学校は社会の縮図。小さな箱庭。新しい知識を与えて、興味の芽を芽吹かせて育たせて、時々、難解すぎる事を求めて、興味の芽を腐らせてしまう場所。

そして何より、一番大切な事は、本当に必要な事は、他人との関わりを学ぶ事。他人と関わっていく事を学ぶ事。命の大切さとか、友達の重要性とか、社会に出て必要になるだろう最低限の事を勉強する場所。

……実際何処まで学べるかは、その人の環境にかかっているような、気もしますけどね………。実際フォローしきれないだろうなーって、思います。その分は学校じゃなく家庭とか地域とか―実際は学校の方が協力の筈だと思うんですけどね…、フォローしなきゃいけないんだろうな、と。

学ぶという事は有る意味で、諦めるって事。慣れるという事。知って、実感するって事。理解する、って事。後は、生きていく為に必要な事。

例えば、ゲームのキャラクターが死んだ。リセットボタンを押した。生き返った。

でも実際は、ペットが死んだ。リセットボタンは何処にもない。生き返ることはありえない。だってもう、死んでしまったから。死ぬって事は寂しい事だ。何かが無くなるって事は、哀しい事だ。そう、解ったら。ペットと同じ動物を見る。殺したい、とは、多分思わない。…多分だけど。

叩かれる痛みを知らない子供は、誰かを叩いても痛いとは思わない。傷口に塩を塗っても、刃を突き立てても。知らないから、解らない。

虐待は繰り返されるのだという。絶対にこんな大人にならないぞ、と思っていても、如何して解ってくれないのって、やってしまうんだと。愛しているのに、してしまうんだと。其れはただ、上手い愛し方を知らないだけで、上手い愛し方を知ってはいても、解っていないから出来ないんだと思う。

学ばなければ、ただひたすらに同じ事を繰り返すだけ。同じ失敗を。同じ過ちを。

日々、人は学習する。怠惰から生まれる発明。痛みから逃れる嘘。嘘を付く空虚感。傷つけられる事で痛む事。誰かも痛むだろう事。快楽を伴う幸福。生き易くなる為に。生き易くする為に。生きていく為に。生き残る為に。



お題提供 考える人に100のお題 サイト様

やっぱり駄目だなーって、思ってしまう。

私の事が好きだと言う。でも其れは多分、私を見て、自分勝手に作り上げた幻想の私に恋をしているだけだと思う。もしくは単に、恋をしているという幻覚、錯覚を抱いているだけだと思う。だって私は貴方の事を殆ど知らないし、貴方は私の事を殆ど知らないのだから、其れは間違いないと思う。

それから始まるのだって、確かに有りかもしれないけど、私にはまだやっぱり無理だな、って思う。それは向こうに原因があるのではなくて、私自身の問題で。あーうー、どうしたものかな…。

流されるのは厭なんだよね。…好きだって言われると意識しちゃうし。意識する事自体が厭。そんなの関係ナシで付き合いたいのに。……、誰かを好きになりたいけどさ。誰かが自分を好きだからその人を好きになるっていうの、なんかずるくてヤダ。誰かが自分を好きって保証が無きゃ、誰も好きになれないみたいで、なんかヤダ。保証を貰って、保証があるから、なんてなんか卑怯臭くてヤダ。まぁ、中身が伴わなきゃ結局その保証だって直ぐなくなっちゃうんだろうけど。

……なんか自分から好きになって、駄目になっちゃったんなら、諦めが着く気がするけど、相手から好きになって貰って、駄目になっちゃったら、諦めが着かない気がするから。―好きだって言ったくせに、って。

結局自分の事ばっかで駄目だなーって思うけど。私結構執着するタイプだと思うので。独占欲が強いというか、ね。そのくせ極端だから。まぁ、何がどう転ぶかなんて誰にもわからないしねー…。

……もう一寸柔軟性があれば上手く付き合えるんだろうケド。もう少し、平気になれれば、上手くやっていけるんだろうケド。あーもー面倒くさい。

貴方の為にって両手を離したのは

きっと私の綺麗な嘘

私の為にって両手を放したのは

きっと貴方の綺麗な嘘


一緒に居る事に疲れてしまった?

そんな事無かったけれど

一緒に居る事が哀しかった?

