朝、ぼんやりと寝転がっていると妻がにこにこ笑いながら近づいてきます。
「今日って、敬老の日なんだよね。」
「?・・・あっ、そうなんだ。」
「敬老の老って、65歳以上を指すんでしょ。」
・・・。くそ。そう来たか! ・・・(笑)
「敬えよ。」 ・・・(笑)
まあ、どうでもいい話です(笑)
何か音楽を聴きたいな、とYouTubeをあれこれと見ているうちに一つの動画を見つけました。
シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレイト」
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団 1970年4月27 & 29日録音
実は、これは私がクラシック音楽を聴き始めたばかりの頃、たぶん高校生になったばかりの頃に話題になったレコードでした。1970年に亡くなったジョージ・セルのほぼ最後の時期の録音。最晩年にEMIに録音した数少ない録音の一つです。
初めて聴いたレコードがジョージ・セル指揮の「運命」・「未完成」だった私にはとても気になるレコードだったのですが、何故かディスクを手に入れることも別な手段で聴く機会もなく今に至っていました。
ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団の「ザ・グレイト」は1957年に録音した音源もあります。そちらは今でもソニーからCDが出ていますし音源は入手しやすく、私も音源を持っていますし何度も聴いています。またセルがこの「ザ・グレイト」と同じ頃にEMIに録音し同じように話題になり高く評価されたドヴォルザークの交響曲第8番もとても好きな演奏の一つです。でも何故かこの1970年の「ザ・グレイト」は聴く機会が無いままになっていました。
セルの音楽ですから1957年の録音と大きく変わることはないだろうと思いながら聴き始じめたのですが、演奏が始まったところからちょっとした驚きとわくわく感のある演奏でした。細かいディナミークの変化やテンポの揺れがとても瑞々しい音楽を作りあげていきます。たしかに全体の設計は1957年の録音と大きくは変わっていないと思います。しかし指揮者が厳しく作りあげていた1957年の録音と比べるとオーケストラが遙かに自由に自発的に演奏しているイメージです。録音もとても明瞭で細部の音もよく聞こえます。あっ、こんな所でこの楽器が鳴っていたのか、なんて発見することすらあったのです。
ああ、とても良い歌だな。シューベルトの歌。セルの歌。クリーヴランドの歌。
もっと早く聴いていれば良かったな。
でも、今聴いたから良かったのかな。
何だかとても良い気分になれる演奏、でした。
こちらは1957年の録音です。
セルは1970年に初来日し、帰国した直後に生涯を閉じました。そして、まさにその年に録音されたのがこの《ザ・グレイト》です。長年にわたって手塩にかけ、完全に「自分の楽器」となっていたクリーヴランド管弦楽団を隅々までコントロールした演奏は驚異的な精度を誇ります。オーケストラ演奏の極致とも言えるでしょう。
ドヴォルザーク:交響曲第8番「イギリス」他、シューベルト:交響曲第9番「ザ・グレイト」
ワーナークラシックスの強力音源を厳選し、海外リマスター音源より発売するシングル・レイヤー盤。収録時間のメリットを生かして、LP、CD、ハイブリッド盤では2枚となっていた音源を1枚に収録。
1957年録音盤
シューベルト:交響曲第8番「未完成」&第9番「ザ・グレイト」
ロマンティシズムと古典主義を絶妙に均衡させ、シューベルト作品の本質を突く名演。
セルとクリーヴランド管が残したシューベルトの交響曲は当アルバム収録の2曲のみ。溢れんばかりのロマンティシズムやリリシズムを古典主義という厳格な枠組に盛り込もうとして葛藤するのがシューベルト作品の本質であり、セルの解釈はその二つの要素を絶妙なバランスで均衡させるところにある。。一つ一つの音符が生き生きと躍動するかのような緻密なダイナミズム、格調の高さ、オーケストラの各パートの綾が見えるような透明感、独自のオーケストレーションの改訂など、いずれも「匠の技」と呼ぶにふさわしい。「ザ・グレイト」は最晩年のEMIへの再録音も有名だが、その13年前の当アルバムの演奏は、ゆるぎない造形力と引き締まった表現力、確かな構成力がより強固に全曲を統一している。「未完成」での折り目正しい歌心も特筆すべき充実度である。