5月下旬頃の私は毎朝めちゃくちゃ歩いていました。笑

 

 

 

この日は自宅から片道1時間半の距離にある

大田区の 池上本門寺 まで1人で朝のウォーキングへ。

 

 

  

 

この日は左足の人差し指が血豆になるほど頑張って歩いてしまいました。

そして、先日その血豆の爪がベリっと剝がれるという悲劇が。大泣き

 

 

大堂

 

自宅を5:00に出発して 池上本門寺 に到着したのは6:30頃。

観光の人も訪れるような大きなお寺ですが、まだ人も疎ら。

身軽な装いのご近所さんたちがほとんどのようです。

 

池上本門寺

日蓮聖人が今から約七百十数年前の弘安5年(1282)10月13日辰の刻(午前8時頃)

61歳で入滅(臨終)された霊跡です。

毎年10月11日・12日・13日の3日間にわたって

日蓮聖人の遺徳を偲ぶ「お会式法要」が行われるそうです。

お逮夜に当たる12日の夜には30万人に及ぶ参詣者で賑わうのだそうです。

 

 

長栄堂

 

池上本門寺 の守護神「長栄大威徳天」を奉安しているお堂です。

長栄堂 の前には紫陽花が植えられています。

 

 

 

ようやく色付き始めた時期でした。あじさい

 

 

鐘楼堂

 

 

 

鐘楼堂 の傍に安置されているこちらの 梵鐘

第17世日東聖人の代に

加藤清正公の娘で御三家紀州藩祖徳川頼宣公の正室となった瑤林院が

正保4年(1647)に寄進したものだそうです。

昭和20年4月15日の空襲で火をかぶり、

一部に亀裂と歪みが生じたため現在は傍らに仮安置しているのだとか。

 

 

 

鐘楼堂 の近くにも紫陽花が植えられているのですが

こちらはまだ蕾状態でした。

 

 

経蔵

 

 

 

経蔵 の隣に新しい三重塔が建っていました。

まだ完成はしていないようですね。

池上本門寺 の公式HPにある境内案内図にも

まだこちらの三重塔の情報は載っていませんでした。

 

 

 

片道1時間半の道のりの途中には

あちこちに紫陽花が綺麗に咲いていました。

 

 

 

紫陽花って日本原産の植物なんですよね。

 

 

 

紫陽花が咲く時期になると

紫陽花の名所に出かけて紫陽花鑑賞を楽しむ方も多いと思いますが、

実は大正時代までは紫陽花はあまり人気が無い花だったそうです。

 

 

 

日本の歴史の中で紫陽花が登場したのは奈良時代だといいます。

万葉集に紫陽花について詠んだ和歌が2首あるそうですが、

数多くの植物が登場する万葉集において

たった2首しか詠まれていないのは、とっても少ないことなのだそうです。

 

 

 

園芸文化が根付いていた江戸時代には

紫陽花は植木屋から疎まれる存在だったようです。

紫陽花は繁殖が容易で、誰でも簡単に増やすことができたからだとか。

 

 

 

1900年代初めにフランスで紫陽花の育成が始まり、

西洋アジサイとして発展。

それが大正時代に日本に入ってくるようになったそうです。

 

 

 

日本原産の植物だし

昔から親しまれてきたものと思ってましたが

意外にも日本で人気が出てきたのは戦後のことなんですって。