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今日はこの記事の続きです。

 

 

今回私は 池上本門寺 に初めて訪問したのですが

境内が広くて 何処から何処までが 池上本門寺 なのか だいぶ混乱しました(笑)

 

 

こちらは前回の記事で紹介したエリアと道路を挟んだ所にある

本殿 です。

現代的な鉄筋コンクリート造で、昭和44年に完成したものだそう。

 

 

そして 本殿 の脇を通って更に奥に足を進めた所が

境内の最奥となります。

 

 

境内の最奥には

宗祖・日蓮聖人の御灰骨を奉安する墓塔をお祀りする廟堂 がありました。

 

 

大坊坂と呼ばれる石段の坂道を下っていくと 多宝塔 が現れます。

日蓮聖人入滅の折に荼毘に付した霊跡に建立した供養塔 だそうです。

 

 

坂を更に下った所には 本坊本行寺

池上本門寺 の子院で、理境院・照栄院と共に池上参院家のひとつです。

 

 

本行寺 は鎌倉時代の作事奉行・池上宗仲公の舘跡で、

こちらが 日蓮聖人が亡くなられた霊場 なのだそう。

 

日蓮聖人は療養のため 永年住み慣れた身延山を後にし

この地に来られたのだとか。

弟子信者に「立正安国論」の講義をされながら 病の療養につとめましたが

61歳でその生涯を閉じられました。

のちに 池上宗仲公は館を寄進しお寺としたのが 本行寺 の始まりだそうです。

 

 

境内にあるこちらのお堂は ご臨終の間

日蓮聖人がお亡くなりになった池上宗仲公邸の

仏間であったお部屋の跡に建てられたお堂だそうです。

亡くなるまで 約1ヶ月間をこの部屋で弟子たちに講義されていたのだとか。

中には、その時 日蓮聖人が寄りかかっていたとされる

柱の一部が置かれていて、実際に触れることもできるようです。

 

 

ご臨終の間 の前で石の柵で囲われているのは 御会式桜 桜

日蓮聖人がお亡くなりになった時

庭先の桜が旧暦10月(今の11~12月)にもかかわらず咲き乱れた

と、言い伝えられています。

今も敷地内に残るこの桜は、日蓮聖人がお亡くなりになった季節になると

必ず花を咲かせるそうです。

 

 

御硯井戸 は、日蓮聖人が身延山からこの地に到着した翌日

この井戸の水で墨をすり

9年の間 庇護してくださった波木井実長公に宛てた

手紙をしたためたと言われています。

 

 

井戸の後方には沢山のアジサイが咲いていました。

 

 

御灰骨堂 には日蓮聖人のご遺体を荼毘に付した後

その御灰を収取して安置してあるそう。

 

 

旅着堂 には 高弟の一人が日蓮聖人の遺徳を偲んで彫刻した

旅姿の日蓮聖人像が安置されています。

 

 

かなり久しぶりに御朱印帳の出番が。

 

 

前回の記事に載せるのを忘れていましたが

池上本門寺 でも御朱印を拝受しました。

 

 

朝散歩代わりのお寺散策の歩数は8500歩ほどでございました。