あー!!
せっかく書いていたのに、全部消えてしまった。
せっかく体調が悪くて、微熱があってに、それにも関わらず書いていたのに。
頑張って書いていたのに。
どういうことの?
ねえ、アメブロさん、どないなってんの?
こういう事、よくある。
何かの表紙に「戻る」を押してしまい、また前にいたページにまた進んだら、
すべて消えている。
なんとかできまへんか?
な・ん・と・か、で・き・ま・へ・ん・か?
もう、今日は書かない。
エクセントリック成人ボウイ
かなり久々のブログなってしまった。
いつも「書かなくては!」という思いはあるが、どうしても時間を取られることに対して億劫に感じて、先送りしてしまう。今まで何度「これからは頻繁に更新します!」と宣言しただろうか。
でも何度でも宣言してやる!!
これからは頻繁に更新するようにします!!
ただ、かなり久しぶりなので乱文になってしまうとは思うので、そこはご勘弁を。
書いていくうちに、だんだん慣れてくるとは思うので。
久々になってしまった今回のトピックは「美味しんぼ問題」についてです。
今さんざんニュース等で取り上げられているので、このブログを読んでいる人は既にご存知だと思うが、簡単に経緯を書いてみる。
事の始まりは先月、漫画「美味しんぼ」の中で、主人公が福島第一原発を取材し、東京に戻ると倦怠感が続いたうえ、更に鼻血が出てしまった。前双葉町長に聞いたところ「それは被爆したからだ。福島ではそういう症状を訴えている人がたくさんいる。」と言った描写があった。
これに対して読者からクレームが多数あがり、ネット上でも話題になった。メディアでも連日報道があり、それを受けてか、福島県も正式に抗議文を出した。医学会からは「科学的な根拠がない」と意見が殺到。というわけだ。
この問題に対しては「あたかも事実のような描写は許しがたい」という声もあれば、「単なる漫画に対して、ここまで騒ぎになるのが理解できない」という意見もある。
そこで俺の意見を示そうかと思う。
確かに、たかが漫画でここまで騒ぐのはおかしい。所詮漫画、あくまでもフィクションだ。ましてや「美味しんぼ」がアニメ化やドラマ化もされている人気漫画だと言っても、人気が高かったのは15年~20年くらい前の話だし、今でも毎週スピリッツを買ってまで読んでいる人は少ない。わざわざ取り上げなければ、殆どの国民はその様な描写があった事も知らなかったと思う。
ただ、それでもあの描写には問題がある、と俺は思う。なぜかというと、たとえフィクションだとしても、作品を通じて、読者に作者としてのイチ見解を示しているというより、それが事実であるかのように思わせる様、意図して描いているからである。そして、漫画という手段を使うことが卑怯だ。しかも美味しんぼという認知度の高い、料理漫画を使って。
俺が一番腹立たしく感じるのは作者 雁屋の「真実を描くことで、なぜ批判されなければいけないのか」というコメントである。俺はこう言う言い方をする人が大嫌いだ。本当に嫌いだ。こういう言い方をするとあたかも「本当の事は隠されていて、それを自分が暴いてやった」みたいに聞こえる。全くもって見当はずれな見解であっても、だ。非常に卑怯な言い方だ。間違った正義感を振りかざして、自分を正当化して、全然公平な物の見方をしていない。
結局この様な主張は結論が先にきているのである。まあこれは政治や経済においてもそうなんだけど、結論ありきで話している人が多すぎる。
雁屋の主張のゴールは「国や東電が隠蔽を図っている。とんでもないことだ。」から始まっている、そしてその前段階として「福島では実は被爆での健康被害が多数出ている」ということがいいたくて、そのために明らかに偏った取材をしているわけだ。
従って取材の段階で、どういうゴールに持っていこうかは既に考えていて、そのプロセス作りの
ために取材をしているということだ。色眼鏡で見ているとしか思えない。
福島県のセンシティブな問題が、雁屋のような極左に利用されることが腹立たしくて仕方がない。
福島の放射能の問題や原発反対運動は、2つの勢力によって利用されている。一つは左翼で、一つは新自由主義だ。左翼の目的は国家解体で、新自由主義は代替燃料事業へ参入や投資である。
どちらも「国に任せるとすぐに隠蔽するし、無駄遣いばかりするし、ロクなことがない」と同じ主張を持っている。だから国を壊してしまえ!というのが左翼で、民間人にやらせろ!!というのが新自由主義。
