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木蓮ちゃんの気まぐれトーク・コーナー

年齢不詳・性別不詳の木蓮の、ハチャメチャ気まぐれ日記です。
変幻自在の木蓮の怒涛のお喋りをお楽しみください。。
多重人格って言わないでね。
ピアノをこよなく愛する桃源郷の住人、ってことで・・・

何か特別なことがあったわけではないですが、生きるってこういうことかなあ?という、普通の中に喜びを感じる一日でした。

ホームに入ったら出発寸前の電車が待っていて、乗り物は一日を通してスムーズでした。
予約時間10分前に広尾の歯医者さんに到着。1時間半の枠があっという間、最初の20分は歯学界の最近のトピックスのお話を伺うという流れになり、睡眠と噛むこととメンタルの相互関係について、私の見解を興味深く聞いてくださいました。メンタルなら、どんな初耳の話でも自分の考えを述べる自信がありますが、今日もそれが遺憾なく発揮できました。
被せを直してもらうだけのつもりでしたが、先生の診察と診断で、その歯を含む3本を治療することになり、後4回の通院と、普通の人ならあっと驚く治療費を提示されました。それに同意すれば先生の理想の治療が施され、高いと断れば、当初の被せのみを標準的に直して終わりということになります。説明が非常に丁寧で、基本から最先端の知見までわかりやすく話してくださったので全てに納得し、契約しました。・・ああ出費がカサム。
と、そこで、現在現金では持っていないけど、解約したり売ったりできる資産が4つあることを思い出しました。小口のもありますが、かき集めればそれなりにまとまったお金になります。うん、それで捻出しよう。働いていれば毎月一定の収入はあるのだし、貯金が淋しくなっても生きてはいけます。

治療が終わって、契約書を事務の人が作っている間に、待合室のソファーの横に、分厚い美術書がすごくたくさん置いてある事に気付きました。うわ~このコレクションはかなり凄い。フェルメールだけで何冊もある!
先生に「絵画がお好きなようですね。実は私もとても好きで、30枚以上コレクションしているんです」と言ってみたところ、「母が画家でね。ほらあそこの絵は母の作品ですよ(素敵でした!)。娘も絵を描くし、僕は格闘技に熱中していたんだけど、絵は描いていました。」と言われ、最近出版された大きな厚い専門書を持ってきて「ほらこの表紙の絵(頭蓋骨ですよ~)は僕が描いたんだよ」と見せてくれました。あ・・その本、妹も持ってる・・・。歯や口腔と声は密接な関係ですからね。

次回予約は3月31日11時です。1時間半枠。最寄りの恵比寿駅から1時間かからず移動出来ることがわかったので、2時半ごろを目指して、展示会に行くことにしました!
素敵な先生に治療してもらった後、素敵な絵と文章を見る。今からわくわくします。

目黒駅構内では、また秋田銘菓を売っていました。ずんだ餅とバター餅を購入。この2年TV見てないので知らなかったのですが、秘密のケンミンショウで、5回以上も話題になったお餅なのだそうです。食べてみたら、確かに美味しいけど、そんなにべた褒めするほどの逸品なのでしょうか?いや、褒めていいんですが、これをそこまで褒めるなら、全国にはもっと褒めるべき食べ物が山ほどあると思うんです。えこひいきはよくないねえ、平等にいきましょうよ、仮にもメディアなんだから。と思いました。

午後はいきつけのお店でカット。2か月放っておいたので随分伸びてしまいました。次回行けるのはゴールデンウイークです。何とか保つでしょう、ストパもその時でいいですよ、と言われました。最近1か月に1~2本白髪が見つかるんです、後ろは見えないけど白髪ありましたか?と聞いたら、気になりませんでしたから大丈夫でしょうと言われました。この店長は、非常に人格円満で真面目で研究心旺盛な人です。私より少し若いと思います。その真面目ぶりを見込んで、「ご意見を伺いたいことが・・。アラカンの独身男性が、こういう事を言ったら、それに深い意味があるかも?と思うことは変ではないですよね?」と聞いてみました。じっと考えておられましたが、「あっても不思議はないですが、男性がそういうセリフを口にすること自体が僕には不思議です」と答えてくれました。とっても真剣な顔で。そうそう、あなたのそういう所が好きさ。

