初めまして、こんにちは
登丸はるかです。

女神のための宇宙レッスン

Tomaru Haruka
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千葉県在住、男の子ふたりのママ
講師歴18年、セラピスト歴10年
ご自身の魅力や才能に氣づき
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女神感性*惹き寄せ集客メソッド主宰
蒔田彩さん主宰引き寄せライティング認定講師
 
 

今までの私の人生を

まとめてみようと思い

「Haruka’s STORY」

を書いています。

 

 

今回は「就職〜結婚・出産」まで♪

 

 

就職〜専門学校

 

 

大学卒業後、

「人に接する仕事がしたい!」と思い

百貨店に就職しました。

 

 

メイクばっちり、ハイヒール履いて

デパガに♡

 

 

 

(華やかなデパートガール時代♪)

 

 

私が就職した年に、

有名ブランドのショップが入ることになり

そこに配属されました。

 

 

そして、その年のクリスマス時期に

全国で上位の売り上げを作り

表彰されました!

 

 

人間関係もすごく良くて

先輩たちから可愛がられ、

ショップの売り上げも順調で

上司から褒められ・・・

 

 

課のみんなと飲みに行ったり

男性社員とデートしたり、

朝までオールでカラオケしたり

社会人としての楽しさを

満喫していました。

 

 

ストレスのない職場環境、

良好な人間関係、、、

多くの人はきっと、

ここに居続けますよね。

 

 

安心&安定の場所に居続ければいいものを

 

「まだ体験したことのない仕事に

チャレンジしてみたい☆」

 

「一部上場企業のOLさんになりたい☆」

 

思ってしまい転職活動開始

(この選択が後々悲しい体験へ。。)

 

 

ある会社の

社内報を書く広報部のお仕事に惹かれ

応募しました。

 

 

ふたりの採用に対して100人以上が

中途採用試験に来ていましたが、

SPI試験、面接、論文、と順調に進み、

最終面接へ。

 

 

最終面接の前にやった論文では

「社内報の役割」という

ざっくりとしたテーマで書かされたのですが

 

 

最終面接の時に

当時の広報部の部長さんが

「当日与えられたテーマなのに

理路整然と、上手に書けていましたね」

と褒めてくださったんですよね。

 

 

(この時のこと、

最近まで忘れていましたが、

「書くこと」が好きだった

褒められた体験も今のライティングに

繋がっている氣がします^^)

 

 

無事に採用していただき

百貨店を退職、

転職OLになりました。

 

 

念願の、完全週休2日のOLになり

都内への通勤が始まり、

社内報づくりやラジオCM収録を

楽しむ毎日・・・

 

 

だったのです

一緒に中途入社したもう一人の女性から

無視されるようになり

大人になってまた

いじめられてしまったのです汗

 

 

 

 

原因は、彼女の私に対する嫉妬でした。

 

 

実は広報部でふたり採用されたのですが、

社内報を書く仕事は私の担当となり、

彼女には違う仕事が振り当てられたのです。

 

 

「社内報を書く仕事」への思いが、

なんなら私なんかより何倍も

彼女は強かったんですよね。

 

 

「採用してもらえたけれど社内報を書くのは

もう一人の人(←私)に取られてしまった」

と感じてしまったようで、

私が敵になってしまったんですね。。

 

 

調和が大事で、誰とでも

心地よく付き合っていきたい私・・・

当時は言い返すことも

「どうして?」と聞くこともできず

ただ悲しくて悲しくて。

(今の私なら、体育館の裏に呼び出しますけどねっ!)

 

 

帰りの電車の中で

ポロポロ涙を流しながら帰るようになり

(あ〜、健気、若かった・・)、結果、

出社できなくなりました。

 

 

自律神経失調症になり、

自宅に引きこもるように。

 

 

人生で初めてのどん底体験

だったと思います。

 

 

この時、母から言われた言葉が

印象に残っています。

 

 

「人をうらやむ生き方より、

人から羨ましがられる人で

いなさい」

 

 

嫉妬とか、うらやむとか

そういう感情を感じたことがない私は、

一緒に中途入社した彼女の

私に対して嫉妬する感情が

本当にわからなかった・・・

 

 

世の中には自分と人を比較して

人を羨ましがって嫉妬する人もいる、

でも!

