前回までのあらすじ

 

共同統治者の兄を亡くし、単独のバルセロナ公国の統治者となったバランゲー・ラモン2世は国内の混乱を最小限に収め、地中海と南仏への進出を画策していく・・・

 

本編

 

所領が増えすぎたため宦官のコボに所領を分け与え、ジェノアの請求権の捏造を待つ。しかしこの遠方の地の請求権の捏造には時間がかかり、兄の代から引き続いて3年を要した。その間、私は新たに居住することになったバルセロナの王宮で古の書物を見つけ・・・

 

 

古い時代の軍に関する書物から知見を得る機会に恵まれた。

 

1083年は内政に専念する。その間、我が嫡男に帝王学を学ばせようと決めていた。これまでは幼少期の継承者の教育を等閑にしてきたという反省もあり、私は早くから後継者にそれにふさわしい教育を受けさせようと考えていた。

 

 

嫡子のラモン・バランゲーには軍事的な能力に焦点を当てて教育を行うように周囲の家庭教師団には依頼した。成長するにつれて分かっていくのだが、息子は次第に聡明さを発揮していくことになる。ちなみにこの家庭教師団の中でも軍事については我が国の騎士で、人格的にも優れた人物を指名した。

 

 

彼の名はサラ。モライド家の一族で父の代に北アフリカからイベリア半島に移ってきた一族になる。

 

 

異教徒ではあったが軍事的な知識が豊富であり、尚且つ人格高潔な人物であるとのことで、父が併合したレリダの統治者だったムザファが推薦した人物である。

 

実際、息子はサラによく懐いた。

 

このころ、宮廷で教育係となる人物も雇用している。アルセンダという人物で彼女も我が子息たちの面倒をよく見てくれた。

 

この後、長女が生まれ、その数年後に次男も誕生する。それぞれにその時に宮廷内でもっともふさわしいと思われる家庭教師団をつけ、統治の片腕となるべく養育をしていこうと考えた。私の治世はおそらく長くなるように思われるので、有能な一族が多いことに越したことはない。

 

ジェノアへの請求権の捏造が済んだのは結局1084年の秋になってからであった。そのころまでに、ジェノアは神聖ローマ帝国領内の2伯家と同盟関係を築いており、単独の兵力ではバルセロナの3分の1であったところ、請求権の捏造が済んだ時にはジェノア公国とその2伯家の戦力を合わせると、こちらより戦力で上回っていた。

 

 

しかし神聖ローマ帝国の北方の同盟国であり、ジェノアが同盟国の兵と合流する前に短期で決着をつけようと決意する。もっとも開戦の時期について誤算も生じていた。この少し前にバルセロナの港を拡大する工事を実行しており、国庫がからになっていたのだ。悪いことに開戦と同時に艦隊を準備してジェノアに兵を送る段階で僅かに財政が赤字に転落したのである。この状態が続いて軍に対する俸給の支払いの遅滞が始まると方々に悪い影響が出るのだが、その前に戦争を終結させるの必要がある。

 

指揮官には過剰になった伯領を分与した宦官のコボを命じた。彼は攻城戦と海からの上陸作戦に長けており、この軍を率いるのにふさわしいと判断した。

 

 

このころ、過剰になった4伯領をコボに与えていた。そこで一代限りになるであろうが、コボにはリューゲン家を興させた。そしてこのように国庫はかなり赤字が拡大していくが(この時点でー56)、ジェノアへの上陸直後の戦いには案の定同盟国がジェノアに到着しておらず、仮に同盟軍が到着したとしても各個撃破の形をとれると考えた。もちろん攻城戦に移った時に背後を突かれる危険性はある。また、戦争が長期化すると財政へ与える影響が大きくなる。このころバルセロナの王宮ではユダヤ人の商人たちに対して借金の交渉も行われていた。

 

 

このジェノア上陸後の1戦はこちらの完勝とみてよいであろう。問題はこの先である。ちなみに、ここでわが軍に編成されている軽騎兵は通常の物ではなくカバレロ、あるいはカバレッロと呼ばれるイベリア半島の文化に属する軽騎兵で通常の軽騎兵よりも上記のような追撃戦での攻撃力がやや高い。

 

 

そしてなんと、この追撃戦の最中ジェノア公その人物を捕縛できた。強国と思われていたジェノアとの戦争は2ヶ月を待たずにこちらの勝利となった。

 

これにより財政への負担が予想よりも小さくなり、ユダヤ人たちからの借金もせずに済んだ。統治を始めて2年目の出来事であった。もっともこの後数ヶ月間は大きな出費をしないよう注意を払いながらの統治となったが。

 

この調子で西地中海沿岸にバルセロナ公国の勢力圏を広げよう。