18時過ぎには帰宅し、あれこれしていたらもうこんな時間です。
14時ごろは移動の電車の中で「今頃はディナーかな?一昨年はお友達とお食事したみたいだけど、今年は誰と過ごしたんだろう?好物をほとんど知らないっていうのは淋しいなあ。想像の材料がないわっ。スイーツが好きらしいのは何となくわかったけど、何でも食べます以外の具体的なことがわからなさすぎ。今日もケチャップかけたのかしら!?」などということをぼんやりと考えていました。
この時間は、相当な高確率で夢の中だと思います。

あれこれの中には例の動画も入っています。
インディゴチルドレン・インディゴアダルトなどの話がよく出てきます。
彼等の特徴を読むと、あららこれは病名が付くわというのが多いですね~。薬は飲む必要がないと書いてありますが、親が困って然るべきルートに相談すれば、きっと薬出されると思いました。スピリチュアル界に理解のある医者なんてほんの一握りですよ。また、理解があるからこそ今は薬を飲みましょうということもあり得ます。魂の問題に薬は不要というのはナンセンスで、適切な薬を最少量飲んで"いらぬ"脳の負担をとることは合理的かつお手軽な方法なんですけどねえ。"要る"負担はとってはいけないと思いますが。ま、これは正解はない分野ですから、個々人で判断すればいいでしょう。こじれてどうしようもなくなってから医者に行ったら、即入院です。それもまた運命というものだと思います。

もう少し動画を見て、23時までには寝る予定です。
明日のお仕事は、結構忙しい予定。3日休んだ間に何か起きてるかもしれないし。
睡眠時間だけは確保を心掛けます。
日付が同じになる時間になりました。 おめでとうございます。 まだ池袋で夕食中です。 もし近くにいられたら、何をしているでしょう? 歳の数だけキャンドル灯して、いちにのさんで吹き消してもらいたいな。 肺活量多そうです、一息で消せることでしょう。 どんな願い事もきっと叶う。
日記にします。

最寄り駅に着いたのが18時半、マンションから歩いて40秒の所にあるラーメン屋さん(この場所には私がここに引っ越してきた日に開店したラーメン屋さんが入っていたのですが、1年たたずに閉店、すぐ次が入りましたがまた閉店、これで3店目)がグランドオープン2日間2品限定半額サービスをしていたので、10分並んで博多豚骨チャーシュー麺をワンコインで食べました。・・・。ごめんなさい、あなたのお店、きっと半年もたないと思うよ。豚骨スープこくがない。塩味がきつい。麺おいしくない。チャーシューぼそぼそ。ねぎ味が薄い。辛子高菜も残念なお味。ワンコインならこれで合格ですが、このラーメンに千円は払う気しません。博多ラーメンは結構食べ歩いて本当に美味しいのを知っています。どこで修行したのか知りませんが、あれはないと思いました。

マンションの前には佐川急便のトラックが停まっていました。郵便ボックスをあけるとやっぱり不在票が入っていたので、待って、出てきた配達員さんに声をかけて、一緒に部屋まで上がって受け取りました。冷凍の牛肉です。受けとれてよかったです。

午前は約2か月に1回の受診でした。私より若い女医さん相手に、また絵を発注したこと、これこれのメッセージがついていたこと、私達の間にいったいどんな繋がりがあるのか、もうわけわかりません、メンタルには十分気を付けています、など、報告しました。
目を丸くして聞いておられましたが、素敵な精神的繋がりだと思いますよ、大切になさってください、と言われました。ボスのような騙されていますよ的発言は一切ありませんでした。私が「先生、ただね、どうしてあんなお金持ち相手に私がなけなしのお金を払わなきゃいけないのかという点だけは、納得していないんです。お金持ちすぎて普通の金銭感覚がなくなってるんですよ、きっと。」と言ったら「ホストにもっと大金を貢ぐ人もいるじゃないですか。あれは何にも中身のない虚しい関係だけど、あなた達のはほんとに素敵な関係だと思いますから、そのくらいのこと気にしないで」と返されました。

