マリと子犬の物語 | 今夜はきまぐれ~Mustangのひとりごと~

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ホントにきまぐれな更新でございます…(^^ゞ


Happenings Ten Years Time Ago...


 

マリと子犬の物語

マリと子犬の物語 (2007)


 

「中越地震」から3年後に製作された劇映画。
全村避難で誰もいなくなった長岡市山古志地区(当時は山古志村)で生き延びた犬の親子の実話を基に作られた絵本を原作にした作品。

このDVD、実は今年になって大林宣彦監督の "この空の花 -長岡花火物語-"(2011) がDVD商品化された際に、「これも見ておかねばなるまい」と思って製作から7年も経って初見となった。
宇津井健の出演作ということも動機のひとつだったりするが…

(;^_^A




映画に「ディザスター・ムービー」というジャンルがあるが…
ま、要するに自然災害をストーリーの背景に設定した作品ということになる。

地震に限れば、日本映画なら新旧共に "日本沈没" がその代表作だろう。
アメリカ映画でもL.A. を舞台にした "大地震"(原題:EARTHQUAKE-1974)という作品がある。

しかしドラマのストーリーとして、災害が100%フィクションか、実際に起きた災害を取り込むか…では思い入れが違ってくるのは確か。

実際に起きた災害…

近年なら「東日本大震災」。
これはNHKの朝ドラ "あまちゃん" の重要な要素であったし、"この空の花" も間接的にからんでいる。

もう20年近く経過している「阪神淡路大震災」。
個人的にはフジテレビ系のドラマ "きらきらひかる"(1998) が印象に残っているが、何といっても寅さん最後の旅となった "男はつらいよ 寅次郎紅の花"(1995) だろう。この作品には当時の神戸の街が写っているのだから。

そして「中越地震」なら、"マリと子犬の物語" ということになる。
ただ…正直なところ、出来のいい作品かと聞かれると素直に首を縦に振りにくい。

でも、この作品の存在価値は出来不出来を越えたところにある気がする。



少なくとも「大災害の伝承」という点においては「ある」と思う。



阪神淡路大震災当時と比べると、現在は報道機関による記録以上に一般人による記録が膨大に残されるようになった。
それだけ「情報」が大量に残るようになったとも言える。

しかし、人々の記憶にどれだけ残るのか…

東日本大震災でも中越地震でも、被災した建造物や地形を残す、残さないの論議があった。
それは「忘れないため」と「思い出したくない」のせめぎあい。

忘れてはいけないことはわかるが、できることなら思い出したくない…


報道やドキュメンタリーでは生々しいが「物語」ならばどうか?
多少なりとも思い出すことへの「ためらい」を和らげる効果はありそうな気がするのだが。



世の中に起きるいろんなことはたった2種類しかないそうです。

ひとつは「どうにもならないこと」

もうひとつは「どうにかなること」



前回の記事に掲載したこの文は、映画の原作である「山古志村のマリと三匹の子犬」の序文から抜粋し、DVDのブックレット(2枚組Special Editionの「フォト・ダイアリー」)に掲載されていたもの。映画の中でも台詞に組み込まれている。

…そして、もう2行続きがある。



マリはそのふたつについて

わたしたちに教えてくれました。



さらに、このブックレットには原作者のひとり、大野一興のメッセージが掲載されている。


知りたいか、知りたくないかに関わらず、
毎日たくさんの情報がニュースとして飛び込んできます。
地震など、災害や大事故の時に必要なのは、
安全や安心のために役立つ「情報」です。
しかし、時が過ぎれば「情報」は意味を失い、
私たちは自分に身近なことと遠くのことを分け、
どんなに大変なことでも、いつしか忘れてしまいます。

中越地震のなかで、友人が体験した奇跡とマリの姿を絵本にしたのは、
「情報」を「生命の物語」として、いつまでも残したかったからです。





新潟では震災発生から10年目の節目としてテレビ、新聞で連日特集が組まれている。昨日はNHKの全国放送「クローズアップ現代」でも取り上げられていた。

インフラの復旧は完了したが、山古志地区の住民は震災前の約半分になっているそうだ。それは過疎化、高齢化を震災が加速させたとも言えるらしい。
村を離れたのは若手だけでなく、戻りたくても山村の生活に耐える自信のない高齢者…

そういえば映画の中でマリを飼うことになる石川家の優一(船越英一郎)は父・優造(宇津井健)や子供達のために内緒で長岡に引っ越す計画を立てている…という設定になっている。



何が「どうにもならないこと」で、何が「どうにかなること」なのか。


本当の「復興」は、これからの10年なのかもしれない。


そのためにも「情報」の存在を思い出すための「鍵」としての価値が「物語としての記憶」にはある気がする…





ペタしてね


それにしても高嶋ブラザース、共に長岡、山古志に関わる作品に出演とは、これも何かの縁か?…
(^▽^;)