民間人にやらせろというのは、表向きは、既得権益が利益を独占しているから不平等だ!という事だが、結局は俺にも儲けさせろ!ということなんだよね。
まあ、儲けたければ儲ければいいけど、自分たちの利益のために国の政策をかえようとするのはいかがなものだろうか。
あと前述した「騒ぎすぎ」という事に関しては全般的に左翼的なマスコミが、左翼思想丸出しで、原発のことをほじくり返したいのかな?と思う。
まあ、こういう新自由主義やマスコミの嘘については、おいおい書こうかと思います。
ちなみに言っておくと、今のところ福島県で放射能汚染における健康被害はまだ報告されていないし、健康に害を及ぼす可能性は極めて少ないとされている。それに確かに線量が高い地域はあるが、ストレスや飲酒、偏った食事や喫煙などに比べると、人体に及ぼす害は少ないということが科学的に証明されているのです。
だから、正しく怖がるべきだと思うんですよね。まあ、世間的にも変わりつつはあるとは思うけど。今回の騒動にしても、作者への批判的な声がほとんどなわけだし。
センシティブな話題は、やはりセンシティブに扱わないといけない。
エクセントリック成人ボウイ
いつも「書かなくては!」という思いはあるが、どうしても時間を取られることに対して億劫に感じて、先送りしてしまう。今まで何度「これからは頻繁に更新します!」と宣言しただろうか。
でも何度でも宣言してやる!!
これからは頻繁に更新するようにします!!
ただ、かなり久しぶりなので乱文になってしまうとは思うので、そこはご勘弁を。
書いていくうちに、だんだん慣れてくるとは思うので。
久々になってしまった今回のトピックは「美味しんぼ問題」についてです。
今さんざんニュース等で取り上げられているので、このブログを読んでいる人は既にご存知だと思うが、簡単に経緯を書いてみる。
事の始まりは先月、漫画「美味しんぼ」の中で、主人公が福島第一原発を取材し、東京に戻ると倦怠感が続いたうえ、更に鼻血が出てしまった。前双葉町長に聞いたところ「それは被爆したからだ。福島ではそういう症状を訴えている人がたくさんいる。」と言った描写があった。
これに対して読者からクレームが多数あがり、ネット上でも話題になった。メディアでも連日報道があり、それを受けてか、福島県も正式に抗議文を出した。医学会からは「科学的な根拠がない」と意見が殺到。というわけだ。
この問題に対しては「あたかも事実のような描写は許しがたい」という声もあれば、「単なる漫画に対して、ここまで騒ぎになるのが理解できない」という意見もある。
そこで俺の意見を示そうかと思う。
確かに、たかが漫画でここまで騒ぐのはおかしい。所詮漫画、あくまでもフィクションだ。ましてや「美味しんぼ」がアニメ化やドラマ化もされている人気漫画だと言っても、人気が高かったのは15年~20年くらい前の話だし、今でも毎週スピリッツを買ってまで読んでいる人は少ない。わざわざ取り上げなければ、殆どの国民はその様な描写があった事も知らなかったと思う。
ただ、それでもあの描写には問題がある、と俺は思う。なぜかというと、たとえフィクションだとしても、作品を通じて、読者に作者としてのイチ見解を示しているというより、それが事実であるかのように思わせる様、意図して描いているからである。そして、漫画という手段を使うことが卑怯だ。しかも美味しんぼという認知度の高い、料理漫画を使って。
俺が一番腹立たしく感じるのは作者 雁屋の「真実を描くことで、なぜ批判されなければいけないのか」というコメントである。俺はこう言う言い方をする人が大嫌いだ。本当に嫌いだ。こういう言い方をするとあたかも「本当の事は隠されていて、それを自分が暴いてやった」みたいに聞こえる。全くもって見当はずれな見解であっても、だ。非常に卑怯な言い方だ。間違った正義感を振りかざして、自分を正当化して、全然公平な物の見方をしていない。
結局この様な主張は結論が先にきているのである。まあこれは政治や経済においてもそうなんだけど、結論ありきで話している人が多すぎる。
雁屋の主張のゴールは「国や東電が隠蔽を図っている。とんでもないことだ。」から始まっている、そしてその前段階として「福島では実は被爆での健康被害が多数出ている」ということがいいたくて、そのために明らかに偏った取材をしているわけだ。
