今日は何だかワルターのモーツァルト40番が聴きたくなりました。1952年の、ウイーン・フィルとのライヴ、です。
この録音を初めて聴いたのは大学生の頃のことだったと思います。それまでワルターのモーツァルトというとコロンビア管弦楽団のレコードで聴いたイメージでしたので、この演奏を友達がFMから録音したテープから聴いた時はかなり衝撃を受けた物でした。何よりも第一楽章の頭の主題にかけられたポルタメントです。これだけで一瞬あっけにとられるに充分な物でした。特にその頃バッハの受難曲の演奏に参加したりすることで、ロマンティックな解釈を排除した楽譜に忠実な演奏、などと言うことを強く意識していた時期でしたので、その友人ともこう言った表現はどうなのかなどと長い時間話し合った記憶があります。(今聴いたらお互いに知ったかぶりの中途半端な知識で偉そうなことを語り合っていたなと赤面するようなことではありますが、その頃はそう言うことが何より楽しかったのです(笑))
この演奏、このポルタメントが有名で、この演奏のことになるとまずこのことが話題になります。古い時代のスタイルと言うような批判もあるかも知れませんが、何故この時ワルターはここの部分でこのように演奏させたのか。私にはただの懐古趣味にすぎないこととは思えません。音楽家としての、人間としてのワルターの万感の想い。ワルターとウイーンフィルメンバーの間の強い共感がこのポルタメントばかりでは無く第一楽章全体の表現に繋がっているように思えます。そしてそれに続く第二楽章の深い哀感をともなったロマンティックな歌。ウイーンフィルだからこその表現に違いありません。木管楽器や弦がかもしだす独特の香り。決然とした表情で始まる第三楽章。それに対比するようなトリオでの情感。そして速めのテンポで引き締まった表情の最終楽章。哀しみも苦しみも乗り越え、さらに前を見つめるワルターの毅然とした姿がそこにあります。
1952年のライヴ録音にしては良好な録音だと思います。曲の始まる前と終わった後の拍手にウイーンの聴衆がワルターを迎える気持ちがこもっているように思えたのは私の思い込みのせいでしょうか。
曲の途中でかすかにしかし何度も聞こえるうなり声のような声や歌っているような声はワルター自身の声なのでしょうか。それもまたワルターの気持ちの入り方、このコンサートへの思い入れがリアルに感じられるような気がしました。
久し振りに聴きましたが、やはり、素晴らしい演奏ですね。
世紀の名指揮者ブルーノ・ワルターがウィーン・フィルを振ってモーツァルトの2つのト短調交響曲を演奏した、まさしくエヴァーグリーンな名演です。戦後の復帰演奏会の感動の記録となるものです。ワルターは戦前の名指揮者たちの中では珍しく、ステレオによるスタジオ録音を多くのこしており、40番はコロンビア交響楽団とのステレオ録音が残されているわけですが、多少の録音の悪さなど、「ワルターがウィーン・フィルを振ってモーツァルトを演奏」という事実の前には障害にはなり得ないでしょう。「40番」における弦のポルタメント、「25番」における造型の厳しさと迫力は、まさに空前絶後の名演といえましょう。