巫女について:対等であることが重要だと思うワケ | 魂トリートメント&クリスタルボウル奏

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クリスタルボウル奏、『魂の位置』ワークショップ、思い出断捨離『ゆらゆら瞑想』などを通して語る[リアリティあるアセンション]へのプロセス。テーマは『個(己)』の神秘を生きるアーティストであれ。あなたもぜひ。




 

 

巫女について。

 

だいぶ以前、クリスタルボウル集団で神社巡りをしたことがありました。

 

当時のことを思い出し今、思うこと。

 

 

とある人が私たちを見て「巫女集団だね」と言った。

 

当時のわたしは巫女と言われることが多かった.憑依体質だという人も。

 

たしかにあの頃、透明になろうとしていたし、同時に「自分がなかった」

 

ホースのように中空になることで、天なり何なりから、できるだけ純粋に届けることに懸命でもあった。

 

 

それはある意味、上下関係や主従を肯定しその位置で自分を成り立たせようとしていた感じでした。
 

 

でも今、魂のある位置を実体感(イマジネーションではなくリアリティがあります)して思うことは、自分自身も対等だいうこと。

 

存在の住まう次元が違うとしても、存在そのものとして対等。

 

それが支配的な様相を呈していたら、拒否してしかるべき。

 

 

 

すべてはフラクタルだと考えた時に浮かび上がるのは、同じ構図が地球全体を包む。

その時に誰もが幸せだと思えるだろうか。

 

巫女についても主従ではなく、対等な存在の役割としてであれば、全生命やエネルギーの肯定的な構図の一部を担うだろうと思われる。

 

また、憑依体質でさえも、マインドの変化によりむやみにカラダを明け渡す隙もなくなったと感じる。


 


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『魂の位置』を体感することで自分軸が定まり、人間関係の悩みも軽くなっていく傾向があります。