昔、もうもの凄く昔のこと(笑)
私が大学生の時、たぶん3年くらいの頃、住んでいた下宿の隣の部屋に入居した後輩は、部屋にいる間ずっと同じカセットテープをほとんどエンドレスに聞いていました。兄が録音してくれたテープなんです。そのテープのことを彼はそう言っていた記憶があります。そのテープに収められていたのはフォークシンガー加川良と斎藤哲夫の歌が数曲づつだったと思います。薄い壁の4畳半一部屋の下宿でしたから、その後輩がかけ続けるそれらの曲を私もずっと聴くことになります。斎藤哲夫の「悩み多き者よ」とか「吉祥寺」、加川良の「伝導」などは今でも好きな曲なのですが、その頃一番耳に残ったのは加川良の「教訓Ⅰ」と言う歌でした。調子の良い曲で知らないうちにメロディも耳に残り身体に沁みてしまいます。けっして嫌いな歌ではありません。しかし、同時にこの歌には強い違和感も感じたのです。強い共感と強い違和感を同時に感じるなんだか私にとっては不思議な存在の曲です。
これは、かなりはっきりとした反戦歌でしょう。
教訓Ⅰ 加川良 歌詞情報 - うたまっぷ
私の学生時代はまだ学生運動などの名残もわずかには残っている頃でしたから、そう言う考え方も当然だったと思います。今だってもちろん戦争は忌避すべき物でしょう。そんな中に望んで飛び込んでいくなど考えてはいけないこと、だと思います。
しかし。
この歌の歌詩を何度か読んでいるうちにその時感じた違和感をまた思い出していました。
「お国はおれたち死んだとて ずっと後まで残りますヨネ」
アメリカと戦争していた時、日本の若者たちは、果たしてこの戦争に負けても日本という国はずっと後まで残るのだ、と思っていたでしょうか?
特攻機でアメリカの艦船に体当たりを敢行して死んでいった若者の中には、もちろん死にたくないと思いつつ上官の命令でいやいや死んでいった人もいたでしょう。しかし、国を守りたい、故郷や家族を守りたいという切実な気持ちで死んでいった人も数多くいたと思います。それは特攻に限らず戦死した若者たちの多くは同じだったと思うのです。彼らはアメリカに負けても日本はずっと後まで残る、などとは思えなかったはずです。
「日本は空襲や原爆などアメリカにはとてもひどい目にあったはずなのに、どうして今の日本人はこんなにアメリカが好きなんだろうね?」
高校生くらいの時、私は父にそんな質問をしたことがあります。昔の色々なこと(しかも今考えるとほとんどは有りもしないこと)を理由にして日本を目の敵にし続ける中国や韓国と比べ日本人は人が良すぎるような気がしたのです。
父は少し考えて、
「戦争が終わってアメリカの影響を受けてから、戦争前よりはっきり生活が良くなったからだろうな。」と言いました。
なるほど。とても説得力があると思いました。(しかし、それでも中国や韓国と比べ・・・、人が良すぎるような気はしましたが(笑))
そんなことを含め、日本の戦後は随分幸運だったと思います。占領したのがアメリカ中心の連合軍で、占領後は色々あったにしろ他の国(例えばソ連や中国)に占領されるよりははるかにましだっただろう亊。そして終戦からあまり間を置かず米ソの対立や朝鮮戦争などが起こりアメリカの占領方針も大きく変わった亊。占領軍が主導して作られた憲法を盾に防衛費(軍事費)をあまりかけずに経済再建に注力できた亊等々。日本は戦争に負けたことで戦前より住みやすい国に生まれ変わることができました。
しかし、これは世界史的に見ても奇跡のようなことです。
歴史を見れば戦争に負け他の民族に支配されるようになって、それ以前より生活が良くなったなどという例はあまりないのでは無いかと思います。むしろ悲惨な状況を迎えるケースの方が圧倒的に多いと思うのです。
「お国はおれたち死んだとて ずっと後まで残りますヨネ」
こんな事を気楽に言えるのは戦後の日本人だけなのではないか。そんな気がします。
今ロシアがウクライナに侵攻し毎日悲惨な報道が伝えられます。
この戦争が始まった時、ウクライナの人に向かって、プーチンが死んだ後に国を立て直せば良いのだから今は逃げるべきだ、と言っていたテレビのコメンテーターがいました。10年、20年の辛抱だ、とか。そのコメントを知った時、昔「教訓Ⅰ」を聴いて感じた違和感を思い出していました。国を離れて10年20年後に帰ることができる保証がどこにあるのでしょう。その国に残って侵略者に降伏したとして以前の平和な暮らしを取り戻せる保証がどこにあるのでしょう。ウクライナの歴史を考えれば、「お国はおれたち死んだとて ずっと後まで残りますヨネ」などと言うことを簡単に言えるはずが無いと思うのです。
無責任に戦うべきだなどと言えるはずはありません。
しかし、戦う覚悟を決めている人たちに、逃げるべきだとか降伏すべきとかとも言ってはいけないような気がします。
なんとかロシアの方針を変えさせることはできないか。
プーチンの気持ちを変えることはできないか。
これ以上悲惨なことは起きて欲しくない。
でも、やはりウクライナの人が自ら決めたことに私たちがこんな所から口を挟むことはしてはいけないことのような気がします。
今、私にできることは、
一日も早く平和が戻ってくれることを祈る亊だけなのです。
またとても強い共感と強烈な違和感を感じつつ「教訓Ⅰ」を聴いたのでした。