そんな事無いけれど


貴方の事が好きだった

貴方が想ってくれるより少し多く

私の事を好きで居てくれた

私が想うよりもきっと多く


繋いだ掌に出来た隙間に貯まった空気が

風船から零れるように噴出して

驚いて見据えた先がずれただけ

進む道を僅かに確かに違えただけ


貴方の為にって両手を放したのは

きっと私の綺麗な嘘で

私の為にって両手を離したのは

きっと貴方の綺麗な嘘

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人気の無い冬の海

波が押し寄せ去り行く浜辺

くっきり残った二つの足跡

綺麗な嘘のような青い空


空の彼方に解ける様に

翼を広げ風を駆ける鳥

凍えるような冷たい空気が

奪わぬよう握り締めた温もり


長く長く伸びる影

大きな船が海の彼方に消える頃

貴方はようやく口を開き

綺麗な嘘のように

綺麗な綺麗な嘘のように

私の手を握り返した

一度くらい、見てみたいな、と思ってすっかり忘れてた。

会社の隣の席の人に「東京タワー」を借りて、不意に思い出した。

そしたら急に、誰かに言いたくなった。「東京タワー行かない?」…もしくは、連れてって。…だって、何処に行けば良いのかわかんないから。(調べろよ)

昔、京都タワーに行く機会が有って、行きたくてしかたなかったけれどその当日に腹痛が酷くて、行けなかった事を思い出した。

別に何かがあると思っているわけじゃないんだ。

多分、高い所だから、綺麗に景色が見えるんだろうな、とか、その程度。

でもどうせだから、なんとなく行ってみたい。一人じゃ絶対行かないしね…。

…で、さほど親しくない知人にメールしてみた。理由は…とりあえずその人は多分起きてるから。(…)一応後で種明かし(違)をしようとは思ってる。あー、でもあんまり親しくない人にそういうお願いするのは間違ってるかなー、間違ってるかも。

唐突に言いたくなったんなら何処かで吐き出して昇華しちゃえば良いだけなのに駄目だね。悪戯心の方が近いのかも知れない。―どんな反応するんだろうって、いう。

…てか、結構色んな本を読んだつもりだったけれど、一ページ目から既に泣きそうになる本なんて、初めて読んだよ。

人の心を打つもの。其れが言葉でも、絵画でも、音楽でも、風景でも、器でも、何でも、有名であれ無名であれ、誰もかもが認めていても誰も知らなくても、確かに人の心―魂といっても良いかもしれないけれど、を揺さぶる物。

誰かの心に残るもの。色鮮やかに。鮮明に。新鮮な、驚きを伴って、色濃く刻み付けられる物。

例えば、画家が描いた絵画、彫刻家が彫り上げた傑作、文豪が書き上げた書物、音楽家が生み出し奏でる音色。

例えば、夜が訪れる瞬間の、誰にも描けないような、不可思議なコントラストを描いた暮れの空。

例えば、高い山頂から見渡せる何処までも広がる風景。

数え上げればきりが無いが、当たり前の日常に当たり前に転がっているものが多いと思う。

芸術とは、人の心を揺さぶる物。何らかの強い衝撃を伴って、人の心を打つもの。そして、完結しているもの。


お題配布考える人に100のお題

荷物を下ろせば身軽になるよ。

だけど、その荷物を下ろすという行為が多分、赦せない。赦されないんじゃない。許されてるよ、って教えても貰っているのに、それでも、私が許せない。凄く愚でしかない事なんだけれど、荷物を背負っている自分が好きなんじゃないかと、思う。というか、荷物を下ろす自分が嫌いなんだろうな、と。

想像が着かない一方で、卑怯なんだと。荷物を背負う事、そのものが、初めから用意されていた代物だと、信じ込んでいるから。荷物を下ろそうとする自分を―荷物を下ろす自分をきっと、今よりも嫌いになるって、多分何処かで思っているから。

荷物を下ろしちゃえば、楽になれるのにね。身軽になれるのにね。


最近がしがし厭な奴になってるなー…ってェ、自己嫌悪。やっぱり当分は自己嫌悪と申し訳ない週間らしい。

最近妙に何もかもに対して申し訳なく思う。迷惑をかけても仕方の無い事でも、どうしようもない事でも、避け様の無い事でも、無性に申し訳ない。

感謝でなくて、謝罪だから尚更悪いのかもしれない。

感謝と謝罪は紙一重。謝罪の言葉よりは感謝の言葉を述べたいのに、私が思うのは謝罪の言葉ばかりだ。

御免なさい、有難う。…、って。

申し訳なくて本当にどうしようもなくて、如何して良いのか解らなくなる。気にしすぎているだけなんだって事は解ってる。でも私は、多分やっぱり未だ私に対して価値を持てないんだろうと思う。

