マキヲのひとり旅 -7ページ目

マキヲのひとり旅

2枚目になれない3枚目4コマ目の自称珍道中

みなさんお元気ですか?お久しぶりです。
ブログの更新、お待たせ致しました。
過去の記事を読んでいて下さっている方、いつもどうもありがとうございます。

この春から聖書の学びを始めました。
学びをシェアしたかったのですが、なかなか取りかかれずにおりました。
次のブログ記事こそは聖書からと決めて早数ヶ月…。
ようやく一歩が踏み出せました。

これからも聖書の学びや、聖書からのメッセージを連想できそうなヨハン・ゼバスティアン・バッハの調べをシェアさせていただきます。

どうぞよろしくお願い致します。

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篠崎史子/ 主よ、人の望みの喜びよ ~カンタータ第147番 BWV147より (青島広志編)
『華麗なるハープ名演集』


「バーラ―」とはヘブライ語で「(神が)創造した」という意味です。
ちなみに、ヘブライ語は、旧約聖書の原典で使用されている言語です。
創造という言葉は、神学的には”神が創造した”という限定された意味となります。

旧約聖書の創世記が書かれた紀元前597年頃、「バビロン捕囚」が起こりました。
現在のイスラエルの位置にあった、「ユダ王国」は隣国「新バビロニア」の進撃を受け降服しました。
ユダ王国にいたユダヤ人(ユダヤ教を信仰している人々)は捕虜となり、バビロンに連行されました。
捕虜の中に旧約聖書の著者がいました。
著者が見る現実は以下のようなものであった と推測します。
力の強い者が弱い者を圧迫している/無秩序な状態である/混沌としている

創世記第一章は「初めに、神は天地を創造された。(第1節)」との宣言から始まります。
混沌として無秩序な状態から、公正、秩序がある、平等、平和な状態を神が創造したということを、祈ったとも宣言したとも受け取れる、著者の強い思いを私は感じます。

「光あれ(第2節)」は、神が光(秩序)と闇(無秩序)を分け、
いずれは著者自身が捕虜から解放されるであろうという希望を表現しているのではないでしょうか。

第一章にて神は、6日間と1日(1日は安息日)で天地を創造します。
(昼と夜/大空/陸と海/植物/天体/海と空の動物/陸の動物/人間(男女)/安息日)
第31節にて、「神はお造りになったものすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めてよかった。」とあります。

人間を創造し、ご覧になり、極めてよかったということ。
権力者から捕らえられている自分でさえも極めてよかったと神からの祝福を受ける。
著者は、生きているということで祝福されているのだと感じたのではないでしょうか。

権力を持っているから、大多数の中にいるから、豊かだから、世の中に貢献しているからということで、私たちは祝福されているのではありません。
神から祝福を受けるのに条件などありません。
私たちが、生きていること自体が、神から祝福を受けるに値するのです。
第31節からの、現在を生きる私たちへのメッセージであると私は考えます。

現代の私たちは、生きていく上での選択肢に恵まれています。
従って個性を表現できる時代に生きている筈なのですが、
一方で過当競争や権威社会により、個性が抑圧されています。
その影響で、心身に支障を来してしまう方が大勢いらっしゃいます。
そのような状況の中、自分は誰にも受け入れられないと、感じてしまった時には、
第31節の解釈を思い出してみてください。

あなたは、今、祝福されているのです。

ご紹介する曲、J・S・バッハの「カンタータ第147番BWV147~主よ人の望みの喜びよ」
(讃美歌第二編№228「こころに主イエスを」)。
この曲の歌詞の2番には「なやみのときにもなぐさめたまえり」とあります。
そして、私の感想ですが、メロディに「人間の存在への祝福」を感じます。
ハープによる演奏のみです。是非聞いてみてください。