神戸・大阪旅行2日目
やって来ましたのは 神戸市中央区にあります 湊川神社 。
通称 楠公さん 。
こちらの神社は 楠木正成公 をお祀りしている神社です。
皆様、楠木正成 をご存じで???
ワタクシ、中学・高校時代は歴史の授業が大大大っ嫌いでして、、、
大学受験にも歴史は不要だったため
高校の歴史の授業などは 窓際の席で外の景色を眺めてボケ~っと過ごしておりました。(先生公認)
そんな訳で 楠木正成 ってどちら様???状態。
なので、こちらの神社を訪問するにあたり 少ーし 勉強してみました。
楠木正成 は後醍醐天皇に最期まで忠義を尽くした鎌倉時代の正義の武将。
楠木正成 は鎌倉幕府滅亡に大きく貢献しました。
しかし 楠木正成 たち武士を倒幕に導いた 後醍醐天皇 は
表舞台に戻った後 一緒に戦った 楠木正成 たち武士には目もくれず
天皇、貴族、寺院が権力や財力を持つ政治を行いました。
当然 武士たちからは不満が出ますよね。
中でも一番に不満の声を挙げたのが 足利尊氏 でした。
楠木正成 は武士の待遇が上がるように 後醍醐天皇 にお願いしましたが
その願いが聞き入れられることはなく
楠木正成 と 足利尊氏 は 湊川の戦い を迎えることとなりました。
つまり、武士であった 楠木正成 は武士である気持ちを抑えて
最期まで 後醍醐天皇 に対する忠義心を貫いたのです。
なるほど。
言われてみれば、そんな話 習った気がしないでもないですね。
元々 湊川の戦い は 楠木正成 の方に勝ち目はなく
最期は自害することとなったのですが
幕末から明治維新にかけて 楠木正成 の御神霊をお祀りしたいという国民運動が盛んになり
明治天皇 が 楠木正成 の忠義を後世に伝えるため神社を創建するよう命じられ
この 湊川神社 が創建されたのだそうです。
境内はこんな感じです。
それでは さっそく 手水舎で清めてお詣りします。
現在の社殿は戦災によって焼失したものを昭和27年に復興新築したものだそう。
鉄筋コンクリートでできていて、戦後の新しい神社建築様式として代表的な建物とのこと。
御利益は 大願成就、国家安泰、家内安全、健康長寿、学業成就、
合格祈願、開運招福などなど が期待されているみたいです。
御朱印も拝受。
密かに御朱印集めに興味を持っていたらしい姉が 私が既に始めていることを知り
この日、御朱印集めデビューを果たしました。
御朱印を拝受したら、宝物殿の割引券をいただきました。
せっかくなので、見学してみることに。
展示室は撮影禁止なので写真はありませんが、、、
楠木正成公 がどんな人物だったか、、、私がチラリと勉強したような事が
絵と共に とてもわかりやすく説明されていました。
あとは、楠木正成公 御真筆の法華経奥書や
楠木正成公 が着用したと言われている段威腹巻をはじめとする
ゆかりの宝物が展示してあります。
宝物殿の前にあった こちらの大きな木。
あちこちを支柱に支えられていますが、これはオリーブの木。
でも、ただのオリーブじゃありませんよ。
日本最古のオリーブの木 なんだって。
樹齢百数十年だとか。
最近 おうちのシンボルツリーとしても人気で、
ほんと あちこちで見かけるようになったオリーブですが こんな巨木を見るのは初めて。
いいもの見させていただきました。
こちらは 祓い所。
祓い所の奥にあったのは 親子さざれ石でした。
境内神社である 菊水天満神社 。
菅原道真公 をお祀りしている神社です。
菊水天満神社 には「撫で牛」が。
菅原道真 と言えば学問の神様として有名ですね。
撫で牛には 大学合格祈願のよだれかけ(?)が掛けられてました。
こちらもまた境内神社である 楠本稲荷神社 。
提灯が沢山あって とても華やかなお社でした。
境内には楠木正成公 の御墓所もあります。
で、下の方しか映ってませんが 奥に墓石があります。
私は見逃して来ちゃったのですが、境内には 楠木正成 の殉節地もあったみたい。
墓石の近くには 徳川光圀公(水戸黄門) の銅像。
徳川光圀公 は楠木正成 をお慕いし
楠木正成 の墓碑にも自ら 嗚呼忠臣楠子之墓 と文字を書いたそうです。
この墓所には多くの幕末の志士たちが参詣したそうです。
神戸ではとても有名な神社だと思いますが
参拝者も少なく とても落ち着く神社でした。