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木蓮ちゃんの気まぐれトーク・コーナー

年齢不詳・性別不詳の木蓮の、ハチャメチャ気まぐれ日記です。
変幻自在の木蓮の怒涛のお喋りをお楽しみください。。
多重人格って言わないでね。
ピアノをこよなく愛する桃源郷の住人、ってことで・・・

太陽は何を想う
我らに輝く光を与え
郁々と続く命を与え
希望の明日を約束せしもの

己は営々と我が身を焼き
ただひたすらに与え
ただひたすらに在り
恒星の宿命を
熱い想いで受け入れる

銀河の中では小さなひとつ
太陽はそれを知っている
太陽系で起きることが
どんなに小さいか知っている

在ることの意味
在るだけでよいのだ
命を燃やしつくせ
始まりも終わりもない
燃える今がすべて
永遠の今

恒星たちは繋がっている
それぞれが紡ぐ物語
それぞれが育む愛
それぞれが光たること
それがすべて
光たることで深く繋がっている
迷いも疑いも
そこにはない

在ることをやめることはできない
始まりも終わりもない
かつて光であり
未来も光しかない
永遠の真実
永遠の命
永遠の愛
思い出しました。ちょうど2年前の今日は、前居住地を引き払った日でした。
引っ越しらくらくパックを使ったとはいえ、本当に大掛かりな引っ越し。2日かけて荷物を運び出し、夕方に体を実家に移動して、18日午後からまた2日かけて荷物を運び入れて大雑把に荷開きしました。車も運んでもらいました。
プロの仕事はほんとに鮮やか。何も考えずささっとパッキングして、あの大量な荷物がちゃんと運べる状態になったのですから驚きです。
ええ、荷物の半分は2年たった今も段ボールの中ですよ。開ける必要のなかった物などゴミなのでしょうが、捨てられません。

ここに来てから新たに買った物は少なく、食料品を主にした日常消耗品と、多少の本と、少しの衣類と、1枚の絵。たいていのものは既に持っています。

いつになってもできない断捨離ですが、なんとなく、そろそろできそうな気がしてきました。いつとはまだ言えません。そう遠くない未来に。
学びたいこと、片づけなければならないこと、自分まわりのメンテナンス、等々することが山のようにあって、時間がいくらあっても足りない感じです。足りないという表現は好きじゃないなあ。いつ終わるか見当もつかない感じです。

中野信子さんの本、とても興味があるのですが順番はかなり後回しになっています。何故ならあれはいわば車の構造を知るのと同じ話で、どのようにして身体が動いているか、物質によって動きも感情も思考も本能も判断も反応も支配されているのですよ、その物質の動きはある程度はコントロールできるけれどできない部分もあります、せめて機序は知っておきましょう、という内容ですから、方向性さえ知っておけば各論は後付け知識で間に合うからです。急ぐ必要はありません。肉眼では見えませんが、これは「見える」世界のお話。科学とはそうしたものでしょう。

私の心の恋人であるピアノも、このごろあんまり弾けていません。今までにもこういう期間は何度もあり、彼はそんな私を黙って待っていてくれています。鍵盤にそっと触って、落ち着いたら帰ってくるから今は見守っていてねと言っています。

エッセンス達を見飽きないことは我ながら不思議です。喋るわけでも動くわけでも変化するわけでもないのに。そこにあるのが当たり前で空気のような存在になったのかというとそうではなく、目に入ると釘付けになってなかなか目が離せないし、いつも感情が刺激されます。この圧倒的な存在感とパワーは何なのでしょう?天才の仕事はおそろしいです。1枚1枚にここまで強いオーラを吹き込めるなんて、いったい描いた本人の持っているものはどれほどなのか?私が今まで出会ってきた人たちの中には、この絵を超えるオーラの強さを持った人はいませんでした(私は認識できませんでした)。

今日は夕方から土日当番仕事。でも明けの月曜と水曜が休みなので気が楽です。
来週は土日2日間のSFAワークショップ。4月にも同系列のものを2つ入れています。
全部で6日間。非常に効果的なスキルを、これで自分のものにしてしまうのが目標です。
どうやら夜は懇親会もあるらしく、ハードですが頑張りたいです。
再来週は土曜日の午後にとてもお楽しみなイベント。本当にわくわくしています。双方向性交流って、大好きです。



目に見えない世界にとても魅かれます。
目に見える美しい世界には感動します。
その背景に見えない世界の存在を感じるからです。

3次元で生きているから体験できる美しさ。
脆さや儚さや愚かさや悪意の中にすら、その対極の美しさをよりリアルに感じるための体験だと思えば、美しさを感じることができます。そう、すべてが美しいのです。

