この動画は、ウィレム・メンゲルベルク 指揮 ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で、 1930年1月に録音されたものです。
メンゲルベルクの「エロイカ」は1940年のコンセルトヘボウによる連続演奏会の録音がトラブルなどがあったらしく他の曲と比べ極端にノイズが多く聴きづらい出来上がりになっていて残念な状態なのですが、その10年前のニューヨークフィルとのこの録音は年代を考えると意外なくらい聴きやすい音です。
メンゲルベルクの自在なテンポ。そして、特に第2楽章などで聴けるポルタメントをかけた濃厚な表情付け。そんな指揮者の指示に一糸乱れずついていくニューヨークフィル。
たぶんメンゲルベルク以外には絶対できない音楽。とても魅力的です。
メンゲルベルクは1922年から1930年まで、ニューヨークフィルの首席指揮者を務めていました。
しかし、彼の任期の最後の2年、ニューヨークフィルはトスカニーニとの双頭体制という、贅沢な、と言うかある種恐ろしい体制を選択したのです。
メンゲルベルクの音楽とトスカニーニの音楽、素人が考えても水と油ですね。それで楽団員はどう対応していくのか、なんて誰も心配しなかったのでしょうか、ね(笑)
H.C.ショーンバーグ著「偉大な指揮者たち」と言う本の「ウィレム・メンゲルベルク」の章には、「(トスカニーニは)メンゲルベルクの大事にしていた考えをことごとく棄て去り、オーケストラを作り替え始めた。」「メンゲルベルクの練習は無政府状態に陥った。」と書かれています。
しかし、この動画の音源が録音されたのは1930年1月ですから、これがメンゲルベルクのニューヨークフィルでの最後の仕事のような物だと思われます。
ここで聴かれる、オーケストラの音の艶やかさ、アンサンブルの見事さは、とても権威も尊敬も失い、練習が成立しないような状態になってしまった指揮者とオーケストラの仕事には思えません。これはやはりメンゲルベルクという人の指揮者としての力と、彼がこの楽団に残した遺産がそれだけ大きな物だったと言う事なのだと思います。
あのトスカニーニが怒り狂って罵声を浴びせても、そう言った物をすべて拭い去るのは簡単では無かったと言うことのように思えるのです。
この任期が終わって、ヨーロッパへ戻ったメンゲルベルクは、その後ニューヨークの舞台に立つことはありませんでした。
オランダがナチスドイツに占領された後、ナチスの誘いに乗りドイツの指揮台に上がったメンゲルベルクですが、そのとき彼の脳裏に反ファシズム、反ナチスでヒーローになっていたトスカニーニの存在がちらついた、なんてことは無かったのか。トスカニーニに対する対抗意識は絶対に心の隅にあったのでは無いでしょうか。そして、その結果が戦後の失意の日々。因果はめぐる、と言うか何と言うか・・・。
何はともあれ、今こういう音源を気軽に聴くことができるのは嬉しいことです。
たぶん今後こんな演奏はあり得ないでしょう。それが良いことなのか悲しいことなのかはなんとも言えません。でも古い演奏だから、とか時代遅れのスタイルだからと行ってすべて否定するのはおかしな事です。聴いて良い音楽は時代が変わろうがやっぱり良い物だと思います。
トスカニーニ、フルトヴェングラー、ワルター、それにメンゲルベルク。個性的な演奏家がひしめいていた時代に、タイムトラベルでもした気分でもうしばらく音楽に浸ってみようかな。