私が人に影響を与える事実に愕然とする。そんな事ありえるはず無いって思ってた。思ってる。今も。

私の為に時間を裂いてくれる優しさに恐縮する。そんな事よりももっと何か有るはずだって、思ってしまう。

他人の優しさとか親切心とか、そんなものを与えられる事への―その人の労力への罪悪感。

甘えられない、労力を欲する、迷惑をかけることへの嫌悪感。

自己嫌悪で死ねるかもしれないととことん凹んで、や、それだけじゃ死にませんけど。僅かながらに浮上。

心が動く。馬鹿みたいに。ごとごとがたがたと。張り巡らした柵を越えた、内側への侵入者。―侵入しても良いと思える人が、多分居るのだと思う。だから、動く。

もう少ししたら多分きっと、プラスに考えられる。今は一寸もう少し、揺らいで落ち込むのだろうな、と思う。

常識は本人にとっても、周囲の人にとっても無いと困る物だと思う。人と上手くやっていく為のボーダーライン。常識が有れば、回避できる衝突もあるし、侮られる事も減るし、起こらない諍いも有るし、かけずにすむ迷惑も有る。

子供やまだ若い人の常識知らずは”可愛い”で許される部分もあるが、有る程度の年を経た後の常識知らずは余り戴けない。―余程、愛されるキャラクタ(愛嬌がある、とか、そういう部分が可愛い、とか)ならばともかく、有る程度の権力を持っており其れをかさに身勝手に振舞う迷惑極まりない常識知らずは、蔑みの対象にしかならない、ように思う。彼らが最も嫌っているのは、蔑まれる事だと思うのだけれど。せめて最低限の常識として、人を相手にしているっていう事に気付いてくれると良いのだけれど。

勿論、総ての常識を把握する事は誰にも出来ない事ではあると思う。その地域のみでの常識だって、あるのだし、他の地域に行ったら全然常識が通用しない、って事も多々有るように思う。

国内ですらそうなのだから、海外であれば尚更だろうし、性別、年齢、お国柄、立場によっても常識は変わる。全く同じ、では無い。けれど、常識が無いよりはある方がずっと良い。楽だし、便利だし、自分の幸福の為にもなるし、他人に多大な迷惑をかける事も減る、ように思う。

常識が有れば、それだけで上手く立ち回れる人になれるんじゃないかとさえ思う。唯、常識は難しい。実践する事も、解る事も、やっぱり、それなりには。


普通、というのは常識よりももう少し主観的な物のように思う。―常識はどちらかといえば、客観的な部分が多いのではないだろうか。

主観的な部分が多いだけに、普通、程曖昧なものは無いように思える。「―そんな事皆やってるよ、普通だよ。」良く聞く言葉だし、良く口にする言葉ではないかと思うが、さて、此処でいう皆とはどれだけの人を言うのだろう。普通とは、果たして本当にそうなのだろうか。

自分にとって普通である事が、相手にとっては普通ではないのかもしれない。例えば茶髪にするのは今は普通の事かも知れないが、昭和何年の頃には有り得ない状態だった。

例えば戦争状態でお国の為に、と死んでいくのは普通の事だったが、今で有れば、それも有り得ない。が、実際今戦争状態になって徴兵制なんてものが出来て、元は誰もが反対していたとしても、其れが当たり前になれば、其れは普通になる。普通も常識もその時々で曖昧に姿を変える。

「友達は”皆”やっているし、自分や友達にとって”普通”」でしかない。そういう意味においては常識と普通は似ているが、常識はその人数が多く、広範囲で、且つ互いの”普通”の折り合いをついた認識が存在するのだと思う。

変わらないいつもと同じ日常、取り立てて言う必要も無いほどの、”普通”。

自分が特別でありたいという欲望と、上手く立ち回れない不器用さ、一般的な人から僅かに離れた趣向を好む、”普通で無い”。

変わり者だと豪語する人も案外普通だったりする。…だって、類は友を呼ぶ。変わった人の周りには、変わった人が多い。その人たちにとって、変わり者は普通でしか無く、その中に居れば”変わっていない人”の方が変わり者だ。要するに、少数、特殊性、周囲に対する自分の認識と、自分とのずれ。

