化学物質過敏症に関する提言
2005年8月26日
日本弁護士連合会
【 提 言 の 趣 旨 】
当連合会は、昨今、化学物質過敏症及びシックハウス症候群が社会問題化しているにもかかわらず、未だに化学物質規制やその公的な救済が不十分な状態が続いていることに鑑み、問題点の把握とこれに対する施策を求めるため、以下のとおり提言する。
1 被害実態の調査
化学物質過敏症の被害実態について、速やかに公的な調査を実施すべきである。
2 規制の強化
(1) ガイドライン等への法的強制力の付与
厚生労働省等に策定された法的規制力のないガイドライン等の行政指導的な諸内容を法的強制力ある規制として強化すべきである。
(2) 規制対象化学物質の範囲拡大
各種法令が規制対象としている化学物質の範囲を拡大すべきである。
(3) 公共施設等における重点規制
公共施設等における規制をより厳しくして、罹患者の日常生活にもできるだけ支障が生じないよう配慮すべきである。
(4) 汚染源たる製品規制等
汚染源となる製品の規制や、有害化学物質をできるだけ使用しない建材等の製品、工法、衛生管理等の手法の開発・普及を積極的に推進すべきである。
3 救済体制の整備
(1) 一般市民や関係者への知識等の普及
一般市民、教育関係者、一般事業者等に対して、化学物質過敏症や化学物質による健康影響についての知識等の普及をより一層推進、強化すべきである。
(2) 医療体制の整備
ア 専門的医療機関の整備、医療従事者への啓発等を推進、徹底すべきである。
イ 罹患者が他の疾患に罹患した際に受診できる医療機関を確保すべきである。
ウ 化学物質過敏症を疾患として認め、保険診療の適用を認めるべきである。
エ 転地療養施設等を整備し、これを運営する民間団体等を支援すべきである。
オ 転地療養等により経済的負担の大きい罹患者への経済的支援を整備すべきである。
(3) 相談体制の整備
医療機関等の情報提供、化学物質の濃度等の調査や関連する種々の相談に
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対応する機関・制度の整備を推進すべきである。
(4) 子どもと労働者について
ア 子どもと教育への配慮
子どもが罹患して通学が困難となった場合の教育の機会の保障を推進、実現すべきである。
イ 労災による救済
化学物質過敏症自体を理由とした労災の認定がなされるべきである。
4 総合的化学物質対策の推進
2003年10月17日に当連合会が決議した「新たな化学物質政策の策定を求める決議」の内容に沿って、次の内容を盛り込んだ「化学物質政策基本法」(仮称)の制定など、化学物質に対する総合的な政策の策定を推進すべきである。
① 目的
化学物質汚染による健康被害と生態系の破壊を未然に防止し、有害化学物質のない環境の実現を目的とすること。
② 予防原則
健康被害や生態系の破壊のおそれがある場合には、化学物質のリスクが科学的に不確実であっても、使用禁止や制限等の適切な規制を行うほか、期限を設けて、リスクの低い代替品の導入を義務づけ、あるいは経済的に誘導すること。
③ 生産者責任の強化
生産者に対して、①生産から廃棄に至るまでの適正な管理のために、製品に含まれる化学物質の情報の把握と提供を義務づけること、②生産を継続する既存物質について、期限を設けて安全性に関するデータの届出を義務づけ、安全性が立証されない場合には、製造・使用を規制すること。
④ 市民参加の制度化
どのような科学的情報に基づいてどのような規制を行うべきかの政策決定に対する市民参加を制度化すること。
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【 提 言 の 理 由 】
第1 被害の実情
1 化学物質過敏症とは
ア 化学物質過敏症(Chemical Sensitivity/CS)あるいは多種類化学物質過敏症(Multiple Chemical Sensitivity)については、セロン・ランドルフ(アメリカの小児科医)やカレン(エール大学内科教授)により提唱されている、「かなり大量の化学物質に接触した後、または微量の化学物質に長期に接触した後で、非常に微量な化学物質に再接触した場合に出てくる不愉快な症状」と定義されるのが一般的である。
はじめは一種類の化学物質だけに反応していた状態から、多種類及び微量の化学物質に反応を示すように症状が悪化していくことが多い。日本では化学物質過敏症(CS)との呼称が一般的であるが、諸外国では多種類化学物質過敏症(MCS)との呼称が一般的である。