従って取材の段階で、どういうゴールに持っていこうかは既に考えていて、そのプロセス作りの
ために取材をしているということだ。色眼鏡で見ているとしか思えない。
福島県のセンシティブな問題が、雁屋のような極左に利用されることが腹立たしくて仕方がない。
福島の放射能の問題や原発反対運動は、2つの勢力によって利用されている。一つは左翼で、一つは新自由主義だ。左翼の目的は国家解体で、新自由主義は代替燃料事業へ参入や投資である。
どちらも「国に任せるとすぐに隠蔽するし、無駄遣いばかりするし、ロクなことがない」と同じ主張を持っている。だから国を壊してしまえ!というのが左翼で、民間人にやらせろ!!というのが新自由主義。
民間人にやらせろというのは、表向きは、既得権益が利益を独占しているから不平等だ!という事だが、結局は俺にも儲けさせろ!ということなんだよね。
まあ、儲けたければ儲ければいいけど、自分たちの利益のために国の政策をかえようとするのはいかがなものだろうか。
あと前述した「騒ぎすぎ」という事に関しては全般的に左翼的なマスコミが、左翼思想丸出しで、原発のことをほじくり返したいのかな?と思う。
まあ、こういう新自由主義やマスコミの嘘については、おいおい書こうかと思います。
ちなみに言っておくと、今のところ福島県で放射能汚染における健康被害はまだ報告されていないし、健康に害を及ぼす可能性は極めて少ないとされている。それに確かに線量が高い地域はあるが、ストレスや飲酒、偏った食事や喫煙などに比べると、人体に及ぼす害は少ないということが科学的に証明されているのです。
だから、正しく怖がるべきだと思うんですよね。まあ、世間的にも変わりつつはあるとは思うけど。今回の騒動にしても、作者への批判的な声がほとんどなわけだし。
センシティブな話題は、やはりセンシティブに扱わないといけない。
エクセントリック成人ボウイ
というわけで、宣言した以上は、日常的にブログは書いていこうと思います。
唐突だが、最近、「怒るポイントって本当に人によって違うなぁ」と感じる。
俺はあまり怒ったり、文句を言ったりするタイプではない。彼女とか友達に多少わがままを言われても、「はいはい」と聞いてあげて、それを見ている第三者から「やさしいなぁ」と言われる事がよくある。
でもそれは俺が単純にやさしいからとかっていうよりは、「怒るポイント」が違うからだと思う、
店員への態度を例にとるとわかりやすい。
飲食店などで、店側に不手際があった際に、怒って注意する人が多いのだが、俺は「まあ失敗くらいするさ」と思ってなんとも思わないし、逆に注意する方が嫌な気分になるので、何も言わない。むしろ失敗して申し訳なく感じないよう、その店員をフォローしようとするくらいだ。
では、俺が何に対して腹を立てるかというと「物の言い方」である。
これは、俺が大阪人というの事も大いに関係しているとは思うのだが、今東京に住んでいて、「なんでそんな言い方すんねん?」とか、「なんでそんな態度をとるかな?」と思うことがしょっちゅうある。
しかし、周りの人(特にこっちの人)はそういう言い方や態度に対しては、あまり気に止めないらしい。もっと実際的な手違いや不手際など。逆に俺は言い方さえしっかりしていれば、そこはあまり気にならない。
いい例をひとつ紹介しよう。
先週末、駅で友達を見送る際、その友達は「9時56分発」の電車に乗るはずだった。しかし、出発時間にホームに向かっても、電車が来る気配はなかった。どうやら、東京マラソンの関係でダイヤがに変更があり、電車は9時54分に出発してしまったらしい。駅員に聞くと、次は「10時9分発」で10分くらい時間が空いてしまう。
友達は、「ダイヤ変更があったとしても、なんで前倒しなんだ。知らない人が通常通りその時間に来て、乗れないなんておかしい!」と怒り心頭だったが、俺はその事には対して腹が立たなかった。
もちろん俺は「見送る立場」であり、例えば急ぎの用があったとしたら、同じように怒るだろう。
しかしその場で俺は、むしろ違うことに腹を立てていた。さっきの「駅員の態度」だ。時間を聞いた際にその若い店員は、、表情一つ変えず、「10時9分」と何だか半分タメ口のような口調で帰ってきたため、俺はムカッ!!っと来ていたのだ。
で、その友達にその事を伝えてが、「そうだったかなぁ?」という調子だった。
やっぱり俺が大阪人だからだろうか?
