関東甲信地方に梅雨入りの発表があった日
清里・小淵沢方面に1泊旅行に行って来ました。
清泉寮 にチェックインした際 このようなカードをいただきました。
ポール・ラッシュ記念館
やまねミュージアム
山梨県立八ヶ岳自然ふれあいセンター
これらは 清泉寮 を運営する公益財団法人キープ協会が
運営管理している施設で
清泉寮 の宿泊者がこのカードを各施設に提示すると
無料もしくは割引料金で見学することが出来ます。
ポール・ラッシュ記念館 には まだ訪問したことが無かったので
この機会にお邪魔してみることにしました。
ポール・ラッシュ記念館 には9台駐車できる駐車場があるらしいですが
清泉寮 の新館から歩いてすぐの距離だったので
私たちは 清泉寮 の駐車場に車を置いたまま 徒歩で行くことに。
砂利道の周りは緑が綺麗な林。
ヤマツツジかな?あちこちに咲いていました。
獣道みたいな散策コースもあるみたいです。
車が1台停まってましたが あれはスタッフの方の車のようでした。
駐車場は 建物の前にあるとHPに書かれていたけど
枠があるのか無いのか よくわからなかったです。
ポール・ラッシュ博士 をご存知ない方もいらっしゃるかと思いますが
ざっくり こんな人物です。↑
ちなみに 先ほどのカード提示で
ポール・ラッシュ記念館 は無料で見学することができました。
ポール・ラッシュ記念館 は
資料館スペース と ポール・ラッシュ邸 の2つの建物で構成されています。
資料館スペース 内は 残念ながら写真撮影不可。
ポール・ラッシュ博士 は戦後の日本の復興に多大な貢献をしました。
清里高原 の開発が最も知られる事だと思いますが
アメリカンフットボール を初めて日本に持ち込んだのも
ポール・ラッシュ博士 なんだそうです。
資料スペース には アメリカンフットボールの御殿 というコーナーもあり
アメフトファンも楽しめる記念館です。
↑画像 右の建物は ポール・ラッシュ邸 。
ポール・ラッシュ博士 が晩年を過ごした邸宅です。
こちらの内部は 立ち入り禁止エリアに入らなければ
写真撮影が可能となっています。
それでは おじゃまいたします。
ポール・ラッシュ邸 内部はこのような造りになっています。
ポール・ラッシュ博士 は 復興事業に資金を注ぎ込むため
自身は生涯貧乏暮らしだったそうです。
清泉寮 のキャビンを住まいとし 家を持とうとしなかったらしいのですが
晩年(1964年)になって アメリカ人のサラ・ダーナル女史(何者か不明)から
訪れる多くのお客様をゆったりとおもてなしできる
広いリビングルームを備えた自宅用にと
その設計図と共に資金が贈られたんだとか。
《リビングルーム》
そうして建てられたのが この ポール・ラッシュ邸 。
当時のまま保存されているそうです。
《リビングルーム》
《リビングルーム》
《執務室》
《執務室》
《執務室》
この通路の左側に唯一あるのがダイニングルーム。
キッチンは公開されていなかったと思いますが
多分 ダイニングルームの続きにあるんじゃないかな?
《ダイニングルーム》
ポール・ラッシュ博士 はタバコとバーボンを好んだそうで
お酒に関する品が色々残されています。
この部屋は建物の中で唯一 外を通る人の姿が見える部屋だそうで
食事の時だけでなく
読書もここですることがあったんですって。
《寝室》
ポール・ラッシュ博士 は 晩年に心臓病を患い
ペースメーカーを植え込んで闘病生活を送ったそうです。
《寝室》
寝室の仙台箪笥(奥の箪笥かな?)の中には
眼鏡や腕時計や入れ歯などの遺品に混じって
聴診器など 闘病生活を偲ばせる品も保管されていたそうです。
予想以上に見応えのある記念館でした。
我が家以外 誰も来館者がいなかったので
のんびり見学できたのも良かったですね。