私はそういう生き方はしない

そう決めました。

 

 

人を羨む暇があったら

自分を磨くことに力を注ぐ!

そんなふうに思うようになったのも

この体験の影響があるかもしれません。

(人を羨んだところで何も成長しないですよね♪)

 

 

結局、この会社を退職しました。

 

 

退職後、

引きこもっている中で考えたのは

「私って、何が好きなんだっけ」

ということ。

 

 

好きなことをしたら

また立ち上がれるかもしれない・・・

微かな希望を捨てたくなかった。

 

 

「そうだ、私

ピアノが好きだった。

ピアノの先生になりたい」

 

 

 

 

小さな小さな動機だったけれど、

好き、の氣持ちを大切に抱き、

再び動き始めました。

 

 

25歳で音楽の専門学校へ入学。

ピアノとエレクトーンのレッスンを受けながら

ピアノ講師になるための講義を履修。

 

 

音からパワーをもらい続け、

心も順調に回復し、

卒業前、最後の演奏試験では

1位該当者なしの2位に♪

 

 

そうそう☆

この専門学校時代、偶然聞いた

「戦場のメリークリスマス」のピアノ演奏に

「なんて美しい曲なの!」と感動しました。

 

 

人生を思い返すと・・・

音楽がいつもそばにあって、

音のエネルギーで私はいつも救われ、

支えられてきました^^

 

 

転職した会社でいじめられなければ

音楽の学校に行く選択には

結びつかなかったと思います。

 

 

その時は最悪だと感じる出来事であっても

それが思わぬ方向転換のきっかけになり

結果、よい流れになることがある

ということを体験から学びました。

 

 

専門学校を卒業して

すぐに結婚♡しました。

(恋愛だけは、いつも順調だった私。笑)

 

 

結婚、出産、仕事、そして♡

 

 

母が、私が生まれる前から

ずっと自宅で学習塾をしていて

「家にいながらにして働けることは

とっても幸せなことよ」

とよく話していました。

 

 

私も同じような価値観を

自然と持つようになったのだと思います。

 

 

結婚したその月から

自宅で「ピアノ教室」「学習塾」

開業しました。

 

 

新興住宅街だったので

周りには子供がいっぱい、

すぐに生徒さんが集まったのは

恵まれていました。

 

 

結婚式を挙げた翌月には妊娠判明!

出産予定日は

1999年のクリスマスでした。

 

 

出産前日は

ピアノ教室の生徒さんたちと

クリスマス・ミニコンサート♪

 

 

若かったのでね、

大きなお腹でしたけど

動けていました。笑

 

 

12月26日に

3,900グラムの男の子を出産☆

 

 

新生児室で、一人だけ

でっかい赤ちゃん・・・

それが私の息子でした。笑

 

 

2000年の元旦に退院。

塾では受験生の生徒さんがいたので、

出産後2週間で仕事復帰!

若かったのでね、、できました。

 


2002年に、千葉県我孫子市に

引っ越しました。

 

 

二世帯住宅を建てて

私の祖母と両親と私の家族で

三世帯同居がスタート。

 

 

長男が幼稚園の頃、

「ラウンジピアノの仕事がしたい!」

と思い立って、

レストランでピアノを弾く仕事の

オーディションへ。

 

 

オーディションのとき、

周りはみんな音大を卒業した人ばかり

だったけれど

肩書きで人生は決まるんじゃない

と考え、果敢にチャレンジ。

 

 

無事に合格をいただき

ラウンジピアノのお仕事の夢を叶え

2年ほどレストランで

ピアノを弾いていました。

 

 

 

 

ロングドレスを着て

間接照明の中でグランドピアノを弾く・・

こういう時間、私、大好きです。

 

 

夜間のピアノ弾きのお仕事だったけれど

同居していた祖母や両親がいて

子守りを頼めたのは

ありがたかったです。

 

 