”普通”と”普通でない”は酷く主観的で、客観性はあるようで、余り無いように思う。


……なんかぐだぐだになりましたが、とりあえず常識はあるに越した事は無い、と。普通は思っているほどに普通ではなく、特殊でもない、かな、と思います。どちらも完璧な答えがあるわけではなく、カンニングペーパーも規定の教科書もあるわけじゃなくて、自分で見つけて作り上げて学習して理解していくしかない代物なのだろうな、と、思っています。…もう少し私も常識を身につけたいです。本当。


お題配布 考える人に100のお題

相棒が部屋の掃除をしている。私は別の部屋でネットをしている。

テレビも音楽も何も無い。ただ、日常の音がするだけ。

まるで今此処に私達が居ないみたいに。仕事に出て、誰も居ない家の中に居るみたいに。

例えば其れはノスタルジックな、朝台所で母親が何かを切っている、包丁が叩くまな板の音を階段から下りて聞くみたいな。畳の部屋で目が覚めたら、そんな音が聞えてきて、味噌汁の匂いがするとか、そんな感じ。

携帯の呼び出し音もしない。

雨戸の開いた窓から差し込む光は、それでも雨戸が半分しか開いていない為に足りず、部屋の電気が煌々と灯っている。窓の向こうで、鳥が鳴いていて、車の扉の開閉音が聞える。此処は、酷く静かで、音に満ちている。

なんて平和なんだろう。時間が酷くゆったりと流れていく。まるで実家にいるような気にさえなる。

二人で居るのに、会話は殆ど無く、一人と一人が、一人で居るくせに、それぞれの作業をしているくせに、独りぼっちじゃない。

私はこういう時間が好きで、だからメールも電話もしたくない。

誰かと繋がっているくせに、誰とも繋がっていないみたいな。誰とも繋がっていないくせに、誰かと繋がっているような、曖昧で漠然としていて、何処までも嘘染みて真実めいた。

なんて平和な日常。

身も蓋も無い言い方をしてしまえば、有り余る退屈、暇、と、どうしようもない孤独を埋める(事が出来るかも知れない)存在かと。身も蓋も無くてすみません。むしろその結論を導き出すのは人としてどうかとさえ思いましたが。

友達と他人との線引きなら簡単だな、と思うのです。

その人が本当に幸せでなければならないか、幸せそうに見えてさえ居れば良いか、それだけだから。

一人で居たくないっていう、我侭と我侭、集団である事への安心感、他の何かと同一である事の安定感、居心地の良さ、それぞれの身勝手さとエゴ、利益の一致の結果なのかな、と思う。

だから、なんていうか、支えたい人と、依存したい人とか、束縛したがらない人と束縛されたがらない人とか、束縛したい人と、束縛されたい人とか、同じような傷抱えてる人とか、同じような物の見方をする人とか、全然違う見方する人とか、救われるとか、堕とされるとか、引っ張り上げてくれるだとか、隣で蹲ってるだとか。うん、なんていうか、少なくとも一人と一人が居て、そこに何らかの―精神的なものだとか、物理的なものだとか、な、何か望むモノがお互いにあって、その利益が一致した人だけが友人になれるんじゃないかな、と思ったりするのです。

合わない人って言うのはその要求、欲望、目的、利益、まぁ、なんでも良いんだけど、そのベクトルが微妙に逸れてる人なんだろうな、って。

ベクトルが丁度良い感じにお互いに向かっている人が友達なのかも。

さて、実際私の友人達と居て、孤独を埋めることは出来たかといえば、出来たともいえるし、余計に深まっただけだとも言えます。一人で居る孤独はそれほど痛くも無いけど、二人で居る時の孤独は居た堪れない気がします。

そんな私は友達達が大好きです。何でもしてあげたいって、本気で思う位。幸せじゃなきゃ厭だって、駄々捏ねて泣き喚ける位、大好きです。実際は支えてもらってばかりだけど。

どうしようもないやるせなさだとか、無力感だとか、幸福感だとか、安心感だとか、心をぐらぐらぐらぐら揺り動かして貰ってます。居ないと辛いだろうなぁ、って思う。一人で支えきるには、孤独も負荷も大きすぎて、長すぎる。



お題配布 考える人に100のお題