大阪は「愛想」をふるまう文化だ。人に接するときのマナーとして、「愛想よく、誠実に」という意識を、大阪人には根底に持っている。別に「クレームになっても、その電車の乗客数現象にはつながらないから」とか、そういうあざとい問題でない。大阪の駅員でこんなふざけた態度はありえないわけだ。
文化が違うから、こんな事で怒っても仕方がない。最近つくづくそう思う。それにほとんどの場合、別に相手は自分の事をバカにしているわけでも、軽んじているわけでもない。つまり、故意的とか作為的にやっているわけではなく、コミュニケーションの取り方の違いだけだというわけだ。
ただ、こういう答えのでないレアケースの場合はどうだろうか。
去年の年末の事だ。会社の最寄駅で帰るために改札を通ろうと、SUICAをかざしたらうまく読み取れず、扉ががしゃんとしまってしまった。人の流れを止めてしまったので、「あっ、すみません」と行って後ろの人を見ると、その会社帰りのおばはんは、非常に不機嫌そうな顔をして、「はぁ~」とあからさまに深いため息を吐いた後、舌打ちをして、足早に隣りの改札を通り、立ち去っていった。
ものすごい怒りを感じた俺は、とっさにそのおばはんを追いかけて、「おい!待てや、おばはん!!なんやねん、お前!」と文句を言いそうになった。
ICカードが改札機にうまく読み取らないなんて、日常的にあることだし、だれもが1度は経験したことだ。別に、俺の不注意でもなんでもない。それでも、俺は流れを止めたことに対して、「すみません」と謝った。というより、なんだかむしろ誤った事で向こうが舐めてかかってきたような気さえした。誠意を仇でかせされたような。
よほど腹が立って、本当にどなり散らしてやろうかと思ったが、会社が近いし、何よりも一度怒り出すと自分でも止められなくなりそうで、大声を上げずにはいられなくなりそうだったので、やめたのだが。
でもしばらくたってから思い返し、でた結論は、「追いかけたところで何て文句をいう?」である。「なんでそんな言い方すんねん!もっと言い方あるやろ??じゃあ、お前はICカードがうまく読み込まなかった事が一度もないんか?」といっても、なんだか怒っている理由もはっきりしないし、説得力がない。
こういうときって、どうすればいいのだろうか?と考えてみたのだが、もう「頭のおかしい人」認定するしかない。言い返す事もできないし、かといって、そのまま黙って見過ごすのも癪にさわる。だから、「普通の人」と考えてはいけない。「頭のおかしい人」だから、もう放っておくしかない。そう考えるのが一番妥当なんだろう。
本当は、「疲れて、ストレスがたまっているんだ。大変そうだな。お疲れ様です。」と思えれば一番素晴らしいのだろうが、そこまで大人になれない僕ちゃんなのです。
エキセントリック成人ボウイ
唐突だが、最近、「怒るポイントって本当に人によって違うなぁ」と感じる。
俺はあまり怒ったり、文句を言ったりするタイプではない。彼女とか友達に多少わがままを言われても、「はいはい」と聞いてあげて、それを見ている第三者から「やさしいなぁ」と言われる事がよくある。
でもそれは俺が単純にやさしいからとかっていうよりは、「怒るポイント」が違うからだと思う、
店員への態度を例にとるとわかりやすい。
飲食店などで、店側に不手際があった際に、怒って注意する人が多いのだが、俺は「まあ失敗くらいするさ」と思ってなんとも思わないし、逆に注意する方が嫌な気分になるので、何も言わない。むしろ失敗して申し訳なく感じないよう、その店員をフォローしようとするくらいだ。
では、俺が何に対して腹を立てるかというと「物の言い方」である。
これは、俺が大阪人というの事も大いに関係しているとは思うのだが、今東京に住んでいて、「なんでそんな言い方すんねん?」とか、「なんでそんな態度をとるかな?」と思うことがしょっちゅうある。
しかし、周りの人(特にこっちの人)はそういう言い方や態度に対しては、あまり気に止めないらしい。もっと実際的な手違いや不手際など。逆に俺は言い方さえしっかりしていれば、そこはあまり気にならない。
