「読書は読んだ冊数がすごいのか、冊数は関係ないのか。」
読書の話で必ずと言っていいほど出てくるこの問題、筆者としては、冊数は完全に無意味ではないと考える。
本というものは情報媒体であるので、質の良し悪しが存在する。
そのため、ただ単に「〇冊読みました」のような表現に「読書は冊数じゃない。中身だ。」のようなコメントが付くことは多々ある。
確かに、情報の質や考察の程度という考え方からすれば冊数は意味をなさない。
しかし、情報には発信源が存在する。
本の著者は発信者にあたり、著者の考え方が本の内容に大きく反映される。
これをふまえると、
本をたくさん読む = 様々な人を情報のソースに持つ
ということになる。
書いた人の関係者、書かれた時期などを比較すると著者の考え方の変化が読み取れたりするので面白い。
様々な人から情報を得る利点は、バランスの良い思考ができるということである。
ある特定の人物の本ばかり読んでそれを信じこんだ場合、反対の考え方を持つ人と合わなくなることは容易に考えられる。
逆に様々な著者の考え方を比較し、メリットやデメリットを把握出来れば、自分と違う考え方の人と喧嘩することは少なくなる。
情報源が一つしか無いというのは思考の偏りを生じ、対人関係を悪化させる要因になる。
情報というのは比較することが大切である。
同じ分野の人でも考え方が微妙に違ったり、同じ著者でも時間が経つと考え方が変化していたりする。
時系列や発信者で比較することで考え方の違いがわかり、また極端な考え方を持つということもなくなる。
その意味で、本の冊数というものはある程度の意味を持つと思われる。
先日は学会の後に先輩方の研究を見学しました。
家に帰ったのは夜11時だったのですが、修士の実験というものを生で見ることができたので良かったです。
非常に充実した一日になりました。
先輩たちと話してて気になったのは、研究に関わる人に一部厄介な人がいるという話題。
遅刻してくるなと人には言うものの自分は遅れてきたり、陰口が酷かったりする人が関係者の中にいる模様。
部から開放されて頑張るぞーとなった矢先にこれです。笑
何かに本気で取り組むということは、感動も大きいが、人の嫌な面も目にすることになる。
自分のやりたい研究をやるということはこういう人たちとの付き合いも避けては通れないので、腹を決めて研究に臨みたいです。
家に帰ったのは夜11時だったのですが、修士の実験というものを生で見ることができたので良かったです。
非常に充実した一日になりました。
先輩たちと話してて気になったのは、研究に関わる人に一部厄介な人がいるという話題。
遅刻してくるなと人には言うものの自分は遅れてきたり、陰口が酷かったりする人が関係者の中にいる模様。
部から開放されて頑張るぞーとなった矢先にこれです。笑
何かに本気で取り組むということは、感動も大きいが、人の嫌な面も目にすることになる。
自分のやりたい研究をやるということはこういう人たちとの付き合いも避けては通れないので、腹を決めて研究に臨みたいです。
電子書籍が普及しつつある現代でも、紙媒体はまだ力を持っている。
一覧性、持ち運びのしやすさ、頑丈さなどから、紙媒体が消えるということはないだろう。
今でいうラジオのように、どこかしらには存在する形になると思われる。
また、ノートなどの記録媒体についても、手軽さなどから存在し続けるだろう。
しかし、紙媒体は時として厄介である。
よく言われるのはスペース圧迫、買いに行く手間がかかるということだが、意外とやっかいなのが出世に関わるという点である。
例えば、何か予定を聞いた時、携帯にデータで記録するよりはメモ帳に書き込んだ方がやる気があるように見える。
また、机の上に本があまりなければ、やる気がないように見える。
昇進を決めるのは上司なので、見栄えがいい方が選ばれるのは必然的である。
このように、本来は電子データやスマホアプリで効率良く管理すればいいものを、わざわざ非効率なやり方でやる必要性を生じさせている。
