前回までのあらすじ

 

レリダ首長国を完全に併合したバルセロナ公国はレリダ首長国のムザファを臣下に加え、ここで暫く内政に専念しようかと考えていたところであったが・・・

 

本編

 

レリダ首長国との戦争の凱旋式の熱が収まってきたある日の評議会で、密偵長(spy master)と書記(chanceller)から、バレアレス諸島を支配するタイファ諸国のひとつ、マユルカ首長国が南方のムルシアと衝突したという報告を得ていました。話が前後しますが、カルカッソンヌ伯を暗殺する計画を立てている直前のことです。

 

 

戦力はマユルカ首長国がムルシアの2倍。優勢に事を進められると思ったのか、同盟国があるにも関わらず単独で戦っているようです。ここで宮廷司祭にマヨルカ島の請求権の捏造を指示します。遠方の土地故、捏造に10ヶ月を要するとのこと。

 

実はバルセロナ市の商人たちはイタリアやレバント方面への商業路上にあるバレアレス諸島の確保をコルツを通じて幾度となく要請しており、ここを勢力下に収めることで民衆からの支持を期待できるという側面もあります(史実ではこの100年ほど後に実際にカタルーニャ君主国はバレアレス諸島に遠征をおこないます。その時、バルセロナ伯に戦争の資金を工面したのはバルセロナの大商人たちでした。近代以降と異なり、中世前期から盛期にかけては君主が戦争を行うにしても資金をどう調達するのかが大きな問題であったようです。カタルーニャ君主国ではそれもあって身分制議会との協約が発達したのだと思います。議会において商人や諸侯の利害を調整しつつ外征を行う必要があったのです)。

 

マユルカ首長国は野戦で大勝利を収めますが、その後攻城に手間取ったようで戦争は翌年の春になっても終わらず、夏になっても続き、その頃宮廷司祭から請求権の捏造が完了したとの報告を受けます。そして秋になり戦争が終結。密偵を放つと、

 

 

戦争終結直後ということで戦力が減っています。そして不思議なことにマユルカ首長国はガルナタ首長国などの同盟国を失っていることに気が付きました。タイファ諸国間で何があったのかは不明ですが、これは千載一遇のチャンスです。時を置かずマユルカ首長国に宣戦布告を行います。

 

 

今回は威信値を利用してフランス王にも援軍を要請します。兵力で優っているように見えますが、この戦争は陸続きの土地に攻め込むのではなく艦隊を用いての遠征となります。兵士を乗船させ、敵地で下船させるのにはとかく時間がかかる。そうなると、こちらがマヨルカ島を占領している間隙をついてマユルカ首長国のイベリア半島側の土地から陸伝いにバルセロナ公領に侵攻される恐れがあります。

 

また、船で敵地に上陸した場合に即座の戦闘を行うと兵士たちの健康状態的に不利になるため、いくらか上陸先で野営をし続け兵士の英気を養う必要も出てきます(このゲームの仕様で、大河川を超えたり、海を越えて遠征する時に30日間戦争でのディスアドバンテージを受けるペナルティが発生します)。

 

バルセロナ公国軍の指揮はまたしても三男に執らせます。そして契約期限が2年近く残っている傭兵を含めて総勢3600人の兵士が乗った船団はマヨルカ島に向けて出帆しました。相手は1500人程度の兵力。上陸直後に会敵したとしても力で押し切れるだろうと考えていました。

 

しかしここで誤算が生じます。後に三男が語ったところでは上陸直前に島の周辺から観察してみるとそこにいたのは3000人近い兵士でした(上の画面にある開戦時の資金を見ると分かるのですが、マユルカ首長国は傭兵を辛うじて雇えるだけの資金を有していたのです)。それにより上陸直後にバルセロナ公国軍は同数の相手と戦闘に突入することになりました。この時三男は天を仰ぎ、兵士に悟られないようにしながらも最悪の事態を覚悟したそうです。

 

しかしここでいくつか幸運なことがバルセロナの上に起こりました。先ずは三男が水際からの上陸の演習をしていたこと(forderの特性を保有していた)。そしてこの時の兵士たちはその訓練に従事していたため、上陸直後に完全な状態で戦列を組むことが出来、こちらに対して混乱している部隊を追い散らそうと隊列を整えずに海岸線に現れたマユルカ首長国軍を万全の態勢で迎え撃てた事。そしてレリダ首長国との戦争後に得られた資金で軽騎兵を整備しており、これが相手の側面を突破しつつ背後に回り、相手を包囲する形勢をつくれたこと。こうして戦線のあちこちで小さな幸運が重なり合い、戦況は徐々に好転していきます。

 

 

もうひとつ幸運だったのは、マユルカ首長国は傭兵を雇い入れ、マヨルカ島ではこちらと同数の兵士を揃えていましたが、同盟国軍は遠方過ぎてこの会戦には間に合わなかったということです。さらにフランス王国軍を率いる指揮官から急使も届き、

 

 

前方に斥候を放ちながら慎重に進軍していたフランス王国軍は、マユルカ首長国軍もその同盟国軍もバルセロナ公領に侵入してこないことを確信すると、フランス南方で用意しておいた船団に6000人の兵を乗船させ、マヨルカ島に向かうとのこと。この報告が届いたわれらの野営地で、三男がこれを大声で読み上げると兵士たちから大歓声が上がり士気が最高潮に達したそうです。

 

 

三男も最前線で指揮を執り、マユルカ首長国軍は総崩れになります。

 

 

1075年のクリスマス前にここで大勝利を収めました。そしてバルセロナ軍に帯同した司祭に生誕祭のミサを行ってもらい、そのまま攻城戦を行います。

 

 

このように攻城兵器を投入できるようになったため、攻城にかかる時間を以前の半分程度にできるようになりました。もちろんフランス王国軍も合流しています。

 

 

そしてこのように城が落ちた時にマユルカ首長国のアミールを捕縛し、これによりマユルカ首長国軍は降伏。こうして初めての外洋への遠征は大成功のうちに終結しました。この勝利の立役者、わが三男をマヨルカ島と本土のいくらかの領地の領主に封じ戦後処理も終わります。

 

私はバルセロナ市で凱旋する兵士を迎え、大商人たちは民衆とは別の意味でこの新たな領地の獲得を喜んでいたのでした。

 

この時の凱旋式は1日では終わらず、この後もしばらく市内の熱気は冷めやらぬ状況でした。それは見ていて楽しいものでした。しかし少し熱気にさらされたのか、疲れを感じてしまったのも事実です。