1ヵ月ほど前に 夢の島公園 を散歩しに行った際
第五福竜丸展示館 を見学しました。
第五福竜丸 は、1954年3月1日マーシャル諸島ビキニ環礁で
アメリカが行った水爆実験により被爆した
静岡県焼津港所属の遠洋マグロ延縄漁船です。
ドッグのようにデザインされた展示館の中には
第五福竜丸 本体及び 乗組員が使っていた日用品、
入院中の乗組員に宛てた手紙などが展示されています。
では早速お邪魔いたします。
館内に入ってすぐ 大漁旗 がお出迎え。
そして 第五福竜丸 の船体がどどーんと鎮座。
全長28.56m、幅5.9mと そんなに大きな船ではないですが
間近で見るととても迫力があります。
第五福竜丸 は放射能が減るのを待ったのち 練習船に改造され
東京水産大学(現・東京海洋大学)の練習船「はやぶさ丸」として
昭和42年に廃船となるまで活躍したそうです。
1954年3月1日にアメリカが炸裂させた水爆「ブラボー」。
広島に投下された原爆の1000倍の破壊力だったそうです。
爆発によって砕けた珊瑚の粉塵はキノコ雲に吸い上げられ、
放射能を帯びた「死の灰」となり周辺の海や島々に降り積もりました。
パネルの前に展示してある小瓶の中には
「死の灰」の実物が入っています。
乗組員23人 全員が被爆し 急性放射能症で東京の病院に入院。
半年後の9月
無線長だった久保山愛吉さんがお亡くなりになりました。
展示館の外には久保山愛吉記念碑が建っていて
原水爆の被害者はわたしを最後にしてほしい
という久保山さんの言葉が刻まれています。
2階からは 甲板を覗き見ることもできます。
延縄漁で使われる漁具などが展示されていました。
こちらは 第五福竜丸 のエンジンです。
廃船後は第三千代川丸に移されましたが
1968年7月、濃霧のため三重県熊野灘で座礁、沈没。
1996年12月、28年間海中に没していたエンジンは
市民の呼び掛けにより引き上げられ
こちらに展示されることになったそうです。
このような参事が再び起きないよう
改めて
原水爆の無い未来、平和を考えるきっかけを与えてくれる展示館でした。