・ハンセン病コロニー
歴史的にはハンセン病は治らない病気で視覚的な変形や身体障害が影響し伝染性の強いものであると信じられていたため、ハンセン病患者は多くの社会から強制的に排除された。
そのため一つの場所に救済を求めてハンセン病患者が自主的に集まったり、ハンセン病患者を強制的に1箇所に集められることによって、ハンセン病コロニーが出来た。
この中には療養所として治療のための施設が作られたところもある。
多くのコロニーは社会から断絶した島や僻地にあることが多い。
ハワイのモロカイ島やノルウェーの国立病院などの例がある。
日本の療養所
日本では明治時代にハンセン病患者の救済が行われ療養所が建てられた。
日本では、1889年にテストウィード神父が静岡県御殿場市神山に神山復生病院を設立したのが最初の療養所であり、その後各地に私立療養所が建てられた。
公立療養所(都道府県連合)に関しては、1907年に設置の法律ができ、その2年後に全国に設置された。
その後、多くの私立療養所は閉鎖されていった。
1930 - 1940年頃になると、国による一括統治・強制隔離政策を推進することや、患者数に比例して各県から予算を決定する会議が毎年大変であったことなどの理由により、公立療養所(都道府県連合)は国立に移管された。
現在は、13の国立療養所と2の私立療養所が現存している。
ハンセン病は回復しているが以前の政策により入所された人のうち、後遺症が残っており介助を必要としている人と、社会や家族との関係で入所が必要な人の施設となっている。
余談だが、国立ハンセン病療養所の一つである国立駿河療養所は、1942年にハンセン病傷痍軍人療養所として建てられたものである。
これは日本で初めてであった。
神山復生病院と同様、静岡県御殿場市神山にあるが場所は離れている。
1945年に現在の名前に改称し厚生省(現在の厚生労働省)の所管となった。
ハンセン病療養所で使われていた特殊通貨
20世紀前半を中心に、世界各地のハンセン病療養所やコロニーにおいて、菌を伝染させないためや、患者を隔離するためとして,通貨(主に貨幣)が発行された。
特殊紙幣/貨幣は様々な国で使用された。
最も早い発行は1901年で、当時ハンセン病患者が多かったコロンビアでは感染を防御する目的で療養所のみで使用される特殊貨幣が政府により鋳造された。
マレーシアでは、Gordon Alexander Ryrieが特殊貨幣を発行した。
日本、韓国でも特殊貨幣が作られ療養所内で使用されていた時期があった。
不祥事などが発覚し廃止されたが、紙幣を検査して菌が付着していないので廃止した国もある。
偽名・仮名の使用
ハンセン病患者が偽名(仮名)を使用することは多い。
この偽名使用に関してはアメリカのみならず日本でも普通にみられる。
国立ハンセン病療養所の一つである邑久光明園で1998年に行われた調査によると、「実名使用」は200名・「仮名」は127名・「不明」は6名であった。
また、仮名を使用する理由としては「家族に被害が及ぶのを防ぐため」が85名と最も多く、「以前から使っている名前だから」10名・「皆そうしている」10名・「勧められて」7名・その他10 名(不明を除く)と続いた。
らい予防法廃止(1996年)以前は非常に多かったが、廃止を機会に実名に戻った人も多い。(中略)
各国の状況
日本では世界的な動向と逆行するかのように、1931年に強制隔離政策(感染の拡大を防ぐため全患者を療養所に強制的に入所させる政策)が開始された。
runより;大分省略しましたが、日本でもこんな事があったんです。
実態より偏見・・・患者の人権は無視されました。
エイズは実態があったので別ですが、ハンセン氏病はほぼ偏見です。