私自身はやりたいことに全力で取り組みたいという人間で、先輩や上司から評価されることにはあまり興味がない。
新しいものを導入して効率が上がるようであれば躊躇わず導入するし、相手に気持ちいいと感じてもらえることがあればそれをするまでである。
そのため、机の上は本が数冊置いてあるだけだし、予定を聞いたらiPhoneのリマインダーに登録する。
新聞やメモ帳はあくまでも「情報媒体」である。
しかし実際にはやる気を示す象徴としての意味の方が強い。
紙媒体が「記号」となってしまっているのは、紙媒体好きの私からすれば残念でならない。
【追伸】
私自身は紙媒体が好きです。
この記事に書いたのは、紙媒体が違う使われ方をしているということです。
少々分かりづらいと思うので補足いたします。
タイトルも修正いたしました。
ここ最近、ブラック企業やブラック研究室が話題になっている。
ブラックな環境の原因はどこにあるのだろうか。
一番の原因は企業や研究室のリーダーである。
ブラックな環境下で評価されることを考えた場合、一番評価されやすいのは企業戦士のような人物である。
評価をするのは幹部やリーダーである以上、完全に客観的な評価というものはありえず、主観が入ることが避けられない。
つまり、評価には好き嫌いが絡む。
好き嫌いで評価されるとなると、一番頑張っている人が評価されるのは自明である。
そのため、毎日夜遅くまで残っている人が評価されやすく、出世も早い。
結果、幹部がブラック気質な人で埋まってしまう。
これにより新たに評価される人も必然的にブラックな人間となってしまう。
この繰り返しにより、グループ内は上位2割とそれ以外の8割に分かれていく。
上位2割に入るにはブラックな社風に染まらないとキツい一方で、その他8割のうち下位層はブラックな日々に苦しんだり、ドロップアウトしてしまう。
上位2割は仕事を楽しんでいるくらいの人間で、朝から深夜まで仕事をやることを苦痛に感じない人が大半である。
ブラックな環境で生き残るのは仕事が趣味という人であり、それは狂気と紙一重である。
そのような人間についていくのは大変であり、会社でも研究室でもないが、筆者も一度心身ともにダメにしたことがある。
やる気のないことを延々とやらされるというのは時間のムダであり、自分の得意分野で頑張った方が得である。
その方が生産性は断然上である。
得意分野で頑張るうえで気をつけるべきことといえば、自分がブラック因子にならないようにするということだろうか。
世の中には様々な価値観を持つ人がいることを忘れてはならない。
少なくとも、企業戦士になる「べき」だという考え方は捨てた方がよい。
ブラックな環境の原因はどこにあるのだろうか。
一番の原因は企業や研究室のリーダーである。
ブラックな環境下で評価されることを考えた場合、一番評価されやすいのは企業戦士のような人物である。
評価をするのは幹部やリーダーである以上、完全に客観的な評価というものはありえず、主観が入ることが避けられない。
つまり、評価には好き嫌いが絡む。
好き嫌いで評価されるとなると、一番頑張っている人が評価されるのは自明である。
そのため、毎日夜遅くまで残っている人が評価されやすく、出世も早い。
結果、幹部がブラック気質な人で埋まってしまう。
これにより新たに評価される人も必然的にブラックな人間となってしまう。
この繰り返しにより、グループ内は上位2割とそれ以外の8割に分かれていく。
上位2割に入るにはブラックな社風に染まらないとキツい一方で、その他8割のうち下位層はブラックな日々に苦しんだり、ドロップアウトしてしまう。
上位2割は仕事を楽しんでいるくらいの人間で、朝から深夜まで仕事をやることを苦痛に感じない人が大半である。
ブラックな環境で生き残るのは仕事が趣味という人であり、それは狂気と紙一重である。
そのような人間についていくのは大変であり、会社でも研究室でもないが、筆者も一度心身ともにダメにしたことがある。
