前回までのあらすじ

 

四分五裂したフランス王国に触手を伸ばすバルセロナ伯国は、イベリア半島においてもタイファ諸国やそれらと戦うキリスト教国が動乱に陥りつつ国力を減じる中、着実に地歩を固めていった・・・

 

本編

 

『最近の神聖ローマ帝国の混乱は我が国にとって千載一遇の機会かもしれません。』

 

世代交代が進んだ評議会で日頃は寡黙な宮廷司祭のベネットが口を開いた。フランス王国との戦争中に父の代から愚兄の代まで宮廷司祭を務めていたポン・ヒューは老衰で亡くなり、その後を継いだのがこのベネットである。

 

 

少しずつ世代交代の進むバルセロナ伯国である。書記官長はウルジェイ伯エルメンゴルになり、宮廷司祭は出生は低い身分ながら持ち前の才覚で出世を遂げたベネットになっている。ベネットは前任者に比べ能力が高い。

 

 

勤勉(diligent)なのは間違いなく、請求権の捏造も短期間で行われていた。今のように周囲の国々が分裂を重ねながら弱体化している中では、どこかの国と休戦協定を結んでおいて、その後異なる方向へ進出することもベネットがいれば容易になろう。

 

・・・強欲(lustful)で物惜しみしない(generous)性格というのが気になるが。

 

とにかくこのころの西ヨーロッパの情勢を確認しておこう。

 

 

まず、われらが先ごろまで戦っていたフランス王国。アキテーヌ公国が独立し、フランス南西部を喪失している。そのアキテーヌ公国も独立を果たした先代が亡くなり、このように分裂している。そしてわれわれはそのアキテーヌ公国に対してコマンジュ伯の請求権を盾に戦争に突入している。

 

視線を神聖ローマ帝国に移すと、そこではプロヴァンス伯が独立している。その北方でも伯が独立しており、さらに西地中海沿岸ではジェノアとピサも共和政国家として神聖ローマ帝国の宗主権の元から離脱していた。フランス王国との戦いの最中に何が起こったのか正確に分からなかったが、武力を用いてのものでは無かったようだ(ちなみに史実ではジェノアとカタルーニャの商人は西地中海で激しい競争を繰り広げていきます。様々事情から13世紀後半ぐらいからカタルーニャ側が優位性を喪失していき、その後はジェノアとヴェネツィアが地中海の覇権をかけて争っていきます)。さらにこの時、神聖ローマ皇帝は北イタリアの大諸侯、トスカーナ女伯マティルダの独立をかけた戦争も戦っており(後にトスカーナ伯は独立を果たす)、巨大な神聖ローマ帝国は内部で大きな亀裂を抱えているようである。

 

 

とはいえ、もちろん神聖ローマ帝国はまだまだ敵う相手ではなく、あまり大きな野心を持つのは禁物だろう。少なくとも今は。

 

そしてプロヴァンス伯の領地を見ると、国内の混乱もあるのか動員できる兵力も3000程度と少なく、しかも周囲の国との同盟関係も無いようである。

 

確かにベネットの言う通り、プロヴァンス伯を獲得するのに今は良い機会かもしれない。こうして私はベネットに請求権の捏造を命じた。ベネットはこの困難な仕事を14ヶ月という短期間でやり遂げた。この間コマンジュ伯領も獲得しており、多方面に進出していくことになる。タイミングを見計らっていると、プロヴァンス伯が他国の戦争に参戦する事態が生じていた。最高のタイミングが来た。ここで我々もプロヴァンス伯に対して宣戦を布告する。

 

しかし、この戦争は想定以上に長引いた。開戦から14ヶ月を経過して、プロヴァンスの地を占領しても、プロヴァンス伯は講和に乗って来ない。

 

 

プロヴァンス伯は、ピエモンテ伯がサヴォイ公の称号を狙った戦争に攻撃側として参戦していた。1089年4月の時点で16ヶ月が経過しているが、戦争はほぼ膠着状態である。兵力も均衡している。

 

 

一方、我々との戦争では、ピエモンテ伯がプロヴァンス伯の同盟国として防御側で参戦している。しかし兵力ではこちらが僅かに有利。さらにプロヴァンス伯は二方面で戦っているはずで、勝利を掴むことは難しくない、・・・はずであったがここまで14ヶ月が経過している。

 

しかしこの8日後にプロヴァンスの西隣のヴァネッサン(Venaissin)近郊での戦闘で決定的な勝利を収め、これによりプロヴァンス伯は講和の交渉のテーブルに着かざるを得なくなる。長かったが戦争は終結した。

 

この後、イベリア半島側でアラゴン王国に対しても圧迫を加え、ウエスカ伯の割譲を受ける。この時のアラゴン王国は隣国のナヴァラ王国や南方のタイファ諸国との戦争に明け暮れており、兵力は僅かに700となっていた。

 

しかし、この後に私は判断を誤ることになる。

 

セルダーニャ伯が将来的に継承するであろうベジエ伯の領土に対して、請求権があることを恃んでフランス王国に開戦したのだった。ところが開戦を行う直前にフランス王はノルウェー王、そしてビザンツ帝国内の有力諸侯と同盟関係に入っており、総兵力がわれらの1.5倍に達していた。遠方の同盟国からの援軍はすぐに到着しないとはいえ、こちらもフランス王国を屈服させるためには多くの土地を占領し続けねばならない。緒戦ではベジエ伯領をはじめいくつかの領地を占領できた。しかし開戦から10ヶ月が経過しても戦局はこちらの有利とはならない。評議会とバルセロナのコルツからは戦局が不利になる前に双方痛み分けでの講和をするべきとの進言が届く。私はこの進言を容れ、フランス王国と白色講和(white peace:当事国がそれぞれ相手に対して戦争終結にかかる義務を負わせない講和)を行った。

 

残念ながら、またバルセロナ伯国には大国と正面切っての戦いを挑むだけの力は備えていないことを痛感し、ここでは兵を引くべきと悟った。今はまだ他国の隙を突いて領土を少しずつ蚕食していくことで力をつけていこう。