2022年10月に行った
京都旅行記 を綴っています。
京都旅行3日目
ホテルをチェックアウトしてやって来たのは 本能寺 。
本能寺 と聞いて思い浮かべるのは 何と言っても 本能寺の変 。
学生時代 歴史に全く興味がなく
大学受験にも必要なかったので(地理を選択)
日本史の時間は窓際の席で ぽ~ っとしていた私ですら知っている
本能寺の変 でございますよ。
ちなみに ↑の寺標に刻まれている 本能寺 の「のう」の漢字は
右側が「ヒ」ではなく「去」で刻まれています。
これは 本能寺 が何度も火事で焼失したため
「ヒ(火)」が「去る」と言う意味が込められているそうです。
でも お恥ずかしながら
現在の 本能寺 がある場所で 本能寺の変 が起きたわけではないことを知ったのは
結構最近だったりするんですけどね。
(学校で教わったのかもしれないけど 記憶にゴザイマセン。)
表門の前には 宗祖・日蓮聖人の像がありました。
日蓮聖人が説いたと言われる
「立正安国(論)」と刻まれた台座に乗っておられます。
私が訪問したこの日は偶然にも 日蓮聖人の命日 だったようです。
《本堂》
本堂では日蓮聖人の命日の法要である
御会式 が行われている真っ最中でした。
平日なのに立体駐車場は満車だし
本堂前にも車がいっぱい停まっていて「何事?」と思っていたら
そういう事だったみたいです。
本堂の右手には7軒の塔頭寺院が並んでいます。
かつては26院あったそうです。
そしてその奥には案内板にあるように 信長公廟 が。
塔頭寺院のひとつ 龍雲院 。
「塔頭寺院」とは 本能寺 に給仕する子院です。
本能寺 山内の建物の中で 龍雲院 だけが
蛤御門の変(禁門の変)に伴う火災から免れたのだそうです。
右に塔頭寺院を見ながら奥に進むと 信長公廟 が。
こちらのお墓は 信長 の三男・信孝の命により建てられたそうです。
でも 本能寺の変 では 本能寺 は焼け落ち
信長 の亡骸は見つかっていないため
お墓には 信長 が愛用していた太刀が納められているのだとか。
信長公廟 の隣には 信長 の配下たちの合祀墓も建てられています。
戦没者一覧の中には
日本史に疎い私でも知っている 森蘭丸 の名前も。
信長公廟 の右側にとても大きな イチョウの木 があります。
樹齢400年とも言われるこの イチョウの木 は
火伏せのイチョウ と呼ばれています。
18万もの家屋が焼失した歴史的大火災 天明の大火 の際
この イチョウ の下には逃げ場を失った数十人が身を寄せ合っていたそうです。
炎は寺全体を飲み込む勢いで迫り来て
「もはやこれまで」と諦めたその時
イチョウの木 が勢いよく水を噴き上げ
樹の下にいた数十人は火傷ひとつ負うことなく助かったという
伝説が残る 火伏せのイチョウ です。
火伏せのイチョウ も 本能寺 の見所のひとつ。
参拝の際はお見逃しなく。
大賓殿宝物館 も見学しました。
貴重なものを沢山見られて嬉しかったです。
私が訪問した時は
薬研藤四郎 と 和泉守兼定 の特別展示があり興奮しました。
薬研藤四郎 は 織田信長 の愛刀のひとつ。
文化庁の補助を受けて復元されたものだそうです。
信長が 本能寺の変 で自害したのは
この刀かも?という説もあるらしいですね。
残念ながら展示室の中は撮影不可なので写真は無いのですが
柄や鍔の無い刀身が薄型のアクリルケースに入れられていて
椅子に座ってルーペなどを駆使しながら
細部まで観察することができました。
訪問時 私以外誰もいなかったので(旦那さんもいなかった)
じっくり見ることができました。
和泉守兼定 は 新選組・土方歳三 の愛刀として有名ですね。
展示室の外の限られたスペースでは写真撮影が可能でした。
こちらは 香炉「三足の蛙」のレプリカ。
本能寺の変 の前夜 突然「三足の蛙」が鳴き出し異変を知らせた
という伝説があるそうです。
展示室の外にあるレプリカは写真撮影OKでした。
レプリカではない本物も見られて良かったです。
信長 のイラスト入りご朱印もいただきました。
薬研藤四郎 を手にしてます。
歴史好きでなくとも 色々興奮するお寺でした。
訪問出来て良かったです。