現在AARの方ではラモン・バランゲー『老伯』の次男が称号を継承しています。実際のプレーは更に先に進んでいて、その双子の弟がこの兄を暗殺したという通説を参考に時代を進めています。ここのところについてゲームよりもっと面白い史実の方を述べていきたいと思います。時々こういうテーマでもエントリーを書きます。

 

ラモン・バランゲー『老伯』(以下、ラモン・バランゲー1世)と婚姻関係にある妻、アルモディスはこのラモン・バランゲー1世の3人目の妻です。最初の妻がトレンカヴェル家という南仏のトゥールーズ伯の封臣でアルビに居城のある一族の女性でした。この女性との間に生まれた長男と次男はどちらも夭逝してしまい、このゲームの開始時点で残っていたのは三男のペレ・ラモンだけです。

 

 

子供も夭逝しますが、本人も24歳で亡くなっています。ラモン・バランゲー1世の2人目の妻は、このゲームでは出てきませんが、ナルボンヌ家の娘でブランカという人物です。この女性との間には子供は生まれませんでした。

 

そして3番目の妻が件のアルモディスです。

 

 

これを見ても分かりますが、とても子だくさんなのが分かります。そして、最初は北フランスのルジニャン(Lusignan)家の伯爵と結婚し、男児を儲け(上の画面の一番左で称号を持っている男性です)。そこを離縁され(理由は近親婚となっていますが、それは教皇の裁可を得るための方便で、実際には違っているようです)、次はトゥールーズ伯と結婚し、そこでも子供を産みます。そしてそこでも離縁され、バルセロナ伯に嫁いできたわけです。

 

アルモディスはこの時代で有名な美人だったらしいです。しかし性格もきつい女性で、ラモン・バランゲー1世と結婚して双子の男児を生むと、バルセロナ伯の継承権を持つこの時点での長男ペレ・ラモン(最初の妻、イザベラとの間の子です)に対して辛く当たります。ペレ・ラモンはこれを父親に訴えますが、ラモン・バランゲー1世はアルモディスに篭絡されており、聞く耳を持ちません。

 

しかしこの性格が災いしたのか、あまりにひどい仕打ちに耐えかねたペレ・ラモンに暗殺されてしまいます。1071年10月の出来事です。

 

この事件は大問題に発展し、ローマ教皇まで出てきて極めて厳しい罰をペレ・ラモンは受け、この時点でバルセロナ伯の継承権などの全てを剥奪されました。だからある意味、コンソールコマンドで非継承者の特性をつけるのは合理性があると呼べるかもしれません。まぁ、史実に沿わなくても良いのですが。ちなみに今のところの歴史学的な調査では1073年まではペレ・ラモンが記録に現れますが、それ以後名前が消えます。どこかに幽閉されて、そのまま暗殺されたのか、あるいはそれに近いことが起こったのではないかと勝手に推測しています。

 

そしてアルモディスは自分の目でバルセロナ伯の称号が自分の血を分けた子孫に渡ることを見ることは出来ませんでしたが、ある意味その命と引き換えにそれを実現したと言えるのではないでしょうか。

 

そして、この双子の兄弟の行く末がもうひとつのエポックとなります。

 

AARの方で現在バルセロナ伯になっているラモン・バランゲー2世そしてその弟バランゲー・ラモン、このアルモディスとの長男と次男は父の遺言によって共同統治者として指名されていました。領土や称号も均等に分割されたようです。しかし、そういうことをすると大体僅かの差を巡って争いに発展します。

 

この時にもローマ教皇グレゴリウス7世が調停に乗り出し、執務をする王宮を1日ごとに交代で使用するであるとか、実に細かい取り決めをして争いをいったんは収めます。しかしそんなことで争いが無くなるのならそもそも最初から争ってなどいません。そしてついに1082年の12月のある日、ラモン・バランゲー2世は鷹狩りに出掛けたまま行方が分からなくなります。翌日捜索隊が結成されますが、所在はすぐに分かりました。ラモン・バランゲー2世の愛鷹がその亡骸の上空高くを旋回しながら飛んでいたからです。

 

こうして共同統治者がいなくなり、バルセロナ伯の唯一の継承者となったのが、この後のAARで登場するバランゲー・ラモンです。もちろん兄弟の不仲を知っているバルセロナの人々は証拠が無くとも犯人は誰なのか声を潜めて言い合いました。今でもその綽名が残っていて、後にバランゲー・ラモン2世となるこの双子の弟は『兄殺し(カタルーニャ語で(Fratricida)』と言われるようになります。