やる気のないことを延々とやらされるというのは時間のムダであり、自分の得意分野で頑張った方が得である。
その方が生産性は断然上である。
得意分野で頑張るうえで気をつけるべきことといえば、自分がブラック因子にならないようにするということだろうか。
世の中には様々な価値観を持つ人がいることを忘れてはならない。
少なくとも、企業戦士になる「べき」だという考え方は捨てた方がよい。
英検やTOEICといったものから公認会計士といったものまで、勉強で得られる資格・スコアといったものはたくさん存在する。
仕事に必要なものは仕方ないものの、仕事とあまり関係がないものを勉強する意味はあるのだろうか。
はっきり言ってしまうと、勉強する意味はない。
目の前の問題に全力で取り組んだ方がよっぽどましである。
世の中では資格を持っていることが偉いと言われているが、それは他人の評価であるし、たとえ資格を持っていたとしても仕事ができるとは限らない。
昇進などで考慮される場合を除き、資格やスコアの取得に血道をあげるよりかは現在進行形の問題について考えたり調べ物をすることに時間を使った方がいい。
テレビ番組では資格を持っていることがすごいこととされ、就活ではTOEICのスコアでゴリ押しできるという話が出ているが、筆者からすればそれは我慢比べにしか見えない。
資格で強行突破しようという姿勢は、現実からの逃避に他ならない。
資格の所持は忍耐力の証明にはなるが、問題解決・発見能力の証明にはならない。
筆者も以前はバイト代や長期休暇を資格勉強につぎ込んでいたが、ある時、先輩から上のようなことを言われた。
言われた直後はキツいものがあったが、それを聞いて時間の使い方を変えた結果、空き時間を以前より有効に使えている感じがある。
資格勉強を捨てて一日中研究したり読書したりという生活に変えたところ、毎日が楽しくてしょうがない。
以前とは正反対の日常である。
目の前の問題に全力で取り組むのは確かに辛いものがある。
それを理由に資格取得に逃げる人は少なくない。
しかし、辛いことに立ち向かい、あれこれ試行錯誤するというのは実力向上につながり、それによって見えてくることも多い。
結果として我慢強さと専門的なスキルの両方を得られるので、こっちのほうが効率が良いのである。
仕事に必要なものは仕方ないものの、仕事とあまり関係がないものを勉強する意味はあるのだろうか。
はっきり言ってしまうと、勉強する意味はない。
目の前の問題に全力で取り組んだ方がよっぽどましである。
世の中では資格を持っていることが偉いと言われているが、それは他人の評価であるし、たとえ資格を持っていたとしても仕事ができるとは限らない。
昇進などで考慮される場合を除き、資格やスコアの取得に血道をあげるよりかは現在進行形の問題について考えたり調べ物をすることに時間を使った方がいい。
テレビ番組では資格を持っていることがすごいこととされ、就活ではTOEICのスコアでゴリ押しできるという話が出ているが、筆者からすればそれは我慢比べにしか見えない。
資格で強行突破しようという姿勢は、現実からの逃避に他ならない。
資格の所持は忍耐力の証明にはなるが、問題解決・発見能力の証明にはならない。
筆者も以前はバイト代や長期休暇を資格勉強につぎ込んでいたが、ある時、先輩から上のようなことを言われた。
言われた直後はキツいものがあったが、それを聞いて時間の使い方を変えた結果、空き時間を以前より有効に使えている感じがある。
資格勉強を捨てて一日中研究したり読書したりという生活に変えたところ、毎日が楽しくてしょうがない。
以前とは正反対の日常である。
目の前の問題に全力で取り組むのは確かに辛いものがある。
それを理由に資格取得に逃げる人は少なくない。
しかし、辛いことに立ち向かい、あれこれ試行錯誤するというのは実力向上につながり、それによって見えてくることも多い。
結果として我慢強さと専門的なスキルの両方を得られるので、こっちのほうが効率が良いのである。