13時半からは、10年近くぶりのサイコドラマ体験をしました!
お目当てのディレクターは、やっぱり歳月の流れで年齢相応に落ち着かれていました(私より多分数歳年上)。かつての意地悪っぽいところは消えていて、私のことを覚えていないふりもされませんでした。メインのドラマの時は、少ない道具のみで見事に光と音楽を使った演出を繰り出し(他のディレクターはこの技を使えません)、期待通り幻想的で美しいドラマでした。やっぱり凄いぞこの人。
前半はたっぷりと時間をかけてウオーミングアップをされました。本当にここに時間をかけるディレクターです。催眠を使う人ですから、ここをしっかり押さえてグループを作っておけば、本体のドラマは時間をかけなくてもまずうまくいくということを理解しているのでしょう。

ウオーミングアップの後半は、意味のあるグループ分けによって2つに分けられた私達が、それぞれ「春の風物詩」というお題で劇を作り、お互いにテーマを当て合う、というやり方をとられました。
私のグループはなかなかテーマが決まらなくて、あっちこっち話が飛んだ挙句、突然"筍狩りにしちゃおう"となって、ちゃちゃちゃっと5分で劇を作りました。・・・ふふふ。笹と筍、ちょっとグリーンっぽいでしょ?
何故か私は"お母ちゃん"役で、ふたりの男の子を連れて山に筍狩りに行き、2本(2人)の竹のお母さんの足元の3つ(3人)の筍を掘って、持ち帰って茹でて食べる。そういうストーリーにしました。最初はほんの飾りのつもりで配役した2本の竹の母が、語った語った。

サイコドラマを知らない人にはうまく伝えられないのが残念です。私達のウオーミングアップドラマは、非常に盛り上がり、ディレクターも気に入ってくれてさらにいろいろ細工を施され、「ではお母ちゃん、今度は竹のお母ちゃんになって!」と役割チェンジ。私は掘られる子供たち(筍)を救うべく思いっきり人間たちに抵抗し抵抗し、人間たちに切られてしまってもまだ抵抗し、山の神役の人に「運命を受け入れなさい」と言われても「そんな運命認めない!」と言い返していたのでした。ああ大汗かきました。

10分休憩のあと、短い時間だったのに、インタビューで上手に主役を選び出して、メインのドラマが作られました。テーマは『1年前に亡くなられた日本サイコドラマ界大御所だった先生へ:お礼とお別れと再会の約束』みたいな感じ。実は私を含め、今日の参加者のほぼ全員がその先生と繋がりがあり、主役になった人は、意を決してわざわざ九州から来ていたんです。その先生を慕う気持ちが会場内に溢れ、初対面同士も含めて、セッションが終わる頃にはみんなが繋がったようなムードでした。

シェアリングもしっとりできました。時間がなかったので、ひとりひとりが自分の今の気持ちを語るという形式はとらず、立ち上がって目が合った人と握手して何か言葉を交わすという形式を選ばれました。私が今回一番話したかった人はもちろんディレクター。たまたま目が合った若い女性と二人で彼に握手を求め、その子が「先生、両手に花ですね!」と言って彼に抱きついたので、私も彼の腕に抱きついて「サイコドラマが懐かしくなって10年ぶりに来てみました、先生の回を選んで来たんですからね」と伝えたら、グッとガッツポーズをされました。言えてよかった。

解散直後、最後は隣に座っていたスタッフ参加の女性(8才位年上、付き合いは長かった)が、名刺を渡してくれて、これからメール交換しましょうねと仰ってくださいました。とても嬉しかったです。彼女には、私が今"繋がり"というテーマでいろいろ模索しているのだと伝えてあり、サイコドラマは本当に数時間で本当の繋がりができますよねなどと話したのを気にかけてくれたのです。彼女から、サイコドラマで作られる繋がりについての経験談をきっといっぱい教えてもらえると思います。

ま、今日の日記はこんな感じです。
いい一日でした。
明日は5時過ぎ起きです。おやすみなさい。
符号の一致をひとつひとつ検討していきたいと思います。
ゲート。ゲートを開く人。
動画ではスピリチュアルゲートという言葉が出てきます。
それを開く役割の人と、その人をサポートする役割の人がいる。
二人の間には魂の長い旅路の最後に見つけた絶対的繋がりがある。始まりの時から、宇宙にひとつしかない繋がり。導きの光となるための統合、その後の路。1+1=無限
21世紀。時は満ち、今、そういう二人が続々と現れている。

