先日 那須高原 まで日帰りで遊びに行ってきました。

那須高原には何度か行ったことがあるのですが

だいたい いつも同じところばかり観光してまして

たまには ちょっと違ったところに行ってみよう電球

って事で ネットで見つけたのが ここ。コチラ

 

 

殺生石

なんとも 穏やかじゃないネーミングのスポットです。。。

 

 

中国の神話の中に 9本の尻尾を持つ狐の妖怪がいます。

この 九尾の狐 は かなり悪い妖怪で

インドや中国を荒しまわったのちに やがて日本に渡来してきました。

時は平安時代初期、鳥羽天皇の時代です。

日本で 「玉藻の前」 という美女に化けた九尾の狐は

鳥羽天皇の寵愛を受けていましたが

天皇の命を奪い、日本を我がものにしようと考えていました。

その事を陰陽師 安倍泰成に見破られ

九尾の狐は逃げ込んだ那須で退治されることになりました。

九尾の狐は死後 巨大な石になりましたが

その怨念が毒気となり

石に近づく人や家畜、鳥獣をも殺し続けたのだそうです。

そして村人によりこの石は殺生石と名付けられました。

 

 

って、伝説が残っているのだそうです。

 

それでは さっそく その呪われた石を見に行ってみましょうかね。

 

 

それは このなだらかな斜面を上った所にあるようです。

周りの山々には緑が生い茂っているのに

この一帯には ほとんど植物が生えておらず 独特の雰囲気を醸し出しています。

 

ところで、

車を降りた時から強烈な臭いを感じていました。

硫化水素の臭いです。

殺生石の周辺からは 硫化水素や亜硫酸ガス

砒素などの有毒ガスが噴出しているらしいんです。

その為、風がない日はガスがここに溜まってしまうため

立ち入りが禁止されることもあるようです。

植物が生えてこないのは その有毒ガスによるものなのでしょうね。

 

昔は今よりずっと有毒ガスの噴出する量が多かったそうです。

この場所で人や動物たちが亡くなったのは

実はこの有毒ガスによるものだったのに

昔の人たちは 九尾の狐の怨念が宿った殺生石の仕業だと考えたのかもしれません。

 

 

殺生石までは このような木道が整備されてるので

ベビーカーや ワンちゃんバギーでも行くことができますよ。

ただし、発生している有毒ガスは空気より重く 地面に近いほど濃度が濃いので

小さなお子さんやワンちゃんは 抱っこして行く方が良さそうです。危険

 

 

木道を進んでいくと 盲蛇石(めくらへびいし) というものがありました。

 

昔、とある湯守の男が厳しい冬を越すために薪を採りにやって来ました。

帰り道にここで休んでいると2mを超える大きな蛇に出会いました。

目が白く濁った盲の蛇で、可哀想に思った男は

蛇のためにススキと小枝で冬を越すための小屋を作ってあげたそうです。

次の年になっても蛇のことが気掛かりだった男は

湯殿開きの日に再び小屋を訪れてみました。

しかし、そこに蛇の姿はなく 代わりにキラキラ輝く湯の花があったそうです。

男の優しさが神様に通じ、湯の花の作り方を教えてくれたのです。

その後 湯の花の作り方は村中に広まり

村人は蛇に感謝し、蛇に似ていたこの石を盲蛇石と名付け大切にしたのだとか。

 

 

更に進むと 赤と白の何かが沢山見えてきます。

 

 

 

赤と白の何かは お地蔵様の頭巾でした。

それにしても すごい数のお地蔵様です。

こちらのお地蔵様は 千体地蔵 というもので

大きな手で合掌しているのが特徴です。

衆生の平安を祈っているのだそうです。

 

 

そして、千体地蔵と比べると 1体だけとても大きなお地蔵様が見えてきます。

教傳地蔵 です。

 

 

教傳という親不孝な不良少年がいました。

心配した母親は 教傳が改心するようお寺に預けることにしました。

しかし、教傳の行いは一向に良くなりません。

教傳が28歳の時、再び母親と一緒に暮らすようになりましたが

ある日 母親が用意した朝食を文句を言いながら蹴飛ばし

そのまま那須の温泉に遊びに行ってしまいました。

そこで 熱湯が噴き出る湯殿に落ちて教傳は命を落としてしまいます。

 

息子の死を悼んで供養する母親。

その後 那須湯元の有志がお地蔵様を建立し供養し

親不孝の戒めとして参拝する人が後を絶たなかったということです。

 

 

そして いよいよ 殺生石 のすぐ前までやって来ました。

この付近は有毒ガスが発生しているので立ち入りが禁止されています。

 

 

先ほど殺生石誕生までの話を書きましたが その話には続きが。

 

平安時代に入り、殺生石の話を聞いた源翁和尚という方が

この地を訪れ 殺生石を教化したそうです。

すると 殺生石は3つに割れ

1つは会津、1つは備前に飛んで行き、1つが那須に残ったのだとか。

 

元々は もっと大きな石だったんですね。

 

 

ちなみに ここは 奥の細道の風景地。

 

 

芭蕉は奥の細道の中で この地について

蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほど重なり死す

と 記しているそうです。

 

 

怖っ!!!

 

 

ちなみに このQRコードを読み取ると

九尾の狐が殺生石の解説をしてくれるらしいですよ。

 

 

人が少ないとちょっと不気味な感じがしますね。