前回までのあらすじ

 

サルデーニャ島の西側とバレアレス諸島に属するマヨルカ島とミノルカ島を支配下におさめたラモン・バランゲー2世は共同統治者である双子の弟バランゲー・ラモンと表面上のわだかまりを抱えながらも順調な統治を開始したかに見えていた・・・

 

本編

 

ジローナで領地の巡行を行っていると、背後から早馬が我々の方に迫ってくる。私は特に何を感じるでもなくそれを見て乗っている馬の轡(くつわ)を引いた。私たち一行はジローナの郊外にある荘園の端(はずれ)にとどまり、早馬に乗った使者がやってくるのを待った。使者は声の届きそうな場所まで近づくと、馬から転げるようにおり、そのままこちらに向かってくる。

 

『何事か?』

 

すると早馬に乗った使者は言う。

 

『ジローナ伯、大変です。バルセロナ公が・・・』

 

ここまで休むことなく馬を乗り継いできたのであろう、荒い息の間から吐き出すように言葉を絞り出す。

 

『公がどうした?』

 

私はさもそっけなく使者に続きを促す。

 

『ジローナ伯、詳細は不明ですがバルセロナ公は急逝されました。』

 

周囲を取り巻く側近はみな一斉にどよめいた。私は周囲に何かを訝(いぶか)しがられることの無いよう、ひと呼吸をしてから自分の言葉を抑揚をつけずに発した。

 

『それは事実だな?』

 

『間違いございません。ただいま緊急の評議会が招集されています。ジローナ伯も元帥としてそこに至急お越しください。バルセロナ市のコルツも開かれております。』

 

『分かった。ここまで至急便を届けたこと、感謝する。勤めがあるとは思うが、今日はジローナの私の城館に滞在せよ。』

 

こうして私の治世はその最初から混乱と血生臭い情勢から始まった。

 

 

私は世上、兄殺し(Fratricida)と呼ばれている。それはこの時共同統治者の兄が若くして不可思議な亡くなり方をしたことと、それまで私と兄が何かにつけて諍いを起こしていたことから、証拠は何もないにも関わらず世間で噂が広がったことによる。

 

そのことについてここで弁明する気は無い。そして兄の若すぎる死によって確かに最も多くの利益を享受できたのが私であることも事実だ。私は兄の死後、直ちにバルセロナ市に向かったのだが、その時にはすでに兄の死に私が関係しているということは人々の巷間に広がっていた。弁明しても無駄だろう、そう思った。

 

バルセロナ市のコルツは、評議会が私を次期バルセロナ公に選出すると、直ちに協約の確認を求めてきた。これまでコルツの面々とは評議会との折衝の過程で何度もやり取りをしており、特に外征においては彼らからの資金面での協力を得ていた。そしてその軍の指揮官として軍を率いていたのが私であった。そこには複雑に絡み合う利害関係が生じていた。しかし私はそれら外征で勝ち続けており、この時もコルツからの忠誠宣言を何の苦も無く得ることが出来た。

 

こうして私は完全に合法的な形で、陰では兄殺しと綽名されつつ、その治世を開始したわけである。兄殺しの汚名を雪ぐよりも、その汚名を積極的に活用する方が余程統治をしやすくするであろう。そのようにも考えた。

 

ちなみに兄、ラモン・バランゲーはバルセロナ公国の安定した統治を主観的には追及していたように思えるが、1081年には弱みを握ったウルジェイ伯の領地を剥奪しており、内政において必ずしも周囲から好かれるばかりでは無かったということは指摘しておきたい。その意味では私は幸運であった。それらの所業を兄が行った後で私の治世が始まったからである。

 

また、兄のふたり目の子供が生まれていたが、その子は女児であった(史実ではこの子供が男児で、未亡人となったラモン・バランゲーの妻がアラゴン王国に助力を求め、兄弟間の諍いは世代を超え、そして一挙にバルセロナ伯とアラゴン王の戦争に発展することになります。ここから本当にCK3の現実とは異なる世界線での歴史が始まっていきます)。

 

 

これはつまり、私の保有する称号を狙う可能性が高い近親がいないことを意味し、兄が望んだ国内の安定は私の治世で実現するだろうと思う。

 

兄は弟の私から見ても人格者だったと思う。庶民からの人気も高かった。兄はしばしば少数の供を連れてバルセロナで開かれる市に出向くこともあったという。しかし統治者としてはどうであったろう。私はそれをここで述べることはない。

 

さて統治の手法を私はより現実に即したものに改めた。前代の政策の内評判の良かったものは継承し、不評だったものは廃止した。兄により領土を取り上げられたウルジェイ伯については、金銭による賠償を行った。そして騎士に取り立てた。しかし兄が剥奪した領地を返すことまではしなかった。また、私が公国位を継承して空きの出来た元帥の地位にはセルダーニャ伯を任命した。

 

また、生前の兄によって封じられた3伯領に加えて兄の所領6伯領を持つ大身となったわけだが、これほど多くの所領をひとりで所持するのは臣下の不興を買いかねない。それ以上に、現実的にこれだけの所領の管理を1人で行うのは無理である。

 

将来的にこれらバルセロナ公領に属する領地は私の血統の下で分割されることなく継承されていくことが理想だが、それにはまだまだバルセロナは統治の技術的な面でも劣っている。そこで私は考えた。有能で近親者が居らず、後継ぎを残すことの無いような統治者として都合のよい存在に領地の管理を任せてはどうかと。

 

 

このコボというサクソン人の私と面識を持つ前の経歴は知らないが、最初は優れた鎧を製作する人物だということで幾人かの紹介を経てバルセロナにまでやってきた。そして当地で私のために傑作と呼べる鎧を製作するのだが、彼は去勢されており、そして身寄りがまったくいない天涯孤独な人物であった。

 

この後、私は彼を騎士に取り立てた。そしてコボを私の保有するいくつかの領地に封じた。古くからいた騎士たちには私の公国位の継承祝いという名目で金銭を配り、評議会も領地の安定的な管理がなされるということで、この判断は概ね反対を受けずに受け入れられた。人々は私を兄殺しと綽名したが、こうして自領を鷹揚に人に与えるということで、寛容だとも評価し始めた。

 

もちろん、コボが天寿を全うした時に後継者がひとりもいなければ、その所領はバルセロナ公の元に戻ってくるのだが。人はそれほど先のことを気にしないものである。

 

そして次第に国力をつけていくバルセロナ公国、この公国をどのように地中海に輝く真珠に比することが出来るのかと地図を見て考えた。

 

 

独立国となったジェノアの請求権を捏造しているため、そこを海路で攻略するとして、婚姻関係により南仏を支配下におさめ、返す刀でイベリア半島内でアラゴン王国領やバレンシア王国領へ進出する。

 

これはもちろん私の生きている間に目にすることは出来ない領土であろうが、西地中海で比較的に文化の発展している地域をその版図に加え、地中海に覇を唱えようと思う。その筋道をつけるのに私は十分な余生を与えられていると願いたい。

 

先ずはジェノアの攻略である。

 

そして嫡子の教育を始めていこう。