福島でボランティア | いっしょに生きよう、明るいみらい。

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~町田れいじ Official Blog~
「いっしょに生きよう、明るいみらい。」をスローガンに、大和市
に新しい風を送るため、日々チャレンジを続けている市議会議員
「町田れいじ」の公式ブログです。

あけて昨日、朝5時に家を出て福島県いわき市でボランティアを行い、先ほど帰宅しました!



風邪をひいたらしく風邪薬を飲みながらいわき市に入ると、なんと大雨!

ずぶぬれになって、一昨日まであんなに暑かったのにものすごく寒い思いをしながら作業を行いました。おかげで頭がぐらぐらします・・・。




3月25日、震災発生後2週間のパニック状態にあったいわき市に行ってから早5ヶ月が経とうとしています。

久しぶりのいわき市街中心部は見た目平穏で何事もなかったようです。


しかし現地の拠点のスタッフに話を聞くと、まだまだ生活の完全復旧には程遠く、今でも支援物資を取りに来られる方が、多い時では一日100人にものぼるそうです。

また沿岸部の復興はもはや絶望的で、ガレキが片付いても今後工場や住宅を新築する見通しは全くないとのことで、何ともやりきれない思いでこの日の作業、ガレキを集積場に持っていく作業&沿岸部の被災家屋の片付けに向かいました。



今回いわき市を訪れたメンバーは友人2名、同じ会派「明るいみらい・やまと」のあかみね市議、みんなの党の佐藤市議、私の5人でした。


まずは降りしきる雨の中、トラックに満載されたガレキを集積場に降ろす作業。すでに平地のガレキ集積場はいっぱいになってしまい、かなり登った山間部に集積場がありました。



いっしょに生きよう、明るいみらい。
(ガレキ集積場)


すっかりずぶ濡れになった私たち。

雨と泥でグチャグチャになりながら沿岸部に移動。

3月に訪れた時、流されてきて道路をふさいでいた家も、松の木にひっかかってようやく止まった様子の車も、すっかりなくなっていました。



いっしょに生きよう、明るいみらい。
(あかみね議員・佐藤議員)



お昼ごろに作業地点の「豊間(とよま)地区」に到着。昼食はコンビニでおにぎりを買って立ったまま食べました。


コンビニと言っても、場所は元コンビニがあったところ。

鉄骨と屋根だけが残るお店に移動販売のトラックが来ていて、ちゃんとお店の人がセブンイレブンの制服を着て元気にお店をやっていました。


いっしょに生きよう、明るいみらい。

(コンビニ。柱と屋根だけです。)


すばらしい気合い!

・・・と思ってお店の方に話を伺うと、やはりここの集落も存続は難しいとのこと。かつてはカマボコ工場などでにぎわった700世帯あまりの町も姿を消してしまうそうです。。



昼食後はすぐに豊間地区のある住宅の片付け。取り壊しの準備のために家具や敷地内のガレキなどを分別して運び出し、トラックに載せ、それを先ほどの集積場に持っていきます。


ところがその作業中に緊急事態が発生!


私は集積場からの帰りで車に乗っていたので気付かなかったのですが、震度4の地震がおこったのです!

そしてすぐに津波注意報も。


到達予測時刻はおよそ30分後。

津波の高さは50cmの予想。


50cmでは危険ではないのかもしれませんが、作業地点は砂浜が目の前に見えるほどの、もろ沿岸部です。

そもそも倒壊寸前の住宅で作業しているわけですから、地震そのものでケガをしているかもしれません。

とにかく焦る気持ちを抑えつつ、車を走らせました。



作業地点に着くと、幸いにもみなさん無事で、津波のことを心配していました。そこで注意報が出ていることを伝えましたが、現地のボランティアの方々が

「50cmならたいしたことねーべ」

「こったらこと(油断すること)が危ねぇんだけんどな~あはは!」

とか言いながら作業続行!!



しかし一致団結して何とか津波到達予想時刻までにガレキを積み終わり、1分前にその場を離れる事ができました。



ハラハラドキドキのいわき市ボランティアVol.2でしたが、全員ケガもなく、なんとか無事終えることができました!



前に行った時は100カ所ほどあったいわき市の避難所も今は2カ所。

復興支援は新たなステージに入っています。

これからは経済復興。生活の基盤は何と言っても働く事ですから、雇用の問題がこれからの最大の課題になります。


(毎回書いている気がしますが)いわきもまだまだこれからです!


がんばろう福島!

がんばろういわき!!