いい例をひとつ紹介しよう。
先週末、駅で友達を見送る際、その友達は「9時56分発」の電車に乗るはずだった。しかし、出発時間にホームに向かっても、電車が来る気配はなかった。どうやら、東京マラソンの関係でダイヤがに変更があり、電車は9時54分に出発してしまったらしい。駅員に聞くと、次は「10時9分発」で10分くらい時間が空いてしまう。
友達は、「ダイヤ変更があったとしても、なんで前倒しなんだ。知らない人が通常通りその時間に来て、乗れないなんておかしい!」と怒り心頭だったが、俺はその事には対して腹が立たなかった。
もちろん俺は「見送る立場」であり、例えば急ぎの用があったとしたら、同じように怒るだろう。
しかしその場で俺は、むしろ違うことに腹を立てていた。さっきの「駅員の態度」だ。時間を聞いた際にその若い店員は、、表情一つ変えず、「10時9分」と何だか半分タメ口のような口調で帰ってきたため、俺はムカッ!!っと来ていたのだ。
で、その友達にその事を伝えてが、「そうだったかなぁ?」という調子だった。
やっぱり俺が大阪人だからだろうか?
大阪は「愛想」をふるまう文化だ。人に接するときのマナーとして、「愛想よく、誠実に」という意識を、大阪人には根底に持っている。別に「クレームになっても、その電車の乗客数現象にはつながらないから」とか、そういうあざとい問題でない。大阪の駅員でこんなふざけた態度はありえないわけだ。
文化が違うから、こんな事で怒っても仕方がない。最近つくづくそう思う。それにほとんどの場合、別に相手は自分の事をバカにしているわけでも、軽んじているわけでもない。つまり、故意的とか作為的にやっているわけではなく、コミュニケーションの取り方の違いだけだというわけだ。
ただ、こういう答えのでないレアケースの場合はどうだろうか。
去年の年末の事だ。会社の最寄駅で帰るために改札を通ろうと、SUICAをかざしたらうまく読み取れず、扉ががしゃんとしまってしまった。人の流れを止めてしまったので、「あっ、すみません」と行って後ろの人を見ると、その会社帰りのおばはんは、非常に不機嫌そうな顔をして、「はぁ~」とあからさまに深いため息を吐いた後、舌打ちをして、足早に隣りの改札を通り、立ち去っていった。
ものすごい怒りを感じた俺は、とっさにそのおばはんを追いかけて、「おい!待てや、おばはん!!なんやねん、お前!」と文句を言いそうになった。
ICカードが改札機にうまく読み取らないなんて、日常的にあることだし、だれもが1度は経験したことだ。別に、俺の不注意でもなんでもない。それでも、俺は流れを止めたことに対して、「すみません」と謝った。というより、なんだかむしろ誤った事で向こうが舐めてかかってきたような気さえした。誠意を仇でかせされたような。
よほど腹が立って、本当にどなり散らしてやろうかと思ったが、会社が近いし、何よりも一度怒り出すと自分でも止められなくなりそうで、大声を上げずにはいられなくなりそうだったので、やめたのだが。
でもしばらくたってから思い返し、でた結論は、「追いかけたところで何て文句をいう?」である。「なんでそんな言い方すんねん!もっと言い方あるやろ??じゃあ、お前はICカードがうまく読み込まなかった事が一度もないんか?」といっても、なんだか怒っている理由もはっきりしないし、説得力がない。
こういうときって、どうすればいいのだろうか?と考えてみたのだが、もう「頭のおかしい人」認定するしかない。言い返す事もできないし、かといって、そのまま黙って見過ごすのも癪にさわる。だから、「普通の人」と考えてはいけない。「頭のおかしい人」だから、もう放っておくしかない。そう考えるのが一番妥当なんだろう。
本当は、「疲れて、ストレスがたまっているんだ。大変そうだな。お疲れ様です。」と思えれば一番素晴らしいのだろうが、そこまで大人になれない僕ちゃんなのです。
エキセントリック成人ボウイ