集団的自衛権とは、防衛省によると、
自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、
自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、
実力をもって阻止する権利とされています。
日本が武力攻撃されていないことが前提ということは、
集団的自衛権の行使は、日本国が他国の自衛戦争に軍事介入して、
戦争を開始することを意味しているのです。
覚悟をもって集団的自衛権の行使はしなければなりません。
憲法9条の解釈を変更することなく
憲法9条を規定を改正してしっかりと憲法に謳って集団的自衛権の行使するべきで
日本政府の悪いクセで
現実から崩壊している国民年金や介護保証制度を現実から逃避して
糊塗し調整し抜本的見直し改革をしないのと同じです。


憲法9条の規定を改正し防衛抑止力の為にも核武装の必要性が急務であると思います。
核武装していない自衛隊が核武装している戦艦に戦闘をした場合、
自衛隊が返り討ちにある可能性もあります。
安倍首相は、パネルを表示して、
核武装していない海上自衛隊の自衛艦が、
核ミサイルを搭載している米国の戦艦を守るというが ナンセンスな議論です。
本当に言いたいのは侵略国家に対して自国日本を守り
他国に付け入らせない防衛軍を国民の平和の為に備えたいということに尽きると思います。
ですから護衛とは方便だと思いますが
米国海軍はベトナム戦争の時代から多数の核ミサイルを戦艦に搭載しており、
必要に応じて発射できるのです。
核武装していない海上自衛隊の自衛艦が核ミサイルを搭載している米国の戦艦を守るという
戦艦の護衛になるわけがありません。
更に、米国はNATOに加盟しており、米国が武力攻撃を受けると
NATO加盟国20カ国以上が米軍と一緒に戦います。
自衛隊の軍事的貢献などたかがしれています。
しかし 懸念されるのは、習近平国家主席が「中国の夢」を掲げ、
屈辱の歴史からの復興を鼓舞していることだと思います。
いったい中国は、どこまで領土拡大すれば夢が実現するというのだろう。
北朝鮮、韓国と取り巻く環境が御存知のとおり

尖閣諸島、竹島問題など・・・

日本国が他国の自衛戦争に軍事介入して、戦争を開始することを意味しているでなく
自国を守る為にあくまで日本国憲法は平和主義を基調とし
憲法9条の解釈を変更することでなく改正をするべきだと考えます。
自国を守るということは戦前回帰・軍国主義といった視点ではとらえられないのではないか
国を守らなくして平和はないのではないか
このままの今の憲法9条であれば
侵略されそうになったとき自衛隊が返り討ちにあう可能性がある

今の憲法9条の解釈を変更することでなく改正をするべきだと
その必要性が急務であると思います。
オレ自身若い時はリベラルでした。
自分に守るべきものが見つかった時、人は保守になる
これはこの歳まで生きてきたから言えることだとオレ自身思えるのですが・・・
同盟国と自国を守る為に一歩進んだ軍備と心から叫びたい
読売新聞
中韓は東京裁判のA級戦犯が靖国に合祀されていることを問題視する。だが、東京裁判は日米戦争の報復という色彩が強く、標的は日米開戦時の東条英機首相だった。日中戦争の引き金となる満州事変の首謀者は除外され、朝鮮支配とも直接的な関係がない。
にもかかわらず、中国がなぜ「歴史の攻撃」を企むかについてドーク教授は、「戦争に敗れた国を使って、自分が上位に立ち、自己を正当化しようとしている」と述べ、弱体政権が対外的に強く出るからくりを指摘する。なるほど中国は昨年9月以来、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の領有権を主張する際に歴史カードを巧みに使う。日本が第二次世界大戦を反省せず、戦後秩序を崩そうとしているとの宣伝である。
懸念されるのは、習近平国家主席が「中国の夢」を掲げ、屈辱の歴史からの復興を鼓舞していることだ。いったい中国は、どこまで領土拡大すれば夢が実現するというのだろう。
手元に届いた中国研究の泰斗、岡田英弘氏の『岡田英弘著作集 歴史とは何か』(藤原書店)をひもとくと、中国五千年なる“歴史”が実は幻想であることが分かる。
唐で完成した大帝国も、その後継である宋がモンゴルにのみ込まれ文明としての独立性を失う。一時、明が復活したかに見えるが、実は元のときに入り込んだ外来民族で、その制度も唐や宋にさかのぼるものは、何一つ見つからないという。明はモンゴル文明の一つにすぎず、清は文字通りモンゴル文明であり、清の公用語は漢語ではなく満州語で、さらに毛沢東時代は共産革命で歴史を拒否しており、中国は典型的な「歴史のない文明」なのだと説く。
その文明が日欧のような「歴史のある文明」と摩擦を起こすと、故事来歴を示す証拠が不足して分が悪くなる。そこで軍事力を増強し、「トラブルが起こったときに、軍事力で圧倒するというやり方なのだ」という。
近年の尖閣諸島をめぐる中国の対応を見ると、ピタリ平仄が合う。実は「歴史」という言葉自体が明治期につくられた日本語の借用で、中国のいう「歴史を鑑に」とは政治的詐術にすぎない。習主席が「中国の夢」という幻想にとりつかれると、周辺国に迷惑をまき散らす。(東京特派員)