さあ、これは他人事でしょうか。
結構な数のペアが誕生しているらしいです。
中には思い込みの残念でしたペアもいるかもしれません。人間の思い込みって凄い力がありますからね。
思い込みが強い事には自信があるわたくしは、確信が持てるまで、これらの情報に身を任せることができません。でも大丈夫。毎日のように、確信を持ちなさいという指導が様々な形でやってきています。ブロックがひとつずつはずれていっています。この作業を続けていれば、最後に残ったものが真実になりますから、それなら信じることができることでしょう。
迷子になりそうになったら、エッセンスを見詰めます。湧き起こる感情は信じられるから。まさに道標、です。
眼鏡はポイントグリーン。ネックレスはグリーンのウバロバイト、チェーンもグリーンエナメル。リングはグリーンガーネット。
ストーンパワーでグリーンでいられるよう努力しています。
今週はずっとこの組み合わせでした。
自分の目で効果を確かめられない所が悲しいですねえ。

朝シャワーではなくてしっかり湯船に浸かったせいか、まだ体中からシャンプーとボディソープっぽい匂いがしています。湯上り状態で、全然職場モードになりません!おいこらしっかりしなさいっ!
もう週末です。
なんだか寝ているのだか起きているのだかわからない、現実感のない1週間でした。どうやって呼吸していたのか、もっというなら何故心臓が動いていたのかが不思議です。

変な夢を見ました。
駅で列車に乗ったら、やたらふかふか白っぽい豪華な車両で、修学旅行生のような若い子がたくさん乗っていました。なんだか変だ、乗り間違えたみたいだ、と思って降りようとしますが降りられません。そのうち発車してしまったので何とか車掌さんらしき人を見つけて助けを求めました。「おや、さっきの駅は一時停車だけだったはずなのに、乗っちゃったんですか。う~ん。・・・とりあえず、次の駅で降りてみなさい。」とりあえずって、何??
降りた街は、一見ありふれたお洒落な街だったのですが、どうも細かい所が現在の地球っぽくない。何故か私の住む家が用意されていて、散歩に出るといろんな人が話しかけてきて(残念ながら内容は憶えていません)、何だか帰れないみたいだけどここで暮らしてもいいかなあと思ったところで目覚まし時計で目が覚めました。
怖いので夢分析しません。

お天気がよくないせいか、今一つ気が晴れません。
明日は三田と神田、明後日は板橋区、明々後日は広尾と三田に用事があります。結構ハードスケジュール。楽しくないわけではないですが、疲れそうです。明後日のが一番ハード。大事な日だからこそ、何かして気を紛らわすのですよ。家にいたら絶対ぼーっと何も手につかないことがわかっていますからね。
明日の神田が、一番楽しみです。
10年ぶりくらいのサイコドラマセッション、ディレクターがどう成長しているかじっくり拝ませてもらいます。・・まさかと思いますが主役が当たったらどうしよう?彼の正体はまだ不明、主役は辞退しようっと。危険です。
よくある話ですが、あるおばあちゃんの次男嫁に当る人の苦労談を伺いました。
そのあばあちゃん(85才)は、北海道で暮らしていたのですが、3年前にご主人が亡くなってからいろいろあって独り暮らしが危ない状態になり、関東に住む次男家族が引き取ることになりました。
最初から妄想はあったようですが、段々とそのお嫁さんのみが妄想対象になって、自分が置き忘れたのに嫁が取ったと言いふらしたり、お世話をしてあげようとしても「私を殺す気だろう」と拒否したりし出したので、車で3時間以上の距離の長男家族が引き取ることになりました。ところが長男嫁にも同じ態度をとったため、お嫁さんが悲鳴を上げて、話し合いの結果、1か月交代で次男宅と長男宅を行き来する生活になったのだそうです。痛み分けってことですね。
次男は自分の妻が最大限に献身的に自分の母親の世話をしていることをよく理解してくれていたそうですが、長男は自分の母親の言い分(妄想)をなかば信じている所があって、次男嫁にもう少し優しくしてやってくれとか言ってきていたそうです。それなら自分の家でずっと面倒見てあげればいいのにね?それは、実際に世話をしている長男嫁が1か月が限界と譲らなかったので現実化しませんでした。愚かな長男です。自分の嫁の言い分をちゃんと聞いてあげれば、ふたりの嫁の苦労がわかったはずなのに。

