本当に久しぶりのブログとなってしまった。
更新しようという気にはなるのだが、なかなか実行に移らない。その一番の原因は「時間がかかる」という固定概念だ。意外と几帳面な俺は、文章を何度も読み直し、構成を考えながら何度も修正したりするので、ひと記事あたり、2時間くらいかかってしまう事もざらなのだ。
この感覚は、海外の友達からメールが来た時にいてる。別に完全な英語じゃなくても伝わるし、向こうは俺の英語のレベル等気にもしていないのだろう。純粋に友達としてメールをしてきているわけだから。わかってはいるが、それでも少しでもよく見られたいから、「この言い回しは、awkwardじゃないのだろうか?」等と思い、何度も見返してしまう。結局時間がかかる→メールが来ても対応するのが億劫になってしまう。というわけだ。
だから、ブログに関して言えば、文章の事は一度忘れてとりあえずもっと頻繁に更新する事に気持ちを向けていこうと思う。だから、rough writingでも許してね。
さあ、久々のブログのテーマは、大津事件だ。
この事件は、俺にとっても、特別感情を揺さぶられた事件となった。この事件で、いじめに対する認識が変わったのは、俺だけじゃないはずだ。
まず、この事件が起こるまでの俺のいじめに対する考えを述べておこう。それは、いじめは無くならないという事だ。
人間は弱く、集団的な生き物だ。集団になったとき、自分の心の弱さがだれかを攻撃して、自分の優位を保とうとする。そういう行為が、自然発生的に起きてしまう。人間だって動物だ。
もっといえば、大人の世界でもいじめは存在する。それは子供の世界ほどあからさまではないかわりに、子供以上に陰湿なものである。
だから、強くなければならない。いじめは肯定できないけど、なくなるのはおそらく無理だろう。だから、強くなければいけない。それが持論だった。その考え方は今でも基本的には変わらない。
しかし、今回のことで、「いじめに対する境界線と定義づけ」がはっきりとできた。
そもそも、自然発生的に起こるいじめというのは、異質なものがいれば排除しようとしたり、弱いものを貶めて、自分の集団での優位を確立しようとする本能的な行動である。だから、転校生はいじめられてしまうし、個性の強いや、弱々しい子はいじめられてしまう傾向にある。そういった人間の弱さからくるものは、いじめと定義していいだろう。ただ、この行為も、周りが訂正し、正しい方向に導かなければならない。
しかし、今回の様な非人道的な行為を陰湿かつ執拗に行う行為は、立派な犯罪である。
いじめの定義というのは、どうも変わってきているような気がする。橋本市長が弁護士だった頃、よくTVで話していた。「昔はいじめはなかった。ドラえもんの様な社会だったからだ。ジャイアンは普段のび太をいじめる。でも、いざという時は守ってやる。そういう親分肌のガキ大将がいた。しかし、今はもっと姑息で陰湿だ」と。
俺は懐古主義ではないので100%納得はできない。昔はいじめはあったかどうか知らないが、、差別は今に比べはっきりとあった。が、言いたいことはわかる。このようなケースを、本来「いじめ」と認識付けるのだ。
それには属さない、悪意の塊で陰湿で姑息なものは、立派な犯罪なのである。そして、今回ケースは、それの最たるものである。暴行、恐喝、傷害等々。。。それも、加賀者だけではなく、加害者の親族、学校の先生たち、教育委員会、警察と多くの周りの人たちがその犯罪に加担している。
要は腐敗しきっているのだ。
俺は今中学生の男の子の家庭教師をしているから分かるが、中学生なんて本当に子供である。つまり、まだまだ親や周りの影響下をまだまだ受けやすいという事だ。周りが腐っているから、こんな子供ができてしまう。じゃないと、こんな悪質な犯罪なんて犯さない。
ねじ曲がった環境の中で生まれ育った本人たちの悪質性、そして劣悪な環境がすべて重なって今回の事件に至ってしまったのだ。
加害者の親の一人は、被害者の親に「勝手に死なれて、こっちがいい迷惑だ」と言い放ったし、校門の前で「私たちは被害者です。」というビラを配って周ったという。
加害者の生徒たちも全く反省しておらず、そのうちの一人は早速転校先で暴行事件を起こしたらしい。
俺はそれらを聞いたときに、別に驚きもしなかった。じゃなかったら、ここまでしてなかったって!自殺されて、ショックを受けるようなタマやったら、こんな悪質な事はしていない。
疑問なのは、こんな情緒酌量んの余地もない奴らを野ざらしにしておく道理がどこにあるのだろう?犯罪予備軍以外の何者でもない。
学校も、自治体も、教育員会も、対応が浅はかすぎて、呆れてくる。そもそも、この事件のあった学校は、「いじめ撲滅推奨校」みたいなののモデルやったんやろ?本末転倒と言おうか、なんと言おうか結局体裁を守りたくて必死やったわけね。
現に今でも、夏休みに入って世間はロンドンオリンピックの事で盛り上がってて、雲隠れしようとしているのがバレバレ。いやいや、このまま終われるわけないやん。
とりあえず、俺に子供ができても、少なくとも大津市育てようとは絶対に思わない。大津市というのは、人を殺しても、「ふざけてた。」等の理由で加害者は容認されて、むしろ被害者が非難されるという風習がある土地だから。少なくとも、今回の事件を受けて、そう感じずにはいられない。
そもそも、教育ってなんなんだろう?俺の考えは、前述した、「子供を正しい方向に導く」という事である。正しい方向というのは、人によって定義はあるだろうが、「他人を尊重し、敬う心」は最重要項目なのは間違いない。
「子供は未熟な物もの」だという認識が、教育の大前提である。だから、大人や周りの環境が、一人前に自立し、周りを敬い、社会に貢献していけるように育てるのが必要なのだ。今の教育には、その認識が薄れているのじゃないだろうか?なんでもかんでも子供を第一に、子供目線で考える。悪いことをした時に、悪いことだと認識させる為に手を出すこともできない。
なぜ未熟なものをスタンダードで考えるのだろう?個性を伸ばす事を名目に教育を行っているかもしれないが、行き着くところは個性の淘汰だ。順位も付けない環境なのだから。
大体、いわゆるモンスターピアレント達は、本当に子供のことを第一に考えているのだろうか?結局は子供の事よりも自分の方が可愛いのではいかと思う。自分の見栄ばかり考え、結局子供をステータスとして見ていないのではないか。
そして、今回の加害者の件で言えば、俺は少年法を適用する必要なんてないと思う(このままいけばまず起訴されるだろう。)が、少年法に乗っ取って加害者達を更正させたいなら、とりあえず親とは引き離すべきである。少年院にいれようが、同じ親の下に返せば同じことである。家族とは引き離し保護し、徹底的に道徳を叩き込まない限りは同じこと。どこまでいっても犯罪予備軍である。
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