取り巻く状況は、不得手だなどと言って避けられるような時代
ではないことも強く感じます。

今回、この「がんばってま~す」の記事を書かせていただくに当たり、これまでの苦情対応の経験のなかで、私なりに一番頑張ったと思える事例を紹介し
たいと思います。
それは、平成13年頃から継続していた、繁華街にある外国人が多く集まるバーの音楽と客の騒ぎ声に対する騒音苦情対応でした。
このバーは、週末になると深夜から朝方にかけて、大音量の音楽をかけて大騒ぎをすることで、継続的に苦情が寄せられていました。
申立人も、深夜の騒音苦情なので警察に相談することが多かったのですが、当時警察も対応に苦慮していたようで、解決に向けて前進しないままの日々
が続いていました。