同じ頃、佐渡裕さんが指揮する

「1万人の第九」に参加して、

ベートーヴェンの第九を歌いに

大阪城ホールへ行ったことも。

 

 

いつも、音楽が共にありました♡

 

 

その後も学習塾とピアノ教室を

続けていた私ですが、

ある時、学習塾の研修会で

コーチングという言葉に出会います。

 

 

コーチングを知った私は

「子供たちと関わる時に

コーチングを使っていきたい!」と感じ、

コーチングを教えてくれるスクールへ

通い始めたのです。

 

 

半年間、

コーチングの勉強を深く学び、

ついにプロコーチとしてデビュー☆

 

 

「よーし、これからコーチとして

バリバリやっていくぞ〜」と思った翌月、

なんと第二子の妊娠が分かったのです!

 

 

実は、

ふたり目の妊娠は、なかなか叶わず

不妊治療を1年ほどしていたことも

あったんです。

(なのでベビ待ちさんの氣持ちも

私、よく分かります。。)

 

 

ふたり目を妊娠したい、という思いを

このころはもう心の中に

封印していたと思います。

 

 

コーチングの勉強をしていた時に

一緒に参加していた友人が

「わたしね!ふたり目を妊娠したの!」

と教えてくれたんですよね。

 

 

その時に

「わー!!おめでとう!!!」

と彼女に伝えながら、

私、氣づいたんです。

 

 

「あ、私、本当に心の底から

彼女の妊娠を喜んでる!」って。

 

 

愛する対象って、自分のお腹から

生まれた子じゃなくてもいいんだ・・・

私が愛を渡せる子供たちって

たっくさんいる!

 

 

ということに、氣づいちゃったのです。

 

 

自分の子を産みたい、という執着

なくなっているのを感じた瞬間でした。

 

 

この氣付きがあった翌月に、

次男の妊娠がわかったのです。

 

 

お腹に来てくれたこの子から

「そうだよ、ママ。

自分の子も、他のママから生まれる子も

みんな同じ愛する存在だよ

と教えられた体験です。

 

 

そうそう。

なかなかふたり目を授かれずに悩んでいた時に

占い師に見ていただいたことがあって。

 

 

その占い師が最悪だった。

ひどいことを平気で言い、

私を元氣づけることなく、むしろ

パワーを奪っていく人だったんですよね。。

 

 

「え、、占い師って、

たとえ悪い結果が見えたとしても、

それを乗り越えるヒントを教えてくれたり

勇氣づけたりするのが仕事じゃないの!?」

と、もう、びっくり。。

 

 

この時の占い師の対応に、

すっごく落ち込んだけれど

この時も「今日が人生最悪の日!

だから明日から上がるしかな〜い♪」

決めたのです。

(どん底になると力を発揮するタイプ。笑)

 

 

この体験は、のちにコーチングを習い

「お客様にセッションさせていただく仕事」を

するようになる私に

「こんなふうになっちゃダメだよ」

と前もって大切なことを教えてくれたのだと

思っています。

 

 

(決める!というパワーは本当に強いね♡)

 

 

さて、奇跡の妊娠によって

お腹に来てくれた次男坊は

私にクリスタルボウルも教えてくれました。

 

 

お腹にいる時に本屋さんで

何気なく手にとった本に

クリスタルボウルのCDが付いていて、

それを自宅で聞いた時に

お腹の子が喜んでいるって感じたんです。

 

 

この体験が、のちに

私がクリスタルボウル演奏家になる

ことへと繋がってゆきます。。

 

 

2010年に次男が誕生。

この子はちなみに

3,988グラム

超ジャンボベビーでした。

(あと12グラムで4kg!あっぶな!)

 

 

・・・よく聞かれるので

一応書いておきますが、

長男も次男も自然分娩です真顔

 

 

・・・またまた長くなってしまったので、

今日はこのへんで♡

 

 

次男坊を出産後、私の生き方は

どんどん変容してゆきます!!

実母との壮絶な戦いも勃発!!笑

 

 

続きはまた明日の記事で^^

 

 

  登丸はるか

 

 

 
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