結局2家族(嫁)ともに疲れ果てて、有料老人ホームに入れることで事は解決したのですが、今度は施設長が自分を殺せと命令して夜な夜な誰かが自分を殺しに来ると訴えて大変になっています。・・・まあ、私が関与しましたからこの問題はすぐ片付くと思いますが。

お嫁さんに言ってあげました。
個人差はありますが、原則として母親は息子が結婚すると、嫁にかわいい息子を"盗られた"と感じているもので、認知症になると理性のブレーキがきかなくなるから、その本心がむき出しになって、「嫁=泥棒猫」という前提で物事を見るようになって、お嫁さんが妄想対象になるんですよ、と。人類永遠の現象です、お疲れさまでした。。
母親の愛情と言うか子供との結びつきの強さについても説明しました。母親の愛情が平等何ていうのはただの神話です。長子に6割、末子に4割、間の子供はゼロ。酷いようですがこれが実態です。理性があるのでどの子供にも愛情は注ぎますけれど、本心はこれ。だから長男さんと母親の結びつきはとても強くて、目が曇って前記のような発言が出たのだと思われます、と。

泥棒猫の話はとてもよくわかりましたと感謝してお帰りになりました。

世界中のお嫁さんへ。覚悟しておいてくださいね。
星読み有料講座が3月1日から始まっています。諸事情で今日から読み始めました。
1回10分程度の動画と若干のテキストで構成されています。
お話にならないほどのビギナーでもついていけるように、非常にわかりやすく親切に作られていて、ああいう物を作れるとはなかなか凄い人かもと感じています。
コメント欄の使い方についての説明の回があり、さりげないけどとても細やかな配慮がしてあって唸りました。ネット上の交流は、ひとつ使い方を間違うと大変なことになりますからね。

コメント欄を使って、受講者同士が繋がってほしいという意図があるそうです。ん~~、何か引っかかります。私の中にあるこのブロック感の正体はなんでしょう?

まず、星読みに興味があるという大雑把な共通点だけで安易に誰とでも繋がれるというノリを受け付けられません。これはおそらく言葉の定義の問題だと思います。よく、カリスマスターなどがステージで「愛し合ってるか~い?」「みんな繋がってるねー!」と叫んだりして、陶酔したファンたちがキャーキャーと興奮した反応を示している図。これ、繋がっているというのでしょうか??軽すぎませんか?こういう繋がりは仮止めの繋がりで、ちょっと強く引っ張ればすぐほどけるし、時間が経つだけで剥がれる、脆く儚いものに感じます。
そういうものだと認識していれば、こういう繋がりも悪くはありません。ところが世間は勘違いさんが結構たくさんいて、そんな仮止め繋がりなのに何か絆でもできたかのように馴れ馴れしくこちらのテリトリーを侵してくるんですよね。全身に悪寒が走ります。

さらに、私は不特定多数と繋がりたいという欲求がそもそもありません。自慢めきますが、目の前にいる人とたいていすぐに打ち解けて楽しくお喋りできるという特技がありますので、特定の人とそれなりに繋がることは簡単なんです。それで十分満足しているので、対象を不特定多数に広げる必要を感じません。職業上も、縁のある人だけを相手にしていればこと足りますから、少なくても個人的には集客する必要なし。
むしろ変な繋がりがあることで、面倒な相談事に巻き込まれたりまでしますから、あんまり繋がりってもちたくないと思ってしまいます。

でも、人類の進化のためには繋がりは欠かせない・・・。

このテーマは奥が深そう・根が深そうです。
いつかまた日を改めて考えてみたいと思います。
現実界に生きるのがちょっとだけ苦しいな。
自己防衛のために、そもそも何があったのか見直してみました。

