水俣病7 | 化学物質過敏症 runのブログ

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・補償と救済
水俣病として認定された患者は原因企業であるチッソおよび昭和電工からの補償を受ける。
補償内容は1973年に患者と原因企業間で締結された補償協定により、一時金一人1,600万~1,800万円、年金、医療費の支給などで、認定患者の数は約3,000人(死者含む)である。
公害健康被害の補償等に関する法律(公健法)による水俣病の認定は、国(環境省)の認定基準にしたがって、国からの委託を受けた熊本県・鹿児島県および新潟市が行う。

•1974年:5歳で水俣病に冒され、18年間危篤状態だった女性が死亡。
水俣病患者100人目の死者。

•1975年:チッソ幹部が水俣病の「殺人、傷害罪」で告訴される。
昭和63年2月、チッソ元社長ら業務過失致死罪で有罪判決。

•1975年3月、水俣病関西患者の会が結成される。

•1976年:熊本地検,水俣病でチッソ関係者を業務上過失致死傷害罪で起訴。
4大公害事件で初の刑事訴追。
昭和54年3月22日、熊本地裁で有罪判決(高裁支持)。

現在の認定基準は1977年に「後天性水俣病の判断条件」として公表された判断条件(昭和52年判断条件とも言われる)で、汚染地区の魚介類の摂取などメチル水銀への曝露歴があって感覚障害が認められることに加え、運動障害・平衡機能障害・求心性視野狭窄・中枢性の眼科または耳鼻科の症状などの一部が組み合わさって出現することとされている。

•1979年:熊本地域水俣病に関わる刑事事件で、被告の元チッソ幹部2人に有罪判決。

一方、この水俣病認定基準が医学的ではなく政治的で不十分であるとの批判があり、この認定から外れた住民(未認定被害者)の救済が今日まで続く補償・救済の主要な問題となってきた。

•1980年:水俣病認定申告者が国・県も被告に加え提訴。
第3次訴訟。
以後申請者の提訴が相次ぐ。
平成5年、地裁が国・県の発生拡大責任を全面的に認める判決。

•1982年:「チッソ水俣病関西訴訟原告団(団長岩本夏義)」結成、チッソ水俣病関西訴訟提訴。

•1987年:水俣病第3次訴訟で、熊本地裁がチッソとともに初めて国と県の責任を認め、総額6億7,400万円の支払いを命じる。

•1988年:水俣病の刑事裁判で、最高裁がチッソ元社長と元工場長の上告を棄却、懲役2年・執行猶予3年の有罪判決。
起訴以来32年。

•1992年:水俣市の中学校の調査で、水俣病の偏見から文通を断られたり、修学旅行でからかわれるなどの差別に悩むケースが多いことがわかる。

国や原因企業などを相手に損害賠償請求訴訟を起こしていた未認定被害者らは、1995年、自由民主党 (日本)|自民党・日本社会党|社会党・新党さきがけの連立与党三党による調停を受け入れ、これら訴訟の大半が取り下げられた。
このときの政治解決により、被害者には一時金260万円などが原因企業から支払われたほか、医療費の自己負担分などが国や県から支給されており、その対象者は約12,700人に上る。
この政治解決を受け入れずに、訴訟を継続したのが水俣病関西訴訟である。

•1995年:政府、水俣病の未確認患者問題につき最終解決策を決定。
村山首相、原因の確認・企業への対応の遅れを首相として初めて陳謝。
国の法的責任には触れず。

•2001年:水俣病事件で国・熊本県の責任を認める初の高裁判決が下り、チッソに対する除斥期間経過も撤回した。
関西水俣病訴訟団が国・熊本県に上告を断念するように申し入れたにも関わらず、国・熊本県が最高裁へ上告する。

2004年、最高裁判所は関西訴訟に対する判決で、水俣病の被害拡大について、排水規制など十分な防止策を怠ったとして、国および熊本県の責任を認めた。
また認定基準については、1977年|昭和52年判断条件は補償協定に定めた補償内容を受るにたる要件として限定的に解釈すべきであるとし、その症状の一部しか有しないものについてもメチル水銀の健康影響を認め、チッソなどに600万円~850万円などの賠償の支払いを命じた。

•2005年:未確定患者が熊本地裁に集団提訴。

この判決の後、それまで補償を求めてこなかった住民からも被害の訴えや救済を求める声が急増した。
国は医療費の支給などが受けられる新保健手帳の受付を再開したが、この受給者は2006年11月末までに6,500名を超えている。
このほかに公健法による患者認定のあらたな申請者も4,600人にのぼっている。
さらに1,000人以上を原告として、国や原因企業などを相手取った新たな損害賠償請求訴訟も提起されるなど、救済と補償問題は未だに解決には至っていない。

•2007年10月:「水俣病被害者互助会」が、胎児の時や幼少期にチッソ水俣工場が排出したメチル水銀の汚染被害を受けたとして、2億2800万円の損害賠償を求め熊本地裁に提訴。

•2007年:水俣病関西訴訟の81歳女性が認定求め提訴。

2007年11月19日チッソの後藤舜吉会長は救済問題で、新救済策について、「(チッソの負担分は)株主や従業員、金融機関などへの説明がつかない」として受入拒否を意向を正式表明したが、鴨下一郎環境大臣は、チッソに負担を求めていく考えを明らかにした。

•2009年7月:水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法が成立。

その前文において「国及び熊本県が長期間にわたって適切な対応をなすことができず、水俣病の被害の拡大を防止できなかったことについて、政府としてその責任を認めおわびするとともに、公害健康被害の補償等に関する法律|公健法に基づく判断条件を満たさないものの救済を必要とする方々を水俣病被害者として受け止め、その救済を図る」ことが定められた。
しかし同法は、具体的な救済の範囲が示されていないことや原因企業チッソの分社化を含むものであったため批判の動きも見られた。

•2010年3月:未認定患者らでつくる水俣病不知火患者会(約2100人)が提訴した損害賠償請求について、熊本地裁は和解を勧告し、その和解協議において裁判所の所見が示された。

所見の内容は、水俣病と判定された原告に一時金210万円及び療養手当を被告の国・県・チッソが支給することとされており、原告被告双方が和解案を受け入れることを表明した。

•2010年4月16日:水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法の救済措置の方針を閣議決定。

水俣病が生ずる原因となったメチル水銀を排出した事業者であるチッソ、昭和電工の責任と、いわゆる関西訴訟最高裁判所判決において公害防止政策が不十分であったと認められた国及び熊本県の責任とを踏まえて、水俣病被害者の方々をあたう限りすべて、迅速に救済することとし、一定の感覚障害を有する方を対象に一時金210万円及び療養手当等を支給することが定められた。