目に見えない世界を存分に探究したくて、それを扱う仕事を選びました。
職業選択に後悔は全くありません。
サムシンググレイトの存在を確信できましたし、目に見えない力動を感じ取ることが出来るようにもなりました。人生の最後のステージで、その人の生き様が隠しようもなく露呈することもよくわかりました。偽りの人生を送った人には、穏やかな最後は難しいようです。ああでも、本当の最期はまた別のようでもあります。すべてを手放して各々のふるさとに帰る人が多いですね。その時になってもまだ手放せない人は、次の人生で学び直すのではないかしらと思っています。

目に見えない世界に時間の概念はおそらくありません。物質もありません。
とても自由で、満たされていて、光に満ちているというイメージです。
なのにわざわざ3次元、その中でも現在の地球で過ごしているということの意味は何でしょう。ここでしか体験できない何かを体験するためと考えるのは自然なことだと思います。

地球だからこそ体験できる美しさを追求するということ。
肉体の喜び、輝きをとことん追求するということ。
その素晴らしさを一人でも多くの人と分かち合いたいと願うこと。
魂の平安にも心を砕くこと。
人間として生まれてきて、これ以上の理想的な生き方があるでしょうか。

それを貫いてきた人に、心からの称賛を送ります。
実は今朝はちょっとね、大変なことがありました。
朝出社してから知りましたが、その時点ですでに対応に落ち度があったんです。
私にはまったく関係ないことだったので、何も言わず黙って顛末を見ていたら、10時半になってやっと本部から警察と保健所に連絡するよう指示が入り、あーあ、遅すぎるよと思いましたが、14時近くまで10人くらいの一課が来ていました。
この後もこの余波でいろいろあると思われます。
ボス?この判断ミスは、マズイですよ。

この件とは直接関係ありませんが、ボスの事をいろいろ客観的に観察できるようになったのは喜ばしいことだと感じています。
日本人サラリーマンとしては珍しい事ではありませんが、ボスと接していてどこか苦しくなる理由がわかりました。彼は、仕事が嫌で嫌で仕方がないのです。毎朝家を出るのが辛くて仕方なく、出勤してからは首根っこを掴まれる感覚で仕事をしているのだと言っていました。定刻に来て必ず定刻で帰ります。「職場を一歩出たら、仕事はもう僕とは全然関係ないことですよ」と明言しました。
仕事はよくしています。すごい量をこなしています。たまに切れるらしい(私は見たことがありません)ですが、態度はいつも穏やかで悠然としています。ですが、ジャッジをする癖があり、就労時間外のことには関与しないということを皆が知っているので、人望がありません。かわいそうなくらいに。自業自得かもしれないけれど。

「結局のところ、お金のために働いているのですよ。僕は本当は作業療法をやりたいんです。だってみんなでにぎやかに和気あいあいと楽しそうじゃないですか」
えっと・・・。わたし、ボスと同じ仕事(量はちがうけど)ですが、和気あいあいと楽しく働いてますが??責任が小さいので気楽なのは認めますが、本来の領域とちがうことをしている不服を抱えながらも、楽しさを見つけるように努めています。嫌で嫌で仕方がないのに嫌な顔をせず働くって、自分を偽っているってことでしょう?通勤時間を入れたら平日の半分以上を占めている仕事の時間。楽しくしないでどうするの?

ボスはきっと、幼いころから、我慢したり努力したり他者に気を使ったりをし続けてきたのだと思います。自分を律することを美徳としてもきたようです。その規律に慣れ過ぎて、感覚が麻痺し、自分が窒息死寸前であることに気が付いていないように見えます。
以前書いたように、私は窒息がとても怖いです。ボスの近くにいると、彼の窒息感が伝わってきて、私まで苦しくなるのだと思います。滅多に本当の笑顔を見せないし、この人の真実はどこにあるのでしょう。彼のエッセンスは亀裂だらけなのではないかしら。

