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あれは確か、まだ受験生だった頃。
大学受験の模擬試験だったと思います。
国語の試験問題の中にあった一編の詩を見ているうちに思わず涙が出てきました。
顔を伏せながら止まらなくなった涙に私はうろたえながら、頭の中でその試験問題を作った人に罵倒の言葉を叩きつけていました。
詩は音楽と同じくらい純粋な芸術だろう。その中の言葉の逐一の意味を問題にしてみても、それにその解釈を問うてみても、それがいったい何になるのだろう。いったいそれに正解などあるのか? ・・・なんて。試験問題にこんな詩を出すなど、なんて無粋なやつなんだ!!
まあ、今から考えれば馬鹿馬鹿しい話ではありますが、その時は本気で出題者に腹を立てたのです(笑)
その詩は、高村光太郎の智恵子抄の中の一編、「レモン哀歌」でした。
たぶん10代の後半くらいの年頃は、色々な意味で感じやすく、それと同時に自分勝手な思い込みで気負ってみたり傷ついてみたりしていたのだろうと思います。恋に悩んだり人間関係に悩んだり、意味不明の自信を持って大人ぶってみたり、そのくせちょっとしたことでどうして良いか分からなくなりうろたえまくったり・・・。
そんな頃、一人になり落ち込んでしまった時など、1番良く聴いた一枚のレコード。
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団 モーツアルト 交響曲第第38番「プラーハ」
元気が良く明るく晴れやかな微笑みとゆらめきながら交差する哀しい表情。そんなモーツアルトの音楽をワルターは優しく慈しみのこもった眼差しで描き出していきます。喜びも悲しみもワルターの微笑みの中に浄化されていくようです。
書きながら再確認したのは、私にとってのモーツアルトはまさしくこの一枚のレコードに集約されているのでは無いかと言うことでした。これがモーツアルトなんだと。
このレコードを聴きながら一人泣いたこともあったなぁ、なんて。
書いていて、恥ずかしくなってきちゃいましたね(笑)
今日は泣いたことばかり。
かなり情けない話でした。まったく・・・
それでは、また。