2泊3日で
山形・宮城旅行に行って来ました。
3日目
この日は朝から雨が降っていました。
それも結構な本降り。![]()
雨の中、屋外の観光は嫌だと旦那さんに言われるかと思いましたが、
積極的ではないながらも、
瑞鳳殿 に連れて行ってもらうことができました。
ほっ
でも、あまり長居はしたくないらしく、
ずんずんずんずん先を歩いて行ってしまうので、
ここで撮った写真の結構な枚数に旦那さんの一部(傘とか)が写りこんでました。![]()
※ 瑞鳳殿 には1枚目の画像の石段には進まず、
その左手にある↑の石段を進みます。
受付で拝観料を納めたら、いざ!
瑞鳳殿 は1636(寛永13)年、
70歳で生涯を閉じた仙台藩祖・伊達政宗公 の遺命により、
その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。
まずは手水で清め・・・
こちらは 瑞鳳殿 の正面門である 涅槃門 です。
樹齢数百年の青森檜葉を用いて再建され、
正面扉上部の蟇股には瑞獣「麒麟」、左右の妻飾には「牡丹と唐獅子」など
焼失前と同様の豪華な飾り彫刻が施されているそうです。
傘を差しながらの写真撮影だったので、
細かい部分の写真まで撮る余裕はありませんでした。![]()
内側から見た 涅槃門 。
そして、石段を上がった先に 唐門 。
↑の画像だと、奥の 本殿 と一体化しちゃってますね。![]()
写真を撮り忘れちゃったようですが、
確か 唐門 の手前に 拝殿 があったかと思われます。
唐門、こちらの画像の方がわかり易いかな?![]()
その奥に 本殿・瑞鳳殿 があります。
桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として、
1931(昭和6)年に国宝に指定されましたが、
1945(昭和20)年の戦災で焼失してしました。
現在の建物は規模、装飾ともに焼失以前の 瑞鳳殿 を範とし、
1979(昭和54)年に再建されたものだそうです。
2001(平成13)年に仙台開府四百年を記念して大改修工事が実施され、
柱には彫刻獅子頭を、屋根には竜頭瓦を復元し、
創建当時の姿が甦ったそうです。
適当な画像が無くてゴメンナサイ。![]()
江戸時代の初めには、
死んだ主君のあとを追って切腹する「追腹」が多く行われたんだとか。
伊達政宗公 の死去に際しては、
石田将監ら直臣15人とその家士5人が殉死したそう。
瑞鳳殿 の脇には、殉死者供養塔 が建てられています。
ちなみに、
殉死者というのは、主君が存命中に追腹を許可された者だけで、
許可をもらっていないのに勝手に切腹した者は、
殉死者とは認められないんですって。
こちらの青銅製龍頭瓦と鬼瓦は、
焼失する前の 瑞鳳殿 に据え付けられていたものだそうです。
ところで、こちらには 瑞鳳殿 の他にも、
二代藩主・伊達忠宗公 の霊屋や三代藩主・伊達綱宗公 の霊屋がありますが、
有料エリアは 瑞鳳殿 だけで、
他のエリアとの間には 瑞鳳殿 側からしか開かない自動ドアが設置されていました。
※ この記事の1枚目の画像にある石段を進んでしまうと、
瑞鳳殿 のエリアには入れません。
ご訪問の際は、自動ドアを出てすぐの石畳にもご注目を。
スケート靴によく似た敷石があるのです。![]()
こちらの敷石は意図して造られたものではなく、
長年こちらでお勤めされている方たちも気付かなかったのを、
羽生結弦さんのファンの方が偶然見つけ、一気に話題になったんだとか。
それにしても・・・
本降りの雨のせいで、ほとんど人に出会いませんでした。![]()
この先に、
二代藩主・伊達忠宗公 の霊屋と三代藩主・伊達綱宗公 の霊屋があります。
門をくぐった正面に、
二代藩主・伊達忠宗公 の霊屋である 感仙殿 。
感仙殿 のすぐ左手には、
三代藩主・伊達綱宗公 の霊屋である 善応殿 が。
生憎の雨でしたが、そのおかげで観光客の姿はほとんどなく、
静かに拝観することができて良かったです。
※多忙につきコメント欄を閉じさせていただいてます。




















