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おかえりなさい

避難されている人が不憫で。

地震もさることながら、原発の話がひどい。

ペットは避難所には入れないのでしょうか?


ボランティアの方がいって、残されたペットや家畜にご飯を持っていってあげているようですが、
足りていないでしょう。

檻の中に残された犬の話。

多少脚色をつけてみると、

仲の良い、2引きの犬がいて、
いつもいっしょで、散歩もご飯も寝るときも一緒でした。

地震がきて、原発がはじけて、
家主は避難。

彼らは、檻の中に取り残されてしまいました。

「腹減ったね」
「そうだね」
「ご主人は、いつかえるのかな」
「じき、かえると思うよ」

そんな数日が過ぎて。

やがて、片方が動けなくなる。

「もうだめみたい、ご主人によろしく」
「もうそろそろだと思うけど・・・」
「もし、ご主人が戻る前に、僕が死んでしまったら、遠慮なくたべてね」
「もうちょっとがんばろうよ」
「君はいつもまえむきだったね」

「もし、食べるのなら、頭からたべてね、頭をすっかりたべてしまったら、あとはただの肉の塊、
普段のご飯とかわらないよ」

犬は人間のようには泣かない。

でも、仲良しの頭を、どんな気持ちで食べたのはかは、
絶対にわからない。

飼い主が何とか一時的な帰宅で戻ってきたときに、

頭がすっかり無くなった1匹と、

仲良しのもう一匹の、

2匹が、

飼い主を待っていました。

嬉しかったけど、悲しくてしょうがなかった。

菊池恵楓園

昔、ハンセン病はおそろしい伝染病であり、
かつ、
遺伝する病気であるとされていました。

病気にかかると、
隔離されていました。
法律でそうなっていました。

現在では、感染力は低く、日本では完治する病気であるとされています。

以前の誤った認識によって、
人生をまるまる奪われてしまったひとが、沢山しました。


小学生で発病して、
ある日、おかあさん遊園地にいくと、つれられて、
いきなり、収容されてしまった。

それから、50年たって、

生まれ故郷に帰ってみた。
(法律がかわって、収容所から自由に出入りができるようになった、最近の話し)

バスで、家にむかった。
50年たって、記憶が薄れてしまって、
小さい集落だったので、
周りの家も、すでになくて。
いったい、どこが、自分の家なのか、
思い出すことができなくて。
この、畔道の途中どこかだったった思うのだけれども。


でも、記憶のなかで、
家の庭に、

しだれ桜があったのを思い出た。

すでに、あんまり見えなくなった目で、

しだれ桜はみえませんか、どこかにしだれ桜が、
あると思うのですが・・・

道も少しづつ、狭くなってきて、

バスが通りにくくなってきた。


思い違いだったか、みんながおもいはじめたとき、

バスの運転手が、
しだれ桜、あった、さくらありましたと、
どなるようにいった。


かろうじて、家が建っていたとおぼしく、荒れ地のすみに
しだれ桜が咲いていた。

50年、待っていてくれたようで、
なくなってしまった、この50年をかみしめて
泣いた。

キリングフィールド

残りは、灰色狼2頭。



海外での話し。
60代の男性が、自殺を図った。
自殺をする前に、飼っていた動物を解放して、
それから、死んだとのこと。

50匹以上の動物が、飼われていたようで、
そのすべての檻が、開け放たれていた。

この男は、日本の感覚でいうとかなり広いところに住んでいたようで、
東京ドーム6個分の広さに、動物たちはちりじりに逃げた。

動物といっても、ライオンやらトラやら、相当大型な動物もいた模様。

初めは、動物を保護しようとしていた行政も、残念ながらこれを断念。

射殺、という形に切り替えた。


しかし、殺されるほうはたまったものではない。

なんとか、逃げてほしいとも思うが、数百キロの体重の動物が、

生きていくは相当しんどい。

すでに、この殆どが射殺されてしまった。

残りは、狼が2匹。

できれば、どうにか生き延びてほしい。

別段、悪いこともしていないし・・・・。

飽食の人間社会。

狼が2匹ぐらい、どうにかなるはず。

申し訳ない。人間が至らないがため、迷惑をおかけしました。

生まれ変わったら、楽しくやりましょう。