山形の実家に帰省した際に、久しぶりに 山寺 を訪れてみました。

 

 

山寺 の記事3回目の今日は赤丸で囲んだ この辺をご紹介します。

 

 

登山口 です。

一番最初の記事でも別の登山口 の写真を載せましたが

こちらから 奥の院 まで本格的に参道を進んで行くことになります。

ところで、、、もうお気づきかと思いますが

「参道」とは言え、それはもはや 登山 なのです。

翌日東京まで運転しなければならず 体力を温存したい旦那さんとはここで別れ

助手席に乗るだけのワタクシ1人で上を目指したいと思います!ぐー

 

 

鎌倉時代に建立されたと言われる茅葺屋根の趣ある 山門

入山料300円 (大人) をお支払いし、いざ!!!GO

 

 

ネットで調べると石段の段数は「1070段」とか「800段」とか色々出てくるんですが

立石寺のHPによると 1015段 とのこと。

いずれにせよ結構な段数ですので、心して挑みましょう!

そして 次から次と湧いてくる煩悩を消滅させたいと思います。

まずは、下で待つと言う旦那さんに対して

内心 この根性なしがっ!と思っていた心を改めましょうかね、、、。てへテヘッ

 

 

序盤はまだ余裕な感じですね。

ちなみに 今回ワタクシは下で旦那さんを待たせていることもあり、

結構なハイスピードで登りましたので

写真を取り損ねた見どころも色々あるかもしれません。冷や汗

HPによると普通に登れば片道30~40分くらいかかるようです。

そのくらい時間をかけてじっくり登る方が 色々見られて理想ですね。

 

 

 

参道にはあちこちに句碑、歌碑、詩碑が建っています。

 

 

こちらの小さなお堂は 姥堂 というもの。

ここより下は地獄で ここより上が極楽という浄土口で

ここで新しい着物に着替えて極楽に登り、

古い着物はご本尊である奪衣婆に奉納していたお堂。

この世のしがらみを捨てる といった意味合いがあるようです。

 

 

この日の参拝者は割と高齢の方が多かったので

皆さん ひぃーひぃー言いながら頑張って登っておられました。

その中では 若手なワタクシは、

爽やかに挨拶を交わしながら ごぼう抜きでございます。

意外と体力ある自分にびっくり。

 

 

両側から石段に被さるようにせり出している大きな岩は 慈覚大師お手掛岩

ここは道幅が狭くなっていますが、

山寺を開山した慈覚大師円仁がこの山を登る時に

前に立ちはだかった大きな岩を両手で押し開いてできた道だと言われています。

岩には慈覚大師円仁が手を掛けた時の跡が残されています。

 

 

参道脇の岩には何やら墓石のようなものが彫られています。

岩塔婆 と言われるもののようです。

これは、死者の魂は山寺に還る という民間宗教、習慣の名残なのだとか。

 

 

磨崖仏安然和尚像 とあります。

安然和尚は後に山寺を整備したとされる方らしいです。

 

 

 

参道脇には本当に色々な石像、石柱、石碑が建っています。

 

 

百丈岩 はかなりの迫力です。

そして、百丈岩 にばかり目を奪われていたワタクシは

大事な見どころである せみ塚 の写真を撮り忘れる失態をおかしました。。。

右下に石碑が見えてますが、、、そのすぐ右手に せみ塚 があります。

 

 

せみ塚 の説明だけでも、、、。

 

 

弥陀洞 までやって来ました。

ここにも 岩塔婆 が沢山彫られています。

弥陀洞 は案内板の背後にある凝灰岩が風化して阿弥陀如来像を形作っている所です。

その大きさは高さ4.8mもあり、

これはちょっと離れた場所で全貌を見てみないとわからないですね。

仏様のお姿に見える人には幸福が訪れる と言い伝えられています。

そして、案内板の左下にちょこっとだけ写りこんでいる車のついた木柱は 後生車 といい、

山寺の参道のあちこちで見ることができます。

これは年を若くして亡くなった人を供養するもので

南無阿弥陀仏と唱えて車を回すと その仏が早く人間に生まれ変われる

というものらしいです。

 

 

岩塔婆 が彫られていない岩肌には沢山の小銭が張り付いています。

雨だって降るし、その角度で何故に落ちないの???と不思議です。

 

 

さて、長くなってきましたので 今回はここまでに。