イラクの中毒事件で毛髪中の水銀濃度の変動から見た生物学的半減期では、二つのピークを持つ分布(bimodal)を示し、低い値を取る群では平均65日(排泄係数にすると0.0107)、高い値を取る群では平均119日(排泄係数にすると0.0058)で最高値は189日という報告もある。
この最高値は外れ値であると考えられている。
したがって生物学的半減期が長期化(すなわち排出定数bを小さく)する方向への変動は、毛髪中の水銀濃度の変動から見た生物学的半減期が全身の半減期を表すと考えると、平均値では1.70倍(119/70)、血液のコンパートメントを表すとすれば、2.38倍(119/50)となる可能性がある。
④ 耐容摂取量の設定 フェロー諸島前向き研究(コホート調査)においては、胎児期のメチル水銀曝露といくつかの神経行動学、神経心理学上のエンドポイントの間に統計学的に有意な関連が認められた。
一方、セイシェル小児発達研究においては、胎児期のメチル水銀曝露と小児の神経、認知、行動への影響は見出されなかった。
両者の研究の相違点は、
・曝露パターン(フェロー諸島では、比較的水銀濃度の高い鯨を散発的に摂取、セイシェル諸島では水銀濃度の低い魚を頻繁に摂取。)
・用いられた神経発達に関する影響指標(フェロー諸島では、機能のドメインに特異的な検査。セイシェル諸島では包括的な検査。)
・ポリ塩化ビフェニール(PCB)の曝露(フェロー諸島あり。セイシェル諸島なし。)
・人種(フェロー諸島はヨーロッパ系。セイシェル諸島はアフリカ系。) と整理される(NRC(7))。 日本人集団を考慮した場合、特に曝露パターン(およびPCBの曝露)の観点から、セイシェル諸島の集団の方が日本人集団に近いものと考えられる。
しかしながら、有意な関連を認めた研究結果を無視し得ない。
そこで、フェロー諸島前向き研究における神経行動学的エンドポイントの一つBoston Naming Testでの母親の毛髪水銀濃度のBMDLと、セイシェル小児発達研究のNOAELを考慮し、両者の毛髪水銀濃度10 ppmと12ppmの平均値である11ppmを用いて母親の一日当たりの水銀摂取量dを算出する。
この二つの研究結果から平均値を算出する方法は、JECFA(2003)の評価でも採用されている。(但しこの時にはBoston Naming Testの母親の毛髪水銀濃度のBMDLを別な方法で12ppmと算出した。) 母親の毛髪水銀濃度11ppmから血中水銀濃度を44μg/lと算出する。
さらに、母親の一日当たりのメチル水銀摂取量dμg/kg体重/日を算出する。 d =(C × b × V)/(A × f × bw)=1.167μg/kg体重/日
b = 排出定数(0.014)
bw = 体重(60kg) V = 60kgの女性の血液量、(0.09×60 liters) A = 摂取したうち吸収される水銀の割合(0.95) f = 吸収された水銀の総量のうち血液に入る割合(0.05) さらに、d=1.17μg/kg体重/日に、母親の毛髪水銀濃度から血中水銀濃度に換算する時の変動の幅とともに、排出係数(つまり生物学的半減期)の変動の幅を考慮する必要がある。
上述のように、毛髪水銀濃度:血中水銀濃度の変動幅を最大で2とすると、毛髪水銀濃度から推定した血中水銀濃度は1/2となり、摂取量も半分になる。生物学的半減期の変動幅も最大で2とすると排泄係数は1/2になり、さらに摂取量を半減しなければならない。
したがって、d=1.17μg/kg体重/日を4で除した0.29μg/kg体重/日が、不確実性を考慮して安全側に立った摂取量となる。
よって、メチル水銀の週間耐容摂取量(TWI)は2.0μg/kg体重/週(Hgとして)となる。