かつて、ボスを理解出来たら人類愛の幅が広がると感じたことがありました。
まだ途中ですが、人間の陥りがちな過ちを学んでいるところです。嫌で嫌で仕方がないことをやっていてはいけない。嫌だと思う気持ちを何とかするか、嫌なことをすることをやめるか。そのどちらもせず嫌を続けていたら、魂が壊れます。たぶんね。
せっかく平和な国に生まれ、そこそこ豊かな環境で暮らしているのに、どうして嫌で嫌で仕方がないことをやめないのでしょう。嫌なことを我慢して生きている人は、きっと陰のエネルギーしか持てなくて、自らが光になることとはおよそ縁遠い存在だと思います。自分はそれでいいかもしれません。でも周りはちっとも嬉しくないし、さらに言うなら迷惑ですらあります。
今の私にボスをどうこうすることはできませんが、反面教師として、あのような生き方に陥らないよう心掛けていたいと思います。
丸ごと受け止めるという事態に備えて、かなり真剣に準備を進めています。
お仕事でそれらしき事はやっていますから、普通ならここまで構えないのですが。
どう考えても大きすぎます。のほほんとしていたら、受け止めそこねて両者大怪我になりかねないと読みました。こちらの器を大きく整えておかないと。

幸いなことに、どこをどうしたら器が大きくなるのかすぐに頭に浮かびましたので、ひたすら実践の日々です。少し前よりましになったかも?と思っています。動画が大変役に立ちました。手抜き工事にしたくありませんから、時間はかけます。均質な強度も確保しなければなりませんし。耐久性もいります。
大きさがほどよく育ったら、内装にも着手したいものです。真っ白ふかふかにしたいんです!固くて痛いより、ふかふかに柔らかい方が気持ちがいいと思うのです。
頑張ろうっと。。
通勤路に、気の早いさくらの木があり、満開です。

花はたいてい好きですが、さくらには何故か格別な思い入れがあります。
あ、「さくら」という日本語ひらがな表記が好きです。他だとちょっとしっくりきません。

思い描く「さくら」は、どうやらこの世のものではないようです。
実際に目で見ると、確かに良いのですが、質感と言うのでしょうか透明感と言うのでしょうか、私の知っている「さくら」と微妙に違います。
写真も同様。とても美しいのにどこか違う。
最後の砦、絵に期待して意識的にさくらを見てきました。かなりいい線いくものの、これだ!という絵にまだ出会っていません。

もし自分で描くとしたら、水彩画になると思います。
輪郭はとらない。
透明感のある淡い色彩にするでしょう。
さくらの木ではなく、大きく花を描きます。幹は入れたいなあ。
さくらの精の命が感じられるような絵。
抱きしめたくなるようなさくらの絵に焦がれます。
数いるスポットの中で、一番かかわりたくない人が今日の日勤スポットでした。
夜勤週1レギュラースポットと、月に数回日勤のスポットも頼んでいる人です。
とにかく、変。
まず、滑らかな会話ができません。かろうじて意思の疎通が図れるレベル。
そして一番困るのが、突拍子もなく奇声を発することです。
「あっ。あっ。うふっ。えへ。ぐふっ。うっ。」
その声を聞けば99%の人が、ある状況を連想してしまうであろう声。
あー、昼間っから人前でその声は出さないでよ、あなたのその声なんか聞きたくない!
そういう類です。
なるべく同じ部屋にいないようにして対応していますが、どうしても2人っきりになる時間もあり、ビクビクしています。歳は私より少し上でしょうか。自覚のない、そして改善の余地もない、迷惑なセクハラおやじです。悪人ではなさそうですが、かかわっていないのでどんな人か知りません。


話は変わります。
花岡青洲の妻、という小説を思い出していました。
日本で初めて全身麻酔を行った医者です。どうしても人体実験が必要で、母と妻が女の闘いをしていることを知っていたので、まず母親にごくごく弱い麻酔をかけ、次に事情をすべてわかった上で夫にすべてを任せた妻に、本格的な麻酔を施しました。
非常に良いデータがとれましたが、麻酔薬の副作用で妻は全視力を失います。
その点を改良してから、患者さん達に麻酔をかけることになるのですが・・・。

小説ではありますが、この話は実話に基づいて書かれています。
小説の中では、夫婦の愛とか信頼というより、嫁が義母に向けた意地みたいな観点に重きがおかれていたような記憶があります。日本的には非常に献身的な妻の鏡みたいな女性ですけれど、全面的には共感できません。意地が入っているところがね、なんとなく嫌なんです。自分の命と引き換えに、この世であなたのことを一番思っているのは私だということを夫に自覚させようとしたかのような動機も、どこか引っかかります。
究極の自己犠牲に見えますが、とんでもない見返りを期待していますよね。これは決して悪い事ではありませんが、美しい行為であるからこそ、ああ惜しい!!と感じます。
青洲の妻の行為より、道路に飛び出した子供を助けようとして自分の方が車に轢かれて死んでしまった、という行為の方が、文字通り何の見返りも求めていない真実の愛の姿のように思えます。悲しい結果ですけどね。

ただし、ほぼ断言できますが、私は身を挺して"他人"を助けるという行動はできないと思います。泳げないから溺れている人のために水に入ることはしませんし、運動能力が低いので体で人を助けることもできないことを知っています。
何を言いたいのでしょう・・・。
見返りは求めないとして、無駄死にもする気はない。そういうことかな?

