ハンセン氏病11 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・治療基準
WHOの治療基準
皮膚スメア検査と皮疹の数で得られた結果をもとに多菌型(MB)と少菌型(PB)と単一病変少菌型(SLPB)に分けて治療を行う。
多菌型はスメア検査で陽性・皮疹6個以上である(LL、BLとBBに相当)。
少菌型はスメア検査で陰性・皮疹5個以下である(TT、一切のBT、I群に相当)。
WHOの基準ではMBで1年間、PBで6ヶ月間の治療を終了した時点で菌検査の有無を問わず完治とする。
また、患者としても除外される。

MDTで使用される治療薬はパックとなっており、ブリスターパック(blister-pack)と呼ばれる。
大人用と小児用(10歳 - 14歳)、MB型用とPB型用の4種類に色分けされている。
どの日にその薬剤を内服すればよいか、裏に日付が記載されている。
日本では販売されていない。

日本の治療基準
日本でも適切な治療法ということでWHOの基準を採用しているが、治療後の状態について言及しており、MB型なら菌陰性化するまで、PB型なら活動病変が消失するまでは完治とせず治療を継続とする。
日本の保険適応薬剤はDDS、RFP、CLF、OFLXである。
小児の発症例はほとんどないので基準として設置していないが内服量はWHOに準じる。
SLPB(皮疹が1個のみ)の患者は日本ではPBとして治療する。

DDSの発見と改良
プロミン(Promin)は、抗がん剤#代謝拮抗剤|ジアミノジフェニルスルホン (DDS: Diamino Diphenyl Sulfone日本ではジアフェニルスルホン) に、ブドウ糖と亜硫酸水素塩を縮合させて水溶性にした化合物である。
DDSが有効成分である。

プロミンは、1941年にアメリカのガイ・ヘンリィ・ファジェット (Guy Henry Faget) によってハンセン病患者に使用された。
もともとは結核治療薬として開発されたものであったが、アメリカルイジアナ州のカービル療養所(Carville)に入所しているハンセン病患者に実験的に投与したところ、効果があることが分かった。
そこで1943年に症例数22,改善15,不変6,悪化1という画期的な報告を写真付でアメリカ医学雑誌にて発表した。
プロミンはその後、国際的にも非常に効果のある特効薬であることが確認され、ハンセン病治療がこの時を境に劇的に変化した。
原著の表を示す。
日本は当時、太平洋戦争の戦時中であったため、プロミンの情報は、中立国スイスからドイツの潜水艦によって伝えられた。
戦後の1946年、東京大学薬学部教授の石館守三がプロミンの合成に日本で初めて成功し、使用され1947年には、日本癩学会でプロミン治療に関する研究発表が行われ、シベリア帰りの兵士に対して使用し症状の劇的な改善を認めたことによって証明された。
しかし、日本では、療養所幹部の中に効果に不信を持っている人が多かった。
隔離政策の崩壊を危惧する意見も多かったため、各療養所に十分な量のプロミンの配布が行われず、使用が制限されていた。
そのため、プロミンという特効薬があるにもかかわらず、大風子油による治療の継続を余儀なくされていた患者が多くいた期間があった。
プロミンは、1949年より予算が計上されるとともに、薬が普及していった。

プロミンはアメリカのパーク・ディヴィス社(Parke Davis)の商品であったが、毒性が強く注射製剤のみの使用に限られるという欠点があった。
その後、その欠点を補うためダプソン(日本国外はDDSをDapsonという)(ダイヤゾン・プロミゾール)が開発された。
ダプソンは精製して有効成分であるDDSのみを抽出したもので毒性が低く、しかも経口で投与が可能である。
DDS成分の薬品は現在はレクチゾールの商品名で売り出しており、ハンセン病のみならず、多くの疾患でも使用される。


リファンピシンの使用
らい菌と結核菌は近縁関係にあり、当然結核菌に有効であるものは、らいにも試用された。
リファンピシンを最初に試用したのはOpromolla DV, Lima Lde S, Caprara G.であり1965年のことである。
この菌は殺菌的に作用する。
感染させたヌードマウスに投与数日後に感染性を失うという実験結果をだしたのは日本の研究者(高坂健二、森竜男)である。