亀田俊和「観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」 史上最大の兄弟喧嘩 | クラシック音楽と読書の日記 クリスタルウインド

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ちょっと前に読んだ「室町の覇者 足利義満」はとても面白い本でした。

 

 

それで義満の時代から義持、義教の時代辺りまで辿っていくと、今まであまりよく分からなかった室町幕府の実態が少し分かったような気になります。でも、そうすると・・・

 

と言うわけで、今度は中公新書の亀田俊和著「観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」と言う本を読み始めました。

(戦国時代から、応仁の乱、足利義教~足利義満ときて今度は足利尊氏対足利直義、どんどん時代を遡っている感じです。この調子でいくと来年の大河ドラマが始まる頃には鎌倉幕府の創成期にたどり着いているかも知れません(笑))

 

「観応の擾乱(かんのうのじょうらん)は、南北朝時代、正平5年/観応元年10月26日(1350年11月26日)から正平7年2月26日(1352年3月12日)にかけて、足利政権(室町幕府)の内紛によって行われた戦乱。
将軍足利尊氏の弟で幕府の実権を握る足利直義の派閥と、幕府執事高師直・将軍尊氏の派閥が争い、最終的に師直も直義も死亡したことから、生き残った尊氏が擾乱に勝利した。」(Wikipedia 観応の擾乱 より)

 

まだ南北朝の争乱も終結しないうちに、足利政権内部は有力御家人等の対立で混乱しました。将軍足利尊氏が政治の実務にあまり関与しなかったため実質的な幕府の最高責任者となっていた尊氏の弟直義と足利家の執事として権力を振るっていた高師直、師泰兄弟の対立は深まっていきます。そして尊氏を担ぎ上げた高師直、師泰兄弟と京を抜け出した直義の間に内戦の火蓋が切られ・・・。

 

たぶん足利直義と言う人に、尊氏のカリスマ性か軍事的な才能のどちらかがあれば室町幕府の歴史は全く違った物になっていたに違いありません。政治的なセンス、統治能力に優れた直義は、しかし軍事的な才能には見放されていたように思えます。兄の尊氏は政治家ではありませんし、組織を作ったり国を統治するというようなことには全く興味が無かったように見えます。(かなり不思議な武将です(笑)) しかし、軍事的才能とカリスマ性は圧倒的でした。しかし何より不幸だったのは兄弟が仲が良かったことかも知れません。時に冷酷な政治家の面を見せる直義が兄尊氏を憎むことは出来なかった。どんなに対立しても結果的に兄を排除することが出来なかったのです。(尊氏は最後まで優柔不断(笑))

 

この本を読むうちに、室町幕府のシステムと言うか政治の実情が少しずつ分かってくるような気がしました。中学高校の歴史で習ったことはもちろんその後に得た知識も含め歴史的事項を覚えるだけでは、そこで何が起きていたかが全く分からないのだと言うことを改めて感じたりします。何か事件が起きたというその事を覚えても、それはいったいどんな意味があったのか、そこで何故どのようなことが起きていたのかと言うことが分からなければ何も意味が無いことなのでは無いか。そんな気がします。色々興味を持って本を読むと面白いことが随分たくさんあります。歴史って、面白すぎます(笑) まあ、しかし興味あることをすべて知ることはとても出来そうも無いことではあるのですが・・・。それにしても当分楽しむ材料が無くなる事は無いようです。

 

 

 

 

 

観応の擾乱 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い (中公新書)

観応の擾乱は、征夷大将軍・足利尊氏と、幕政を主導していた弟の直義との対立から起きた全国規模の内乱である。室町幕府中枢が分裂したため、諸将の立場も真っ二つに分かれた。さらに権力奪取を目論む南朝も蠢き、情勢は二転三転する。本書は、戦乱前夜の動きも踏まえて一三五〇年から五二年にかけての内乱を読み解く。一族、執事をも巻き込んだ争いは、日本の中世に何をもたらしたのか。その全貌を描き出す。