なんだかうまくまとめられません。
スポットさんのあの気色悪い声のせいで、男女の愛だの人類愛だのの方向に思考が流れました。せっかく書いたので、アップはします。

そういえば今日はホワイトデイです。
誰にもチョコあげていないので当然誰からもお返しはありません。
でもせっかくなので、もしもバレンタインに何かプレゼントしていたとして、お返しに何をもらったら嬉しいか想像してみました。

花束は別にして、既製品をもらっても嬉しいは嬉しいでしょうが、多分すごく嬉しいまでには届かない気がします。で、ふと思い浮かんだのが、先日見かけたペン画のサインでした。
これだ!いろんな書体のサインがたくさん書いてあるサイン帳。何種類あるのか知りませんが、20を超えることはないのではないかしら?
それが一冊になっているのをプレゼントされたら、間違いなく凄く嬉しいでしょう。

お習字のプレゼントはしたことがある人です。
サインなら恐らく契約違反にならないはず。
毎日楽しく眺めていられるし、書くのにそんなに時間はかからないでしょうし、あちらのお願いを何度も聞いてきたことへのお返しに、誕生日プレゼントにサイン帳をおねだりしてみようかな。
月末の展示会で、担当さんに相談してみましょうっと。
帰り道のある直線道路からは、富士山が左前面いっぱいに広がっている姿が見えます。
駐車場までの道で、富士山の裾野の上に真っ赤な大きな夕日を見ましたが、その直線でちょうど裾野に沈む夕日を最後まで見ることができました。うっすらとした雲が程よいスクリーンになって、眩しくない美しい姿をずっと見ていられました。あと1週間で春分です。もうすぐ夜より昼の方が長い季節になるのですね。

動画に刺激されて、というか誘発?挑発?されて、自分の中に隠れているかもしれないある能力の開発に奮闘しています。これに成功したらある意味えらいことですが、成功例は多いらしいので、あきらめずにチャレンジし続けようと思います。
今日のチャレンジは、うまくいったのかだめだったのか判断しかねる成果でした。
「無」だったんです。失敗だったのか、無の境地にシンクロしたのだか全くわかりません。どちらもあり得ることですから。とても心地よかった、わかるのはそれだけです。
19時ごろは突然激しい感情に襲われて、15分くらい自分の思考能力をほぼ失って叫びのようなもので頭がいっぱいになりました。が、すうっと静まってまた「無」に。
う~ん、時間的に、眠ってしまった可能性もある・・。
私も眠くなって、仮眠していたら郵便局の再配達の呼び鈴に起こされました。
文旦でした。

今日の仕事では、いつにも増して、クライアントの抱える困りごとに対して、特にご家族が感心・感動されたお話が次々に口をついて出てきて面白かったです。
私が一人で過ごすのと同じくらい人と話すのが好きな理由は、これです。相手の話が刺激になって、「あれ?私今までこんなこと考えたこともないはずなのに、まあぺらぺらと澱みなく相手が納得する解釈やアドバイスが出てきてる。我ながら感心しちゃう!」という反応が起きるのです。この説明を人にする時は「私は人と話す時は耳と口が直接繋がっていて、頭を通さずに口が勝手に動くんですよ」と言っていますが、多分相手は理解できていないと思います。

パート職員から聞いた、屋久島からさらに船に乗ってやっと辿り着く離れ島の話などもちょっと面白いネタですが、この後メールを書かなきゃいけないので、また後日の話題にします。

慣れない力を開発しようとしているせいか、眠気が強くて少し困っています。
ナルコレプシーほどではないけれど、調べたら脳波に何か異常が起きているかもしれません。あるいは脳血流に異常があるかも。普通はあまり使われていないところが異常に活動しているという画像がとれるかもしれないです。
スピリチュアルだって、体験はすべて脳が関与しています。肉体という乗り物に乗っているのですから仕方ありません。魂の方が肉体より大きいというだけの話で、小さいのに健気に頑張って体験を作りだしてくれている肉体に、感謝と理解とメンテナンスを提供するのが正しい生き方だと思います。私の場合、食事と運動という基本中の基本が全然できていません。ごめんね、といつも思っていますが、思うだけじゃなく行動してよ!という体の声に返す言葉がない日常なのでした。