先日 奥多摩までドライブに行ってきました。

 

 

 

奥多摩湖 の湖畔に建つ 水と緑のふれあい館 の外には

ぐるっと建物を囲むように こんな小道がありました。

 

石碑の小道 と呼ばれる小道です。

その名の通り 小道沿いには沢山の石碑がありました。

小河内ダム の建設に際し

湖底に沈んでしまうところを こちらに移設したものが多いようです。

 

 

《日食供養塔》

 

日食 を社会異変の前兆と考えて供養したものだそう。

寛政11年(1799年)に建てられたようです。

 

天体に関する情報が少なかった時代には

天文現象を不吉だと考えたり

何か悪いことが起きる前兆だと考えることも多かったのだとか。

 

当時の人々は 日食 が起きると

お天道様(太陽)が病気になった と考えて

お供え物をしたり 太陽を拝んだり 庭の井戸を閉めたりしたそうです。

 

奥多摩 地域においては

村に疫病が流行るのを お天道様が代わりに病んでくださった

と考えられていたみたいです。

 

 

《灯明台》

 

調べたところ「灯明」とは 神仏に供える灯火 の事だそうです。

↑は 江戸の町火消「い組」の鳶頭が奉納したものだとか。

 

 

《へら鮒供養塔》

 

魚の供養塔って時々見かけますよね。

 

 

《松尾芭蕉》の句碑

 

石に刻まれている文字は読み取ることができなかったですが

案内板によると

「山中や 菊は手折りぬ 温泉の匂い」

と刻まれているみたいです。

 

松尾芭蕉がこの地を訪れたという記録は無いらしく

何故 この地に句碑が建てられているのかは不明だそう。

 

 

《廿三夜塔》

 

「にじゅうさんやとう」と読みます。

月待塔 は日本の民間信仰。

 

月待塔 は月を信仰の対象として「講中」といわれる仲間が集まり

飲食をし お経などを唱えて月を拝み

悪霊を追い払うという月待行事を行い

石碑はその記念や供養の証として建てられたもの。

 

廿三夜塔 は 23日の真夜中(午前0時前後)に

東の低空から上ってくる下弦に近い形の月(半月)を待ちながら

人々が集ったんだとか。

 

 

《庚申塔》

 

庚申塔 も 月待塔 と同じように民間信仰。

庚申の日に 拝んだり飲食したりしながら

徹夜で日を待てば 長寿できると信じられていたものだそう。

 

 

小道沿いには 他にも色んな石碑が建てられていました。

どの石碑にも歴史があって

それが建てられたストーリーがあって

なかなか興味深いです。

 

まぁ もっと詳しく知りたい!!!

と思うほどの情熱までは湧かないのだけど。笑