ACと精神疾患 [編集]ACは精神疾患名ではないが、ACと称し称される人々の中には精神疾患を有している人たちがいる。
うつ病・パニック障害・社交不安障害・全般性不安障害・解離性障害などの一軸上の問題、境界性人格障害・回避性人格障害・反社会性人格障害・演技性人格障害など二軸上の問題がそれらに当たる。
精神科治療では本来の病名と異なる「ぼんやりした病名」を患者に告げる悪しき習慣があり、自律神経失調症・周期性嘔吐症・慢性疲労症候群・起立性低血圧などがそれにあたる。
本来は病名とは言えず、症状である。
診療を行った手前、病名という実績・結果を示したいという精神医学界の傾向性による。
とくに二軸上の人格障害圏の問題を抱えた人たちは「人格障害圏」であるとの告知に激しい否認・拒否を示すことがあるため、同様にぼやかした言い方として「アダルトチルドレン」や「機能不全家族」といった呼称が治療者と患者のあいだの摩擦軽減のため便宜上用いられることがある。
精神科医師が大学教育課程で、家庭養育問題を学ぶ機会は乏しく、精神科医師となった時点で家庭問題に起因する精神疾患に積極的にコミットする能力がない。
学問として学ぶ経験がなかったならば、医師自身の人間性の資質に多くを頼ることになる。
ACと社会問題について [編集]現在の社会問題である、子供の不登校・引きこもり・家庭内暴力・若者がキレる・凶悪犯罪・成人後のネグレクト、などの現象はAC理論と密接に結びついているという見方が固まりつつある。これまでは、それぞれの現象は個別に研究されている傾向があったが、主としてメンタルケアを直接行っているカウンセラーなどのあいだで、児童期の養育環境・親子関係の問題として統合される過程にある。
著作活動による社会への理解 [編集]ACに関する文献は米英国を中心にいくつか出版され、国内ではそうした文献を翻訳していく中で、アルコール依存症の患者の治療で定評のある斎藤学の著作から広まっていったが、その本来的な意味である「アルコール依存症の人を主にする、機能不全家族の中での、幼少期のストレス体験を受けて育った者」という定義から離れて、マスコミなどで恣意的な逸脱した意味で流布されるようになった。
そのため、斎藤学は自らこの語を使うことを一切やめ、彼の設立した家族機能研究所も、この言葉との関係を現在では絶っている。
そのかわり斎藤学は、アメリカで自然発生的に人々のあいだに広まっていった「アダルトチルドレン」の原義を引き継ぐ言葉としてアダルトサヴァイヴァー(Adult Survivor)を用いるようになった。
しかし、いまのところ「アダルトサヴァイヴァー」という用語を積極的に用いるほかの研究者はほとんどいない。
1990年代後半に入り、不景気と就職難を背景に社会的にメンタルな病気の増大とともに、ACも再度注目をうけるようになり、斎藤学、西尾和美、信田さよこ、長谷川博一などの著作や、いくつかの米英国人の著作を通してアダルトチルドレンの認識が広がりつつある。
しかし、マスコミによる誤情報の流布の影響もあり、AC問題は日本の社会においては正しい認知をされているとは言いがたい。
また、親子間問題などの人生の諸問題は本人が単独で解決するべき、という風潮・文化が日本では根強く、第三者が介入して問題解決をするという考え方自体が希薄であり、欧米とはそうとうな距離感がある。
いっぽう、医療機関に属する心理カウンセラーなどのあいだでは、当事者の自己理解と問題認識を促すものとしてAC概念に一定の効用を認める者もおり、主な受け皿となっている。
またACODAなどの全国自助グループもあり全都道府県で自助活動が行われ、まだまだ表舞台にいるとは云えないが、全国のAC問題を抱える人にとって一助となっている。
ACへの批判 [編集]AC問題は世間一般ではかなり誤解を受けており、批判も受けている。簡単な誤解としては「子どものような大人」、「大人になりきれていない未熟な人」などである。
批判としては「いい年をして自分の未熟な部分を親のせいにするな」が代表的な例である(ただしこうした批判も、小此木啓吾や高橋龍太郎の著作によれば、一部のAC自称者に関しては的外れではない)。
AC自称者が、過剰・過敏に苦しみを訴えるあまり、人生を先に進めるステップになかなか進めないという現象は当事者以外には理解されづらい。
ACの苦しみの多くは情緒的であり時間を要する場合が多い。
第三者には理路整然とした問題解決の方法が示すことができるが、具体的解決策を発見して実行できるのは本人だけであり、時間のかかり方・取り組み方が当事者と第三者との間でギャップを感じさせ、第三者が批判的ポジションに移行してしまう傾向がある。
こうした誤解・批判がAC問題に悩む人にとって解決・回復への大きな足かせとなっている。
専門家側からは概念の曖昧さが指摘されたり、ACOAと非ACOAの差が見られないとする報告もなされており、日本では主に精神分析に批判的な精神科医や臨床心理士がAC概念の有用性を疑問視している。
runより:私も大人になりきれない人の事だと思ってました。
虐待は悪です。何も生まれない。悲劇だけです。