確かなことは、あのエッセンスに抗いようのない懐かしさを感じること。
他の絵にも、美しさであったり親しみであったり新鮮さであったり愛情であったり、今まで接してきたどの生身の人に感じたよりも強い感情を感じること。
そして、こんな素晴らしい絵が描ける人ってどんな人だろう?と、いろいろ想像を巡らせていること。物語が勝手に進んでいっていること。それに翻弄されていること。
それ以外の事は、そう思おうとするならそうだし、思わなければ何でもないただの偶然です。

高次元の存在というものが本当にあるのなら、今体験していることには霊的な深い指導的意味があるはずなんです。これから何を学べと言っているのでしょう?私に足りない、あるいは忘れている何かのはずです。
・・・無力感?
ああ、これは私にとって非常に手強い敵です。努力して結果を手にしたり、運だけで物事がうまく運んだりの経験はいくらでもありますが、それで世界が変わったわけでもないし、なんだか自分の存在に意味を見出せなくて、いっそ滅えることができたらどんなに幸せだろうと感じ続けてきました。だから地球や人類の滅亡の危機を、憂うというより、こんな私を誕生させた根源ごと滅えるのも潔くっていいかもしれない、と、必然の出来事であるかのように肯定していたような気がします。滅える運命なんだよ、抵抗しても無駄、滅えたって何も変わらない、所詮小さな出来事、諦めなさい、と。冷めていたんです。

なのにあの絵達を見ていると・・いえ、側にいると、魂が打ち震えるような、ありふれた凡てを慈しみ愛おしみたくなるような、今まで経験したことのない暖かい感情が溢れてとまりません。私にできることなど小さな小さなことで、海辺の砂粒ひとつにも及ばないかもしれないけれど、でも、滅してはだめ。この絵の暖かさは、この世界の暖かさ。私が知ろうとしなかったから気が付かなかっただけ。滅えてもいいと思う覚悟があるのなら、怖いものなど何もない、大切なものを本気で大切にしてみたらどうなの?
結果的に無力であるかもしれません。でもやる前から無力感に負けて何もしないのは多分間違ってる。

あれれ?なんだか話がかなり飛躍してしまったような。
でも書くっていいものですね、なんだか相当すっきりしました。

20歳の頃読んだ「第3の波」に、21世紀は人類と地球にとって試練の世紀になるだろうというようなことが書いてありました。進化できるかできないか、できなかったら滅亡だ、と。直観的にそれは正しいだろうと感じ続けて2018年になり、やっぱり正しかったみたいだなと実感する日々です。

この間にわかったことは、今生きている人類だけで世界が構成されているわけではないということ。そう、スピリチュアルレベルの話のことです。スピリチュアル好きにも幅があり、そもそも情報源が不確かですし、自分に都合のよい解釈を堂々と公開している輩も散見され、結局は自分の体験と直感・魂の声で真偽を見極めなければなりません。何の保証もなしです。

これは確かだなあと思われるところから理解と変化を進めているわけですが、今の自分の状態にぴったり当てはまる言葉をみつけました。グラウンディング。今、これがかなり出来ていません。具体的に言うと、社会生活を続ける上で、つまらないけどしなければならない仕事に全然気が向かない、ということです。ほんとにやる気が出ません。手抜きならまだしも、していないことがどんどん溜まってきています。これはヤバイ。

やる意味を見いだせることはマイペースでできているのですが、社会人として当然するべきことの多くに、全くする意味がみつかりません。収入を得るための仕事ですら、収入なんてどうでもいいと感じてしまっています。いや、お金がないとまともな生活ができなくなるんですけど・・。わかっているのに意味を感じられないってどうしちゃったのでしょう?

対人的なことには全く支障がきていません。目の前の人がアクションかけてきたら、かなり適切に対処できます。でも自分から動かなければ進まない事に対して、動く気が全然しないんですよ!私でなくても誰でもできる仕事内容だからかもしれません。単に世間をなめているだけ、あるいは単に怠け心に負けているだけ、かもしれません。なまじ自己裁量権が大きい仕事なのが思いっきり災いしています。

ブログでグチグチ言っていても仕方ないですね。ボスを見習って、嫌で仕方ない仕事でも首根っこをつかまれているかのように淡々と粛々と片づける。社会からはじかれないためには、今はそれしかないでしょう。・・・あ~っ嫌!