どのような症状をもって化学物質過敏症と判断するかは、症状が多様で発症の仕組みも未解明な部分もあり、難しい問題であるが、米国においては、1989年、99名の専門医のグループが、「多種類化学物質過敏症に関する診断基準の合意事項」として、次のような6項目の診断基準を提言している(⑥の基準は1999年に追加された)。
① 症状は(化学物質)暴露によって再現する
② 慢性の経過を示す
③ 低レベルの暴露(以前または通常では何らの症状を示さない量)で、症状が出現する
④ 症状は原因物質の除去で改善または軽快する
⑤ 化学的に無関係な多種類の化学物質に反応を示す
⑥ 症状は多種類の器官系にまたがる
化学物質過敏症は、目や鼻、のどへの粘膜刺激症状からはじまって、寒気・頭痛などの自律神経症状、手の震え・けいれんなどの神経症状、倦怠感・疲労感・筋肉痛・関節痛といったいわゆる不定愁訴、下痢・嘔吐などきわめて広範囲にわたる症状が現れる。そして、同じ化学物質が原因でも、ある人は頭痛が出るのにある人は下痢をする、というように、人によって現れる症状が違うことが特徴である。
イ 他方でシックハウス症候群については、厚生労働省が主催した室内空気質健康影響研究会がまとめた報告書(以下「研究会報告書」という)において、「居住者の健康を維持するという観点から問題のある住宅において見
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られる健康被害の総称」を意味する用語と定義されている。この定義におけるシックハウス症候群は、化学物質以外の環境因子も原因物質として取り込まれており、また、広い意味では建物内部のある種化学物質の中毒的な症状もシックハウス症候群として評価される場合もある。
ウ ここで、化学物質過敏症とシックハウス症候群については、両者の概念整理が必ずしも明確ではないものの、基本的に、シックハウス症候群のうち、化学物質による建物内部の室内空気汚染を原因として上記①ないし⑥の症状を示す疾病は、すなわち室内空気汚染を原因とする化学物質過敏症であるといえる。化学物質過敏症は、必ずしも室内化学物質を原因とするもののみに限られないが、室内という範囲において、シックハウス症候群と化学物質過敏症は疾病としては重なる部分があり、単に建物内部の室内空気汚染を原因とするか、それ以外の原因も含むものなのかという違いがあるだけでしかないと考えられる(下記図表)。
シックハウス症候群かつ室内における化学物質過敏症
シック
ハウス
症候群
化学物質以外の環境因子(カビ・ダニ等)による不快な症状
建物外部における要因で罹患した化学物質過敏症
化学物
質過敏
症
研究会報告書では、シックハウス症候群については、「住宅においてみられる健康障害」として、当該疾病が住宅を原因として発症する点を捉えて概念付けしている。その結果、シックハウス症候群は、保険病名として認められるまでに至った。しかしながら、化学物質過敏症については、その患者の存在を肯定しながらも、他の既存の疾病概念で把握可能な場合があるとか、発症機序が明らかでない等として、「微量化学物質暴露による非アレルギー性の過敏状態としてのMCSに相当する病態」を、化学物質過敏症と呼ぶことを否定している。このような結果として、化学物質過敏症は、保険病名として認められていない。
しかしながら、研究会報告書における概念整理に基づいても、シックハウス症候群の発症関連因子として、化学物質が存在することは自ら否定し
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ておらず、その発症機序が必ずしも明らかでないことは化学物質過敏症と同様である。にもかかわらず、なぜ「家」から発生する化学物質を原因として発症した患者には保険適用ある病名を認め、「家」以外から発生した化学物質を原因としてシックハウス症候群と同様の症状を発症した患者には保険適用ある病名を認めないのか、極めて不合理であるといわざるを得ない。
2 化学物質過敏症の被害
化学物質過敏症の患者数については、「米国で行った疫学調査によると、本症は米国人の約10%に存在するとされており、国民がほぼ同様な環境の中で生活している本邦においても同程度の割合で患者が存在すると推察される」(石川哲ら、1997年度厚生科学研究費補助金行政政策研究分野厚生科学特別研究事業「化学物質過敏症に関する研究」)との報告もあるが、必ずしも正確かつ組織的な調査結果等は存しないようである。
症状は前記のとおりであるが、ひとたび発症すると、過敏性が拡大し、反応を示す物質の種類が増えることがほとんどであり、反応する物質は、建材・農薬・整髪料・タバコ・食品添加物などきわめて多岐にわたるようになり、化学物質に溢れた現在の生活環境においては、通常の社会生活を営むことは極めて困難になる。