山形県米沢市にある 上杉神社 にやって来ました。
上杉神社は明治9年
上杉謙信 と 上杉鷹山 をご祭神に米沢城本丸跡に建立されました。
※ その後、明治35年に鷹山公は松岬神社へ分祀されましたので、上杉謙信公だけを祀っているとのこと。
米沢城址のお堀に架かる 舞鶴橋 の先には上杉軍の 毘 と 龍 の軍旗がはためいています。
「毘」 は毘沙門天。
戦の神であり、北方の守護神ということで、上杉謙信をはじめ 多くの武士たちが信仰していたそうです。
「龍」 は不動明王。
不動明王は動物で現すと龍、物に現すと両刃。
上杉謙信が軍旗に用いていた「龍」 の文字は独特の字体をしていますが
あれは 懸かり乱れ龍 と言われ、突撃する時に用いられていたらしいです。
色々と見学したい所はありますが、まずはお参りをさせていただきます。
一の鳥居。
その先に二の鳥居。
一の鳥居の脇には大正時代に記された境内での禁止事項が。
定
一、 車馬乗入ル事
一、 魚鳥ヲ捕ル事
一、 竹木ヲ伐ル事
上杉謙信が 越後の虎 と呼ばれていただけに
手水鉢に水をたたえるのは虎。
神門から見た拝殿です。
上杉神社は明治9年に建立されましたが、大正時代の米沢の大火により焼失。
現在の社殿などは大正12年に再建されたものです。
戦国時代の名将 上杉謙信にあやかり
上杉神社は 勝負運 、所願成就 、学業成就 、商売繁盛 などのご利益があると言われています。
拝殿前から参道を振り返って1枚。
まっすぐ続く参道が気持ちいいです。
御朱印もいただきました。
米沢城は本丸を中心とし、その周囲を二ノ丸、さらに三ノ丸を取り囲む構造で
いずれの郭も外側に土塁と水堀を設けていました。
最初にチラッと書きましたが、上杉神社はこの本丸跡に建っています。
神社参拝の後は、本丸跡を少々散策してみました。
上杉謙信像があります。
首から上は位の高い僧侶の身なり、首から下は武将の身なりをしています。
謙信はその生涯で約70回の戦に出陣していますが、負けたのは2回だけ。
武田信玄や織田信長らをも相手にしてのこの戦績ゆえに軍神とも呼ばれる訳ですが
その性格は優しく、思いやりのある人物でもあったようですね。
なせば成る なさねば成らぬ 何事も
成らぬは人の なさぬなりけり
の名言で知られる 上杉鷹山 の像もありました。
借金だらけだった米沢藩を立て直した偉人であります。
ジョン・F・ケネディが上杉鷹山を敬愛していた話は有名です。
こちらには 天地人、 上杉景勝 と 直江兼続 の像。
直江兼続は戦国時代の人物にしては高身長で、
180cmほどもありガッチリした体格だったそうです。
本丸の南東隅は小高い丘のようになっていて そちらにも行くことができるようです。
上にあったのは 上杉謙信祠堂跡 。
上杉謙信の遺骸を安置していた御堂が建っていた場所で
城内で最も神聖なところだったようです。
現在は歴代藩主が眠る 米沢藩主上杉家廟所に移されています。
上杉謙信祠堂跡の近くには 招魂碑 。
戊辰戦争と西南戦争で戦死した藩士や、
日清・日露戦争で戦死した将兵の慰霊のための碑です。
周りには桜の木が沢山植えられています。
私が訪れた4月初旬はまだまだ硬いつぼみだった桜ですが
4月20日ごろ満開が予想されているみたいです。
お堀沿いに約200本の桜があって、すごく綺麗らしいですよ。(←見たことない;;)